何事もなかったかのように(笑)
何と約2年間の空白。
その間に、当たり前ですがいろいろなことがありました。
前の記事からの繋がりで言うと
江田島出身の父は昨年末に永眠し、闘病中ずっと付き添っていたにもかかわらず
聞きたかった話は聞くことができず
でも、いままでは聞いたことのなかった話を聞くことができた。
広島のマツダスタジアムには毎年行って3年目。
2年目、3年目は8月6日を広島で迎えた。
今年の8月6日は、広島市内で53年ぶりに公式戦が行われた日だったそうだ。
試合はボロ負けだったにもかかわらず、何だか特別な雰囲気があった。
今年の3月11日に、いろいろなことが大きく変わり
それまでの世界とはまったく違う世界になったように思う。
父の死からこちら、これからの生き方について今までより深く考える時間が増えていた
そんなときに起こった3月11日。
起こって欲しくないことが、次々と起こってくる中
未来に対して、どうしても悲観的になってしまうけれど
21年前に長男が生まれたとき
世の中が明らかに破滅へ向かっている、そんな中で新しい命を生み出してしまった罪深さに
毎日泣いていた私に、夫が言ったひと言を今改めて思い出す。
「僕たちにできることは、何でもしていこう。」
何と約2年間の空白。
その間に、当たり前ですがいろいろなことがありました。
前の記事からの繋がりで言うと
江田島出身の父は昨年末に永眠し、闘病中ずっと付き添っていたにもかかわらず
聞きたかった話は聞くことができず
でも、いままでは聞いたことのなかった話を聞くことができた。
広島のマツダスタジアムには毎年行って3年目。
2年目、3年目は8月6日を広島で迎えた。
今年の8月6日は、広島市内で53年ぶりに公式戦が行われた日だったそうだ。
試合はボロ負けだったにもかかわらず、何だか特別な雰囲気があった。
今年の3月11日に、いろいろなことが大きく変わり
それまでの世界とはまったく違う世界になったように思う。
父の死からこちら、これからの生き方について今までより深く考える時間が増えていた
そんなときに起こった3月11日。
起こって欲しくないことが、次々と起こってくる中
未来に対して、どうしても悲観的になってしまうけれど
21年前に長男が生まれたとき
世の中が明らかに破滅へ向かっている、そんな中で新しい命を生み出してしまった罪深さに
毎日泣いていた私に、夫が言ったひと言を今改めて思い出す。
「僕たちにできることは、何でもしていこう。」