七月の路上に捨てる。。。 って訳にもいくまいし

2012年07月13日 | 自転車ぐらし
 先週末のこと,自転車で少しばかり遠くまで出掛けたときに,久し振りでパンク・トラブルを経験した。

 それは鎌倉方面に所用で出向いた帰路の出来事で,時刻は夜の8時過ぎ,場所は自宅まであと4kmほどの所,乗っていた自転車は毎度毎度のオンボロMTB(愛車ナレドモ名無しのゴンベ)でありました。昼過ぎからずっと走り回っていたせいで私自身のオンボロ体躯のほうも大分ヘバッテいたものだから,幹線道路ではなく裏道,裏道をえらんでノンビリ走っていたのだが,盆地に入って秦野赤十字病院の近くに差しかかったとき,急に後輪からキュッキュッキュッという音が鳴り始めたので,おかしいなぁと思って自転車を止めて点検してみると,何とパンクでした。「パンク大魔王の降臨」なんて どこぞのお仲間慣用句が思わず口に出るくらいに,アチャー,という感じだった。もうちょっとでウチに辿り着くところだったというのにぃ! あー残り4kmが恨めしい。

 かつて,クロスバイクによく乗っていた頃には,出先でパンクすることが時々あったのだけれども(それでも年に1~2回程度か),MTBをメインバイクにしてから後は,幸か不幸か,ほとんどパンクすることはなくなった。これはメカニカルな手作業が不得手な私にとっては大変嬉しいことであった。MTBで遠出をしているときにパンクしたのは,確か3~4年前に足柄峠方面で一度あったきりだ。それ以外には盆地内の曽屋原工業団地で一度パンクしたことがあったが,そのときは自宅まで1kmかそこらの場所だったので押し歩きで家に戻り,翌日ユックリと修理したことだった。ちなみに,これはあくまで一般論でありますが,工業団地エリアの道路というのは路肩にさまざまなヤバゲモノ(les detritus industriels)が吹き溜まりのように産卵もとい散乱していることが往々にして認められるので,そこでの自転車走行はなかなかに気が抜けない。参考までに申し述べれば,そのときのMTBパンク現場は日本スチールウール(株)工場前の路上でありました。あ,単に事実を述べているだけであって,個別の事案についての具体的検証はここでは差し控えますケレドモ。。。 恐らく偶然に過ぎなかろう。いや,きっと偶然でしょう。しかり,断じて偶然であると信じたい。。。 

 話を戻して。さて,どうしようかナ。って,取りあえずパンク修理するしかないでショ。というわけで,明かりのある適当な場所を探しておもむろにお店を開き,早速作業にとりかかろうとした。しかし,ここで致命的な失態をやらかしていることに気がついた。すなわち,パンク修理セットに入れてあったイージーパッチ(Panaracer製)が劣化していて全く使い物にならなくなっていたのだ! 替えチューブもそのときは持参していなかった。ここ最近はずっとパンクとは無縁の自転車生活を過ごしており,加えてその日はおもに平地の市街地走行であったため,ついつい油断をしていたのだ。あぁナサケナヤ。駄目じゃん,自分。

 自転車を赤十字病院の駐輪場にでも一晩止め置きして,取りあえずは徒歩で帰宅し,明日改めてチューブ持参で修理に出向く,という選択肢も考えられなくはなかった。しかしながら,そのときは重量7~8kgほどの大事な荷物をフロント・バッグとリア・キャリアに分散して運んでおり,おまけに履いていた靴はかなり草臥れたSPDシューズだったし,それらの重荷を抱えて4kmの道のりをカチャカチャ靴を鳴らして歩き続けるのはいかにも難儀であろうことは明らかだった(タクシーで帰るなんぞという選択肢は全く御座いませんでした)。それで,覚悟を決めて自転車を押しながら家まで帰ることにした。フロントに2灯,リアに3灯のライトを点灯・点滅させてユックリ・ノンビリと押し歩いた。押し続ければ着くんじゃね?ってヤツですかね。道中すれちがう散歩人や自転車人は,それぞれ訝しげに胡散臭げにこちらを一瞥するのでありました。なかには大仰に驚いた表情で何か言おうとする老人などもおったりして。 どうも~,決してアヤシイ者ではございません! とも言えず,伏し目がちに淡々と歩を進めるのみだった。湿気をタップリと孕んだ生暖かい夜の空気のなかを重い自転車を押しながらトボトボ・ヒタヒタ歩き続けるという行為は,たとえそれが4km限定であるとはいえ,既に日中に体力をかなり消耗した身にとってソレナリニ辛いと言えば辛い試練の道であった。 私ハ一体何ヲヤッテイルノダロウカ? 夢ガ枯レ野ヲ駆ケ巡ッテイル,ノダロウカ? 孤立無援,天涯孤独。艱難辛苦,臥薪嘗胆。 あぁ,こんなときに決まって思い浮かぶ歌がある。


  Tout nu dans ma serviette qui me servait de pagne
  J'avais le rouge au front et le savon à la main
  Au suivant au suivant

  J'avais juste vingt ans et nous étions cent vingt
  A être le suivant de celui qu'on suivait
  Au suivant au suivant

  J'avais juste vingt ans et je me déniaisais
  Au bordel ambulant d'une armée en campagne
  Au suivant au suivant

  ・・・・・・・・・・

  Un jour je me ferai cul-de-jatte ou bonne soeur ou pendu
  Enfin un de ces machins où je ne serai jamais plus
  Le suivant, le suivant!


 そうだ。夜のパンク修理といえば遙か昔の苦い思い出がある。

 まだ20代の頃,愛知県・渥美半島の赤羽根町というところの畑の中の一本道を夜中にひとりで走っているときに,愛車が突然パンクしてしまったことがあった。そこは初めて通る道だった。ちなみにそのときの愛車は自転車にあらずして自動車(汗),車種はZ,と申してもフェアレディZにあらずして中古のホンダZ(爆)でありました。何分にも免許をとってまだ1年かそこらの時期で,パンク修理を自分ひとりで実際に行うのもそのときが初めての経験だった。

 季節は初夏,農道の傍らで駐車スペースを見付け,蛾やら甲虫やらカメムシやらウンカやら沢山の夜行性昆虫が乱舞する灯火に照らされる下で,それこそ初めて目を通す車両取扱説明書と首っ引きで,時間をかけてあれこれ試行錯誤しながら苦労してタイヤ交換を行ったという次第である。ごくたまにクルマが猛スピードで傍らの農道を走り過ぎるほかは周囲に人ッ気はまったくなかった。夜空には満天の星がきらめき,付近では絶え間ないカエルの大合唱。孤立無援とはこのことか,などと思いながらも,汗をかきかき額を紅潮させle rouge au front ただただ作業に没頭するしかなかった。湿気をタップリ孕んだ夏の夜の熱気のなかでそのような試行錯誤を続けていると,やがて自己存在が希薄となって宵闇に吸い込まれていくかのごとくであった。私ハ一体何ヲヤッテイルノダロウカ? さよう,個体発生は系統発生を繰り返す,ではないか,歴史は繰り返す,ってことだ。

 そう,ジンセイなんて所詮パンク修理みたいなもんでしょう。そんなことを,かつてルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインも言っていなかったダローカ? (え,言ってない?)
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 若葉青葉の季節に《扇状地》... | トップ | 山麓地における自転車徘徊の... »
最新の画像もっと見る

自転車ぐらし」カテゴリの最新記事