ヤモリという小動物がいる。イモリではない。タモリでもない。アマモリでもない。トカゲの仲間の,レッキとした爬虫類である。あ,タモリは爬虫類か。。。なんてクダラヌ冗句はさておいて。。。 我が国には10数種のヤモリ類が産するとされているが,ここで話題とするのはニホンヤモリである。学名はGekko japonicus,漢字で書くと「日本家守」となる。
このヤモリが我が家には大変多く生息している。個体識別はしていないので,今現在トータルで何匹いるのかは不明であるが,恐らく10匹以上は棲みついているのではないかと思う。一度に見た最大は4匹で,それはまるで爬虫類の館におけるヤモリの夜集会のような光景であった。
正確に申せば彼らは我が家の敷地内(家屋の外回り)に多く生息しているということであって,何もハエ・カ・ゴキブリのように家の中にまで入り込んでいるわけではありません。ただし,ごくまれに窓を開けたときに何かの拍子でポロリと室内に入り込んできて,そのまま慌てて家具の隅などにサッと隠れてしまい行方不明状態となったヤモリ君たちもこれまでには何名かおりました。彼らがその後無事に屋外に出ることができたかどうか,その行く末がちと心配ではある。
それにしても,築25年のかなり草臥れたこんな古家を気に入って下さっているのか,と少々嬉しくもなる。あるいは古家だからこそ彼らにとっては居心地がいいのかな。とにかく家の周りの壁面のあちこちにへばりついている。夜行性ゆえ,昼間に見ることはあまりなく,大体が玄関前の常夜灯の周辺の壁にいることが多い。「家庭玄関」と「仕事場玄関」の双方にいるが,どちらかといえば家庭玄関の方が多いような気がする。双方とも玄関周りの外観形状,壁面の材質,外灯の種類はほぼ同じなので,これは周辺環境,すなわち被覆植生のヴォリュームならびに敷地外(表の道路側)に対する隠蔽レベルなどが影響しているのだろうと思う。もともとヤモリはさまざまな害虫を捕食する「益獣」であり,そのことによりこの築25年の我が家を守ってくれているのだと思えば当方としてもお互い共存・共生するにヤブサカではない。ただ,こちらの勝手な要望としては,ときおり散見されるシロアリなんぞを食べてくれたりすると大変有難いのだケレドモ。。。
さて,一昨日のこと。
夜の11時過ぎ,戸締まり確認のために家玄関の方から表にでると,玄関前のコンコースの壁面に1匹のヤモリが蛾を咥えてジッとしていた。餌食になっていたのはヤガ(夜蛾)の仲間で,恐らく ソトウスグロアツバHydrillodes lentalisだと思うが,蛾類については当方門外漢ゆえ,あるいは間違っているかも知れない。
そもそも,我が家に棲みついているヤモリにも大小さまざまな大きさの個体が存在するのだけれども,その夜に蛾を咥えていたヤモリ君はかなり小さい方に属し,一方,捕らえられたアツバちゃん(と取りあえず言わせていただく)の体はかなり大きな方に属するもので,体躯の大きさの比較で見れば,両者の関係はかなりアンバランスに思われた。そのため,ヤモリ君としてもとりあえずパクリとやったはいいが,すぐにモグモグ食することが出来ずに,その大きすぎる獲物を咥えたままで,さてどうしたものか。。。 と,壁面にへばりつきながらじっと悩んでいる様子だった。一方,囚われの身となったアツバちゃんは,弱々しく羽根をバタバタさせてもがいているものの,既になかば観念した様子だ。南無三。 あれまぁ,自然界における食物連鎖Food Chain(食う食われるの関係)もなかなかに大変だなぁ,などと思いつつ,こちらもヒマなものだから,しばし成りゆきを観察していた。
と,そのとき。捕らえられたアツバとおそらく同種の蛾が突然どこからか飛んできて,そのヤモリに向かって瞬時体当たりを喰らわせたのだ! それはまさに奇襲攻撃といっていいくらいの電光石火の早業で,ヤモリの体にガツンと一発カマした後,再びサッとどこかに消えてしまった。ヤモリの方は不意打ちに驚いたのか,思わず壁から手を放して真下のタイルの三和土へと落下してしまい,そして,咥えていたアツバを口から離すと,大慌てで闇の彼方へと逃げ去っていった。
で,そのあとに,くだんの特攻隊員がふたたびその場に戻ってきて傷ついたアツバちゃんに寄り添って介抱したりすれば,ああ,なんと麗しい同胞愛! 美しい友情物語よ! といったストーリー展開になるはずであったが,残念ながらそうそう上手くはまいりません。哀れアツバちゃんは,三和土の上でピクピクしながら,やがて息絶えてしまったようだ。すべては秋の夜のつかのまの夢物語のごとし,でありました。
それにしても,先ほどの体当たりは何だったのだろうか,と改めて考えてしまう私なのであった。単に「本能」といっただけではすまされない。「生命力」とも違う。「遺伝子」などとは言いたくない。 ハズカシナガラこの年になってもいまだによくわからないのだが,セルジュ・レジアニSerge Reggianiが歌うように,生きるということは愛することなのか? 中原中也Chuuya Nakaharaが歌うように,愛するということは奉仕することなのか? デモデモ。。。 そもそも,生きるって,何だ?
このヤモリが我が家には大変多く生息している。個体識別はしていないので,今現在トータルで何匹いるのかは不明であるが,恐らく10匹以上は棲みついているのではないかと思う。一度に見た最大は4匹で,それはまるで爬虫類の館におけるヤモリの夜集会のような光景であった。
正確に申せば彼らは我が家の敷地内(家屋の外回り)に多く生息しているということであって,何もハエ・カ・ゴキブリのように家の中にまで入り込んでいるわけではありません。ただし,ごくまれに窓を開けたときに何かの拍子でポロリと室内に入り込んできて,そのまま慌てて家具の隅などにサッと隠れてしまい行方不明状態となったヤモリ君たちもこれまでには何名かおりました。彼らがその後無事に屋外に出ることができたかどうか,その行く末がちと心配ではある。
それにしても,築25年のかなり草臥れたこんな古家を気に入って下さっているのか,と少々嬉しくもなる。あるいは古家だからこそ彼らにとっては居心地がいいのかな。とにかく家の周りの壁面のあちこちにへばりついている。夜行性ゆえ,昼間に見ることはあまりなく,大体が玄関前の常夜灯の周辺の壁にいることが多い。「家庭玄関」と「仕事場玄関」の双方にいるが,どちらかといえば家庭玄関の方が多いような気がする。双方とも玄関周りの外観形状,壁面の材質,外灯の種類はほぼ同じなので,これは周辺環境,すなわち被覆植生のヴォリュームならびに敷地外(表の道路側)に対する隠蔽レベルなどが影響しているのだろうと思う。もともとヤモリはさまざまな害虫を捕食する「益獣」であり,そのことによりこの築25年の我が家を守ってくれているのだと思えば当方としてもお互い共存・共生するにヤブサカではない。ただ,こちらの勝手な要望としては,ときおり散見されるシロアリなんぞを食べてくれたりすると大変有難いのだケレドモ。。。
さて,一昨日のこと。
夜の11時過ぎ,戸締まり確認のために家玄関の方から表にでると,玄関前のコンコースの壁面に1匹のヤモリが蛾を咥えてジッとしていた。餌食になっていたのはヤガ(夜蛾)の仲間で,恐らく ソトウスグロアツバHydrillodes lentalisだと思うが,蛾類については当方門外漢ゆえ,あるいは間違っているかも知れない。
そもそも,我が家に棲みついているヤモリにも大小さまざまな大きさの個体が存在するのだけれども,その夜に蛾を咥えていたヤモリ君はかなり小さい方に属し,一方,捕らえられたアツバちゃん(と取りあえず言わせていただく)の体はかなり大きな方に属するもので,体躯の大きさの比較で見れば,両者の関係はかなりアンバランスに思われた。そのため,ヤモリ君としてもとりあえずパクリとやったはいいが,すぐにモグモグ食することが出来ずに,その大きすぎる獲物を咥えたままで,さてどうしたものか。。。 と,壁面にへばりつきながらじっと悩んでいる様子だった。一方,囚われの身となったアツバちゃんは,弱々しく羽根をバタバタさせてもがいているものの,既になかば観念した様子だ。南無三。 あれまぁ,自然界における食物連鎖Food Chain(食う食われるの関係)もなかなかに大変だなぁ,などと思いつつ,こちらもヒマなものだから,しばし成りゆきを観察していた。
と,そのとき。捕らえられたアツバとおそらく同種の蛾が突然どこからか飛んできて,そのヤモリに向かって瞬時体当たりを喰らわせたのだ! それはまさに奇襲攻撃といっていいくらいの電光石火の早業で,ヤモリの体にガツンと一発カマした後,再びサッとどこかに消えてしまった。ヤモリの方は不意打ちに驚いたのか,思わず壁から手を放して真下のタイルの三和土へと落下してしまい,そして,咥えていたアツバを口から離すと,大慌てで闇の彼方へと逃げ去っていった。
で,そのあとに,くだんの特攻隊員がふたたびその場に戻ってきて傷ついたアツバちゃんに寄り添って介抱したりすれば,ああ,なんと麗しい同胞愛! 美しい友情物語よ! といったストーリー展開になるはずであったが,残念ながらそうそう上手くはまいりません。哀れアツバちゃんは,三和土の上でピクピクしながら,やがて息絶えてしまったようだ。すべては秋の夜のつかのまの夢物語のごとし,でありました。
それにしても,先ほどの体当たりは何だったのだろうか,と改めて考えてしまう私なのであった。単に「本能」といっただけではすまされない。「生命力」とも違う。「遺伝子」などとは言いたくない。 ハズカシナガラこの年になってもいまだによくわからないのだが,セルジュ・レジアニSerge Reggianiが歌うように,生きるということは愛することなのか? 中原中也Chuuya Nakaharaが歌うように,愛するということは奉仕することなのか? デモデモ。。。 そもそも,生きるって,何だ?