DOM戦車工房 おいぼれ日記

たわいない、読んでもためにならない、そんな日記です

佛立本旨講妙應寺 水谷導師 説法のご紹介

2022年07月21日 | 日記

ツイッターで紹介されている日蓮宗ご住職の法話チャンネル。
毎日とてもよいお話をアップされているのでご紹介したい。

ちなみにこの導師、私の高校時代の恩師(故人)に似ている気がして親しみを感じてしまう。

”国法なき国葬に断固反対” 今、声を挙げずして、いつ声を挙げるのだ

2022年07月21日 | 日記
ドイツ・ルター派牧師 マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩(Wikipedia引用)
ニーメラー牧師は、反ナチ運動組織告白教会の指導者
 
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私(教会)は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私(教会)は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私(教会)は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私(教会)を攻撃したとき 私(教会)のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
 
私の記憶では、この詩を耳にしたのは、かなり前、教会の説教中だったと思う。そして元詩の「私」を「教会」と読み替えて紹介された覚えがある。声を挙げるべき時に声を挙げなかったとしたら、いざ声を挙げなくてはと覚悟した時にはもう遅いのだということを教えてくれる、いや警告する詩として私の心に残っている。
 
今、日本では、安部元総理大臣の銃撃事件に端を発して自民党他多くの議員と家族連合(旧統一教会)の問題がクローズアップされ、また岸田現総理大臣が閣議決定により安部元総理の国葬を強引に実施しようとしている。これに対して私は断固反対の意思を表明する。国葬の法的根拠云々については議論があるところで、岸田総理は、Yahoo news(7/16 楊井人文弁護士)によれば、以下のように要約される発言をしている。
 
 岸田首相は7月14日の記者会見で、内閣府設置法において、内閣府の所掌事務として定められている「国の儀式」として、閣議決定をすれば実施可能との見解を示した。法的根拠については、事前に内閣法制局と検討したことも強調した。
 たしかに、内閣府設置法には、所掌事務を定めた第4条第3項第33号に「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)」との規定がある。
「国葬」とは明記されていないが、「国の儀式」の一種として行い得るということだ。岸田首相は儀式であることを強調するためか、「国葬儀」という言葉を繰り返し使っていた。
 
国葬は極めて重大な国家行事となる。戦前の国葬法が廃止され、法律に明示はされていないものの、同記事で、筆者は次のように述べる。
 
 たしかに、「国葬」と明記された法律は存在しない。ただ、「国葬」と明文で規定した法律があるかどうかと、政府がそうした儀式を実施するための法的根拠があるかどうか(適法かどうか)は、別問題だ。
 
 例えば、毎年8月、政府主催で終戦の日に行う「全国戦没者追悼式」も、明文の法律規定があるわけではない。これも閣議決定により行われている。東日本大震災の追悼式も閣議決定により行われている。これらに一つ一つ、明文の法律規定はあるのか、との議論は聞かれない。誰も開催自体に異論がないためだ。
 
一部政党(れいわ新撰組)が、国葬法は戦後廃止されていることを反対理由にしているため、私も同意だと思っていたものの、上記の記事を目にすると、戦没者追悼式等の実施に関する閣議決定との兼ね合いからは反対根拠が脆弱であると認めざるを得ず、あとは国民の意向によるということになる。
 
私の反対理由は、現内閣の一方的な閣議決定にある。先の戦没者追悼式等に比べれば世論に国葬に対する異論がないどころか、世論を二分する意見の相違があると思う。そして現与党である政府自民党が今回の参議院選挙に圧勝したことを好いことに強引に閣議決定で推し進め安部元総理を神格化しかねない政治手法が見え隠れすること、要は政治家が信頼できないからだ。加えて今回の事件の核心に、政府与党ならびに一部野党の議員に統一教会との根深い癒着構造があるからだ。この問題を清算し、問題点を明らかにし改善しなければ現政権、与党に対する不信感は拭えないし、私は支持しない。

自殺に至る時点ではほとんどの人は病気状態だと思う

2022年05月12日 | 日記
お笑い芸人の上島竜兵さん自殺との報道、何とも悲しい。どんな人であれご本人の心境は他人のうかがい知れないものだと思う。傍目には華やかに見え経済的な問題も無いように見えても実際のところは分からない。一緒にいる家族でされ助けることも出来なかったのならなおさら。ただ家族と言えども理想的な家族がどれほどいるのであろうか、人は誰しも自分以外の人間の本当の気持ちなど計り知れないものである。だいいち自分自身の心さえも正確に表すことさえ難しいと私は思うのだ。自殺にまで追い込まれる心境にしても、また人を殺めることにおいてもその時点では正常な精神状態とは言えないはずだ。自殺に至るケースのほとんどはその時点ではもう病気だと思う。病人は自分の病気を自分で治すことは出来ない、周りの誰かが引き戻すか包み込んで物理的にでも死に至らぬようにするしかない。それでも神の手でもあるまいし四六時中監視保護できるわけではない、そういう状態に至らぬうちに寄り添い守るしかないがこれがまた現実は難しい。何とも言い難く悲しい現実はいつの世も無くならない。

ふと思い立って近場の海岸に行ってみた。玄海灘だと思っていたら響灘だった。







タンポポは可愛い花です

2022年05月07日 | 日記
散歩道にたくさんタンポポを見かけるようになりました。タンポポは子供の頃から馴染みのあるどこにでも咲いてる花ですね、黄色と緑は好きな色です、心が和みます。

ところが現実世界に目を向けてみるときな臭い話が目に付きます。ロシアのウクライナ侵攻に勢いを得た魚みたいにやたらと防衛費拡大とか憲法改正とかを声高に叫ぶ政治家たちが目に付くようになりました。憲法も本当に改正になるならばそれでもいいと思いますが、実際は理想的すぎる現行憲法を改正する余地などないと思ってます。憲法は元々為政者の権力から国民を守るためのもの、緊急事態に乗じて独裁権力を認めることなど論外です。歴史を顧みれば古今東西権力者の詭弁と策略で民衆が気付いた時には既に遅し、基本的人権さえも奪い取られて為政者の意のままになり声も出せなくなってしまうことは枚挙にいとまがありません。権力を掌握した為政者は独裁に走ります、人間の支配欲は原罪のようなものでしょう。他人を自分の意のままにしたい、自己中心の心は誰にでもあるものです。だからこそ国家権力が暴走する術を託してはならないのです。曰く、戦後アメリカから押し付けられた憲法である、国を守るための軍隊を明記すべきである等々。自衛隊は今のままでいいのです、これまでも憲法解釈という釈明で存在を認めて来たではありませんか。違憲状態が続いてもそれはそれでやむなし、果て亡き軍備拡張を是認するような憲法にしてしまうよりもましです。私はそう思う。為政者は民衆の気持ちなど忖度してはくれません。ものの言えるうちにものを言い、考えるべき時に考え声を出すべきです。少なくとも選挙に行かないという愚行だけは避けましょう。選挙に言っても行かなくても同じ、自分一人くらい何のたしになるのか?などと考えると為政者の思うつぼです。民衆が無関心というのが為政者の得につながるのです、長い物には巻かれろ、寄らば大樹の陰、でいると結局自分自身や祖先に禍根を残す羽目になります。戦前の日本に回帰してはなりません。





春なのに日本の先行きを危惧する今日この頃

2022年04月29日 | 日記
ずいぶん暖かくなった。水仕事が楽になって助かる。
いつもの散歩道もツツジがきれいに咲いている。
春の穏やかな季節になったなと思う。



それにしても今話題のウクライナ情勢、TV報道を見るかぎりではロシアによる侵略戦争で日本は西側諸国と強調してロシアへの経済制裁、ウクライナへ援助姿勢を打ち出しているが日本の姿勢は西側諸国(NATOを中心として)一辺倒で良いのだろうかと不安になる。アメリカを中心とするNATO(北大西洋条約機構)は軍事同盟。NATOに加担するとなればロシア側からすれば敵に加担することに他ならない。ウクライナと同様に日本も(陸続きではないにしろ)国境を間近に接しておりいざロシアからの侵攻を受ければひとたまりもない地理的条件下にある。ウクライナ侵攻に関しては侵攻が始まるまでのロシアとウクライナの関係を十分理解した上でないと(TV報道だけでは)偏った味方しか出来ない。確かに民間人への無差別攻撃を伴うロシア侵攻は人道的に非難されるべきものだ。しかしながら西側諸国の発表に基づく報道を鵜呑みにするのも危険である。ウクライナ侵攻は決して対岸の火事ではない。ロシア、中国は近き隣国である、日本政府はもっと賢い外交(いわばずる賢く立ち回る、インドなど見習う点もあろう)を志向すべきである。

ロシア侵攻により多くのウクライナ難民が諸国に逃れており日本にも少なからず非難してくる人たちがいるが、この方々をめぐって様々な非難(外国人擁護よりも自国民福祉を優先せよ)であったり難民への処遇(住居、生活費、学習保証等)に不満を述べる例もあるが、困った時はお互い様、寄留の他国人を擁護せよとの聖書の言葉もある、このような時にこそ困窮する外国人を助けることこそが将来的な国家安全保障の礎となり外交上の先行投資でもあると思う。

ロシアを甘く見てはいけない、先の敗戦時、日本が降伏するや否や千島列島はじめ満洲等不可侵条約を破棄して侵攻し、多くの日本人をシベリア抑留した経験もある。北方4島どころか北海道さえもロシアの領土だと言うロシア高官さえいる、もちろんロシア人全てがそうとは思わないが手強い隣国であることには違いない。

中国も同様だ。尖閣列島問題をはじめ、国力の増大に伴い軍事力強化は見過ごせない。ただ思うのは、民間人レベルで中国残留孤児を保護し育てられたような優しい国民性があることは十分考慮に値すると思う。われわれ日本人はこのようなことが出来たであろうか。ウクライナ難民に限らず他国の寄留者を擁護せよとの言葉は心に刻んでおかねばならない。