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小椋佳,《青春》のホロ苦い記憶としての

1999年03月18日 | 歌っているのは?
 一週間ほど前,NHK・ETVの番組『課外授業・ようこそ先輩』で,小椋佳 Ogura Kei が母校の小学校に出掛けて5年生の児童たちを相手に音楽の授業をやっているのを見た。サービス悪けりゃ イ・ノ・チ・ト・リ~,で昨今は有名なアノ小椋佳である。既に一将功成り名を遂げて今じゃ立派なご隠居さんの風情。頭髪は大部分が後退し,顔面には深い皺が数多く刻まれ,本格的ジーサンまでもう一息の御様子。それが,大勢の子供らを前にして実に楽しそうに,唄うことの喜びやら,歌を作ることの楽しさやらを滔々と講釈していた。

 で,またまた70年代の話を引き合いに出すことになるが,私が小椋佳の存在を初めて知ったのは島田陽子主演の映画『初めての愛』(1972年)でのことだった。確か横浜・馬車道の東宝会館あたりでその映画を観たような気がする。劇中の役どころは島田陽子がフェリスの女子高生で,志垣太郎が関東学院で(場内爆笑),もうひとりの岡田裕介は,さてどこのガッコーだったろうか? 今ではもう筋書きなどすっかり記憶から消え失せてはいるが,要するに従来の東宝路線の延長線上にあるお定まりの青春物,それにちょっぴり新感覚風の味付けをして,キレイナ映像でくるんで,若い男女3人の織りなす甘く切ないラブストーリーといった仕立てだったような気がする。やはり同じ頃,三浦半島・油壷の水族館付近を舞台にした栗原小巻と新克利と横内正との男女3人の似たような恋愛映画を観たように思う(そちらの方は各人とも少々トウが立ちはじめていたが)。当時,日本の青春恋愛映画においては西欧風の洒落た小綺麗な映像,クロード・ルルーシュとかフランソワ・トリュフォーとかの剽窃がハヤリであったのか知らん。

 島田陽子は未だハイティーンだったのかな,とても演技といえるようなシロモノではなく,初々しさだけで場を保たせていたような気がする。岡田裕介はさらにイモであった(役者を辞めて正解でしたね)。志垣太郎は少々マシだったかも知れない。そんななかで,いくつかのエピソードを締めくくるように挿入される小椋佳の歌だけが際立っていた。《木戸をあけて》とか《屋根のない車》とかj《少しは私に愛を下さい》とか《春の雨はやさしいはずなのに》とか。それらのフレーズは今でもかなり鮮やかに覚えている。

 ところでその頃,世間ではどんな歌が流行っていたんだろうか? 無理矢理イイカゲンに思い起こして列挙すれば,若年向けの歌に限って言うと,アイドルのオネエチャンたちは天池真理・小柳ルミ子・南沙織のトリオの天下で,オニイチャンの方もやっぱり御三家の西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎の3人と,それからもう少し年長では沢田研二・にしきのあきら・尾崎紀世彦あたりが元気だったのかな。さらに,60年代後半から続くフォークソング系列では,吉田拓郎・泉谷しげる・井上陽水,と概ねそんな所ではなかったろうか。

 そのような70年代初頭の日本の音楽シーンを彩る数々の“青春歌謡”のなかで,さて,自分はどのような歌を好み,どのような歌に感情移入し,どのような歌を心の糧にしていたのかと思い返すと,多分な~んにもマトモニ聴いてはいなかっただろうと思う。小沢昭一が「オジサンには歌が無い」と唄っていたのはその頃だったかな? いやいや,オジサンだけじゃなくワカゾウ(ちょっとヘソマガリのワカゾウ)にも歌は無かった。吉田拓郎あたりはいかにも成り上がり臭い押しつけがましい感情露出が鼻に付いたし。南沙織あたりは時に切ないくらいに心地よかったが(大岡昇平か,ワタシは),しょせん対岸の火事ならぬ隣のウツクシイ芝生であった。といって,中島みゆきあたりは未だ時到らず,雪深い北国で名も知れぬイナカムスメをやっている頃であったろうし,山崎ハコあたりも同じく西国のイナカムスメだったでしょうね。

 そんな中にあって,小椋佳の歌は,当時の私には非常に新鮮な歌として響いた。60年代の後半に東海ラジオ(?)かどこかで番組を持っていた頃の,まだほとんど無名であった荒木一郎 Araki Ichiro に感じた“青春の光と影”,その粗削りなところをより洗練させ,より内面へと深めたような発展形態を小椋佳の歌詞と旋律と声色とに感じた。ま,確かに抒情派でしょう。センチメンタル・ジャーニーでしょう。あるいはシラカバ派かな? 

 しかし,その時以来,私が小椋佳にのめり込むという具合には決してならなかった。逆に,そのような世界とは決然と袂を分かち,何を血迷ったかNHKラジオ第一放送なぞを熱心に聴き入るようになってしまったのだ。そして現在に至る。まぁ何とも面白味に欠ける変遷史ではあります。

 とまれ,ETVで禿げ頭のニコニコジーサンたる小椋佳の姿を懐かしく拝見していたら,何故だか急にジョルジュ・ブラッサンスGeorges Brassensの一節を思い浮かべたりしてしまうような現在なのである。それは,花屋に行くたんびに「リラの花」しか買わない悲しい男の歌で。青春とかいうもののホロ苦い記憶が,そんな風にして蘇る。
 

  Pauvre amour, tiens bon la barre,
  Le temps va passer par là,
  Et le temps est un barbare
  Dans le genre d'Attila.

  哀れな恋よ 上手く舵をとりなさい
  ほら 時がそこを通り過ぎてゆく
  それにしても“時”ってヤツは 野蛮だ
  まるでアッチラ族みたいに

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