毎年毎年,年度末近くになると決まって何かに急かされるようにイソイソと身辺整理をはじめたくなる因果な性分の父を持った不幸を,アキラ君,しかし時には少しだけ感謝してもよかろう。いや,ほんのチョビットくらいはネ。
事の顛末はこうである。先月のこと,土曜日の午前にタカシとアキラを二階の子供部屋に招集した父は,彼らに対して次のようにキビシク言い渡した。
「さてと。もうじき新年度なるのだから,君たちもここらで心機一転,このいいかげん《ゴミ屋敷状態》になっている部屋のなかのガラクタの数々を,さあ,今すぐ片付けなさ~い!」
具体的には,各自の勉強机の上面やその周辺部に置き去りにされたままで山のように溢れんばかりになっている雑多なモノタチを,まずは一旦すべて取り除いてしまう。そして,改めてそれらのモノを片ッ端から逐一点検し,これは是非とも大事に保管しておく必要があると認めた物品については,本棚に入れたり,ボックスファイルに入れたり,ダンボール箱に入れたりして然るべき場所にキチンと整理する。それ以外のモノは,たとえば既に使わなくなったオモチャなどは誰か適当な人に差しあげるかオークションに出品するか,あるいは思い切って捨てる。同じく不用な本や雑誌は売り払うかまとめて資源ゴミに出すか,あるいはそれらも思い切って捨てる。保留とか先送りとかチョットマッテとかは一切認めません。古い教科書やドリルも然り,童話や科学本も然り,マンガも然り,攻略本も然り!
父が発するタダナラヌ勢いに気圧されたのか,二人とも碌々口答えもせず,そそくさと各自の所有する「宝の山」に向かうと,それらを端から順番に切り崩しにかかった。家にいる時は基本的にナマケモノ(Choloepus didactylus)がジャージ着てマンガ本片手にゴロゴロしているのを身上とする少年たちにとって,それはかなり難儀な作業であるように思われた。墨痕鮮やかな習字の下書きの大束を片付け,いずれの御時のものかも判然としない古いドリルやプリントの大山を片付け,ほんの一時のナグサミモノであったに違いない雑誌付録や学習教材の大森を片付け,まさしくゴミ!としか言いようのないプラスチッキーな玩具の残骸を片付け,かなりヨレヨレになった幼児絵本を片付け,マンガの塔を片付け。。。 そのような苦役を小一時間ほど継続した結果,発生した不用品はゴミ袋(70リットル)にして5袋,古本・古雑誌の束にして4束ほどにもなった。
なおまた,上記の作業過程において,アキラはそれまで後生大事に抱えていたマンガ本の一部を売却するという一大決心をしたようだった。理性のカケラが芽生えたのかどうかは知らんが,まことに殊勝な判断だ。それは『サイボーグクロちゃん』(横内なおき・作)というタイトルの少年コミック11冊である。日頃,雑誌やマンガ本を次々に読みまくっているばかりで,本の扱いは乱雑で丁寧に片付けることを全くといっていいほどしないアキラゆえ,彼が所有するマンガ本は売却に値する良い状態のものがほとんどないのが実状だ。この『クロちゃん』にしても,各巻ともかなりのヨレや折れ曲がりがあって商品価値をすこぶる低下させている。ただし唯一の救いは全11巻(完結)の揃い物であることだ。
でもね。いずれにしろ決心するということは大事なことだよ,アキラ。 ヒトは何もかもすべて抱え込んだままでいる訳にはいかないんだから。サヨナラだけが人生さ。よし。売ると決めたら,少しでも高く売れるように,さぁ,「お化粧直し」をしなくっちゃ。というわけで,アキラはそれらのマンガ本をまとめて和室に運び,1冊1冊を丹念に点検しながら,シワを伸ばし,汚れを払い,古本値札が付いていればハガロンで剥がし,書き込みがあれば消しゴムで消し,そして全部をチェックし終えると,納戸から手提げ付き紙袋を持ってきてそれにきちんと詰め込んだ。以上の一連の工程はアキラとしても以前にも経験したことがあるため,今回もそれなりに手際よく作業を行っていたようだ。父は製造ラインの監督官のごとく,単に傍観するのみであった。よしよし。
マンガ本は以前にも何度か近所の古本屋に売っている。その時の経験では,我らが貧民の友「ブック・オフ」の場合,少しでも汚れや折れ曲がりがある本はほとんど値段が付かない(買ってくれない)ことが多かった。そのため,少々遠方にはなるが,買い取り価格が多少は高いであろうと予想される古本屋(小田原にある「復活書房」という店)まで,後日休みの日にでも車で出掛けることにした。
で,当の日曜日,遠路ハルバル店に到着するとアキラはさっそく『クロちゃん』を紙袋ごと買い取りカウンターの上にヨイショッ,とばかり元気よく置いた。これ,売りたいんですけど! ところが,対応した店員の若いニーチャンは,こちらが差し出した本の束をササッと一瞥すると,即座ににべもなくこう言い放った。「ウーン,本の汚れ具合とウチの在庫状況からすると,ま,1冊5円ですね。どうします?」
ったく。どうしますもないもんだ。その言葉を聞いてアキラはとたんに失意の表情を浮かべた。奈落の底に突き落とされたような深い悲しみ,といってよいかも知れない。エーリッヒ・ケストナー描くところのババアの絶望,ではなかった,コドモの絶望である。イッタイ・ボクノ・ドコガ・イケナイト・イウノダロウ? 結局,父の助言を受け入れてその店での売却は断念することにした。自助努力がちっとも報われない世界,自らの積極的価値判断や希望的観測がいとも簡単に否定される社会,そういった不条理から子供らは何を感じとってゆくのだろうか。
しかしながら,その日に関しては,帰りがけにモスバーガーに立ち寄ってお気に入りのキンピラライスバーガーやモスチキンを食べ,それで何とか事なきを得た。何にせよ,食べ物はアキラをてきめん元気にさせる。
そんなアキラの一連の行動を不憫に思った父は,「クロちゃん本」の全巻セットをインターネットオークションに出品してあげようと提案した。これまでのネットオークション経験から見積もれば500円くらいでなら買い手がつくような気がしたが,出品価格は少々控えめに300円に設定した。まぁ,古本屋ではたった55円(5円×11冊)としか評価されなかったマンガ本だし,ダメモトじゃないか,というわけで。
オークションの出品期間は1週間である。出品後,2日目にして早くも300円の入札が1件あった。よし,これは幸先がいいゾと思っていたら,その後は全く価格が動かず,とうとう最終日になってしまった。オークションの終了時間は午後9時過ぎである。その昼間,2件目の入札があり,510円にまで上昇した。そして,終了15分前には1700円にまで吊り上がった。さらに,間際になって2名が競り合いを続け,価格はどんどん上昇し,終了時間も延長を続けてゆく。ヲイヲイ,少々オカシナ状況になってきたゾ。その若干2名の意地の張り合いは,それこそ永遠に続くように思われたが,結局,延長50分ののち最終的には,な,な,何と 4100円で終了した。
その間,アキラはパソコンのディスプレイ画面を時々眺めながらほとんど「アタマ真っ白状態」の様子でありました。御菓子とゲームに囲まれた楽園の王子さまにでもなっていたのかも知れない。至福の50分間。地道な努力は時としてそんな形で報われる(もちろん報われないことも多々ありますがネ)。
事の顛末はこうである。先月のこと,土曜日の午前にタカシとアキラを二階の子供部屋に招集した父は,彼らに対して次のようにキビシク言い渡した。
「さてと。もうじき新年度なるのだから,君たちもここらで心機一転,このいいかげん《ゴミ屋敷状態》になっている部屋のなかのガラクタの数々を,さあ,今すぐ片付けなさ~い!」
具体的には,各自の勉強机の上面やその周辺部に置き去りにされたままで山のように溢れんばかりになっている雑多なモノタチを,まずは一旦すべて取り除いてしまう。そして,改めてそれらのモノを片ッ端から逐一点検し,これは是非とも大事に保管しておく必要があると認めた物品については,本棚に入れたり,ボックスファイルに入れたり,ダンボール箱に入れたりして然るべき場所にキチンと整理する。それ以外のモノは,たとえば既に使わなくなったオモチャなどは誰か適当な人に差しあげるかオークションに出品するか,あるいは思い切って捨てる。同じく不用な本や雑誌は売り払うかまとめて資源ゴミに出すか,あるいはそれらも思い切って捨てる。保留とか先送りとかチョットマッテとかは一切認めません。古い教科書やドリルも然り,童話や科学本も然り,マンガも然り,攻略本も然り!
父が発するタダナラヌ勢いに気圧されたのか,二人とも碌々口答えもせず,そそくさと各自の所有する「宝の山」に向かうと,それらを端から順番に切り崩しにかかった。家にいる時は基本的にナマケモノ(Choloepus didactylus)がジャージ着てマンガ本片手にゴロゴロしているのを身上とする少年たちにとって,それはかなり難儀な作業であるように思われた。墨痕鮮やかな習字の下書きの大束を片付け,いずれの御時のものかも判然としない古いドリルやプリントの大山を片付け,ほんの一時のナグサミモノであったに違いない雑誌付録や学習教材の大森を片付け,まさしくゴミ!としか言いようのないプラスチッキーな玩具の残骸を片付け,かなりヨレヨレになった幼児絵本を片付け,マンガの塔を片付け。。。 そのような苦役を小一時間ほど継続した結果,発生した不用品はゴミ袋(70リットル)にして5袋,古本・古雑誌の束にして4束ほどにもなった。
なおまた,上記の作業過程において,アキラはそれまで後生大事に抱えていたマンガ本の一部を売却するという一大決心をしたようだった。理性のカケラが芽生えたのかどうかは知らんが,まことに殊勝な判断だ。それは『サイボーグクロちゃん』(横内なおき・作)というタイトルの少年コミック11冊である。日頃,雑誌やマンガ本を次々に読みまくっているばかりで,本の扱いは乱雑で丁寧に片付けることを全くといっていいほどしないアキラゆえ,彼が所有するマンガ本は売却に値する良い状態のものがほとんどないのが実状だ。この『クロちゃん』にしても,各巻ともかなりのヨレや折れ曲がりがあって商品価値をすこぶる低下させている。ただし唯一の救いは全11巻(完結)の揃い物であることだ。
でもね。いずれにしろ決心するということは大事なことだよ,アキラ。 ヒトは何もかもすべて抱え込んだままでいる訳にはいかないんだから。サヨナラだけが人生さ。よし。売ると決めたら,少しでも高く売れるように,さぁ,「お化粧直し」をしなくっちゃ。というわけで,アキラはそれらのマンガ本をまとめて和室に運び,1冊1冊を丹念に点検しながら,シワを伸ばし,汚れを払い,古本値札が付いていればハガロンで剥がし,書き込みがあれば消しゴムで消し,そして全部をチェックし終えると,納戸から手提げ付き紙袋を持ってきてそれにきちんと詰め込んだ。以上の一連の工程はアキラとしても以前にも経験したことがあるため,今回もそれなりに手際よく作業を行っていたようだ。父は製造ラインの監督官のごとく,単に傍観するのみであった。よしよし。
マンガ本は以前にも何度か近所の古本屋に売っている。その時の経験では,我らが貧民の友「ブック・オフ」の場合,少しでも汚れや折れ曲がりがある本はほとんど値段が付かない(買ってくれない)ことが多かった。そのため,少々遠方にはなるが,買い取り価格が多少は高いであろうと予想される古本屋(小田原にある「復活書房」という店)まで,後日休みの日にでも車で出掛けることにした。
で,当の日曜日,遠路ハルバル店に到着するとアキラはさっそく『クロちゃん』を紙袋ごと買い取りカウンターの上にヨイショッ,とばかり元気よく置いた。これ,売りたいんですけど! ところが,対応した店員の若いニーチャンは,こちらが差し出した本の束をササッと一瞥すると,即座ににべもなくこう言い放った。「ウーン,本の汚れ具合とウチの在庫状況からすると,ま,1冊5円ですね。どうします?」
ったく。どうしますもないもんだ。その言葉を聞いてアキラはとたんに失意の表情を浮かべた。奈落の底に突き落とされたような深い悲しみ,といってよいかも知れない。エーリッヒ・ケストナー描くところのババアの絶望,ではなかった,コドモの絶望である。イッタイ・ボクノ・ドコガ・イケナイト・イウノダロウ? 結局,父の助言を受け入れてその店での売却は断念することにした。自助努力がちっとも報われない世界,自らの積極的価値判断や希望的観測がいとも簡単に否定される社会,そういった不条理から子供らは何を感じとってゆくのだろうか。
しかしながら,その日に関しては,帰りがけにモスバーガーに立ち寄ってお気に入りのキンピラライスバーガーやモスチキンを食べ,それで何とか事なきを得た。何にせよ,食べ物はアキラをてきめん元気にさせる。
そんなアキラの一連の行動を不憫に思った父は,「クロちゃん本」の全巻セットをインターネットオークションに出品してあげようと提案した。これまでのネットオークション経験から見積もれば500円くらいでなら買い手がつくような気がしたが,出品価格は少々控えめに300円に設定した。まぁ,古本屋ではたった55円(5円×11冊)としか評価されなかったマンガ本だし,ダメモトじゃないか,というわけで。
オークションの出品期間は1週間である。出品後,2日目にして早くも300円の入札が1件あった。よし,これは幸先がいいゾと思っていたら,その後は全く価格が動かず,とうとう最終日になってしまった。オークションの終了時間は午後9時過ぎである。その昼間,2件目の入札があり,510円にまで上昇した。そして,終了15分前には1700円にまで吊り上がった。さらに,間際になって2名が競り合いを続け,価格はどんどん上昇し,終了時間も延長を続けてゆく。ヲイヲイ,少々オカシナ状況になってきたゾ。その若干2名の意地の張り合いは,それこそ永遠に続くように思われたが,結局,延長50分ののち最終的には,な,な,何と 4100円で終了した。
その間,アキラはパソコンのディスプレイ画面を時々眺めながらほとんど「アタマ真っ白状態」の様子でありました。御菓子とゲームに囲まれた楽園の王子さまにでもなっていたのかも知れない。至福の50分間。地道な努力は時としてそんな形で報われる(もちろん報われないことも多々ありますがネ)。