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ドイツ・ベストセラー・ウォッチングと翻訳日記

ベストセラーの向こうにドイツの今が見えてくる

小学館独和大辞典のこと(4)

2010年11月29日 20時01分21秒 | 独和大辞典

(承前)
原稿との引き合わせ校正が終わり、原稿を忠実に再現した(はずの)初校ゲラは編集委員の先生方にまわされる。
それまでカード単位で見ていたものが、アルファベット順に並べられると、当然その見え方も変わってくる。記述の訂正・修正の赤字だけでなく調整の赤字も入ることになり、ゲラはどんどん赤く青く、カラフルな彩りに染まっていく。また、執筆要項や組版要項も必要に応じて変更が加えられ、それに応じた赤字も入っていく。
そんなふうにして、編集委員の方々の赤字が出そろったところで、ゲラは印刷所に戻され、活字がまた一本一本拾われては差し替えられていく。
そして再校ゲラの出校となる。

再校の校正
今のようなコンピュータ組み版の場合は、原則として修正の赤字の箇所だけを引き合わせていけばよいが、活版組みの場合は、そう単純ではない。
赤字部分を原稿引き合わせのときと同じように一字一句見くらべていくのはもちろんだが、活版の場合は、活字の差し替えによって赤字のない部分でも移動が生じれば、それによる誤植が生まれる可能性があるのだ。この場合の誤植とは誤字ではなく、文字通り植字の誤り、つまり、文字が横を向いたりひっくり返ったり、隣の文字と入れ替わったり抜け落ちたりと、さまざまなことが起こりうるのである。
したがって校正者は、赤字のみならず、赤字のないところもすべての文字を眼で追っていくことになる。要は、これもまた初校のゲラに記されている情報が再校ゲラに忠実に再現されているかを確かめていくということである。
さて、そうした赤字の引き合わせ校正が終わったところで、再校時にはもう一つの作業がある。素読み校正である。
この素読み校正の基本は、引き合わせ校正で見落としたところがないかどうかを、文意を取りながら点検することである。それまで、一枚一枚の葉っぱしか見ていなかったものを、枝にまで視野を広げて見ようというわけだ。(樹木および森の全体像は編集委員の方々がご覧になっている)
しかし、「文意を取りながら」とは書いたものの、相手は辞書である。通常の書籍のような流れのある文章ではなく、まず見出し語があって、発音記号が来て、品詞や変化形の表示があって、以下に語義・語釈が並び、ドイツ語の例文が続きその訳例が添えられ、末尾に語源が控えている。これをすべて理解しながら読み進めるのは口で言うほど簡単ではない。また、辞書としての体裁を整えるための「組版要項」なるものもきっちりと頭にたたき込み、「組版要項」違反がないかどうかにも目を光らせなくてはならない。ただ漠然と「読みました、なんとなくわかりました」では済ませられないのである。
(以下、不定期に、つづく)


小学館独和大辞典のこと(3)

2010年11月06日 13時50分43秒 | 独和大辞典

小学館独和大辞典初版は活版組みだった。活版最後の辞書と言われたものである。

入稿の始まったのが1979年頃、完成が1984年(奥付の刊行年は1985年)であるから、ちょうど、活版組み版からコンピュータ組み版への過渡期にあたる。活版と言っても、活字で組み上げたもので直接印刷するわけではなく、清刷→製版→刷版→印刷という工程になる。

ただ、文字組みは、あくまで1本1本の活字を並べていくわけで、その労力たるや現在のコンピュータ組み版の比ではない。特に2ヶ国語辞書の場合、和文と欧文の混植になり、欧文活字も本文用(これにもローマン体とイタリック体の2種類がある)のほかに見出し用、発音記号用などが加わる。そしてさまざまな記号・約物類も。
さらに、和文活字というのは画数の多い漢字も平仮名も基本的に同じ大きさで造られているが、欧文活字は文字によってその幅が異なる。
こうした諸々の条件が入り交じって、和欧混植の文字組みというのは煩雑きわまりないものとなるのである。それを、手作業で1本1本並べていくのだ。

さて、そんなふうにして組み上げられたものは、版画の要領でインクを盛られて試し刷りされた「ゲラ刷り」となって校正者のもとにまわってくる。字詰めと行数行間を決めただけのいわゆる「棒組み」状態で、1枚の紙に2段(つまり仕上がりの1ページ分)組まれている。なお、この段階の文字の大きさは、仕上がり時より大きい。上述の製版の段階で仕上がり寸法に縮小するのである。

そのゲラ刷りに入稿原稿が添えられてくる。単語1語につき1枚(以上)のカードがあてがわれ、当然原稿は手書きである。しかも、すでに何人もの手が入り、書き直すたびにインクの色を変えたりしているので、実にカラフルだ。
原稿執筆者は皆さん楷書で書いてくださるとはかぎらない。くせ字もあれば達筆もある。書き直しに次ぐ書き直しで、引き出し線や挿入指示が入り組んで、どれがどこにつながるのかじっくり眼で追わなければわからない場合もある。

校正者の仕事は、そんなカラフルで迷路のごとき原稿がゲラ上に活字となって忠実に再現されているかどうかを1文字1文字確認していくことである。左に置いた原稿と右にあるゲラ刷りとのあいだの首振り運動が延々と続くのだ。
この確認作業で要求されるのは、まずは原稿を正確に読み取ること。そして、ゲラに文字を組み上げるまでに起こりうるあらゆるミスを見逃さない注意力である。いかに印刷所の方々が熟練していようとも、人間がやることである以上、何らかのミスは起こりうる。
実際に、初校時に校正作業による赤字はそう入るものではない。しかし、そのめったいにないミスを見逃すと、取り返しのつかないことにだってなりかねないのだ。

繰り返しになるが、初校段階では、特に活版の初校段階では、書かれていることの内容よりも、まずは原稿を忠実にゲラ上に再現することが最優先なのである。
(以下、不定期に、つづく)


小学館独和大辞典のこと(2)

2010年10月14日 00時24分02秒 | 独和大辞典

この辞書(小学館独和大辞典)の良いところは、何と言っても基本語彙の用例の豊富さである。
大学を出たばかりで、この辞典の校正の仕事に従事した当初は、なぜ、こんなにもやさしい用例ばかり、それも似たようなものをこまごまと載せるのだろうと、訝しく思ったものである。
仮にも大辞典である。初学者のための辞典ではない。「木村・相良」(博友社の独和辞典)や「シンチンゲル」(三修社新現代独和辞典)で学んで来た者が、それ以上のものをと手にするにはあまりに「初級者向け」っぽいつくりではないか――そんなふうに思ったものだ。(実際、品詞の表示などは「初学者」っぽい)
ところが、日々原書と向きあい、いろいろな書き手の文章を読むようになって、これほどありがたい辞書はないと思うようになった。微妙なニュアンスの違いが実によく分かるのである。
ドイツ語は小文字だけで書かれた文章を訳すのがいちばんむずかしい、というようなことを大学時代に聞かされた。ご承知のようにドイツ語は、固有名詞だけでなく普通名詞も頭文字を大文字にするので、「名詞を使わない文章」という意味である。
例えば、haltenの項目にSie hat sich gut gehalten.という例文が載っている。文字どおりに訳せば、「彼女は自身を良い状態に保ってきた」だが、この辞書の訳例は「彼女は年齢の割には若さを保っている」とある。
私の辞書に下線が引いてあるところから、これと似たような文がどこかに出て来て、文脈にぴしゃりとはまる訳例だったということであろう。
もっとも、都合のいい訳例が出て来たから、それでよしとしてしまうと、思わぬ落とし穴にはまることもあるので、念のために、この項目の記述全体に目を通しておく必要がある。
haltenの項目は全5段分ある。見開き2ページプラスもう1段、半端な量ではない。
当然アタリをつけながら目を通すことになるが、ひょっとすると、このアタリのつけかたに熟練を要するので、それがこの辞書の「上級者向け」たる所以になっているのかもしれない。


小学館独和大辞典のこと

2010年10月09日 14時51分46秒 | 独和大辞典
自分が校正業務に携わっていたこともあり、翻訳にあたっては
もっぱら「小学館独和大辞典」を愛用している。

現在、第2版が出ているが、私が使っているのは初版の机上版。
1985年の刊行だから、もう25年も経ったことになる。
文字どおり、机の上でしか使わないから、そんなに傷んでもいない。

実は、第2版(1999年刊)のほうは勤務先で使っているのだが、
コンパクト版ということで文字が小さいうえに、欧文書体が初版にくらべ読みにくく、
頻繁に引くにはちょっとつらいところがある。
初版で使われていた、Times New roman という書体は実に読みやすい。

さて、私は、この初版を、仕事とはいえ、最初から最後まで2回半、目を通している。
「半」というのは、初校時の途中まではまだ校正者の一人でしかなかったからで、
アンカーを任されるようになってからは、再校時と三校時に、2700ページのものを
それこそ最初から最後まで、精読した。
辞書であるから、見出しを始めとして、発音、語釈、用例、訳文、語源すべてに
目を通すことになる。

こうなると、門前の小僧なんとやらで、いやでも、ドイツ語の知識は身についていく(はずである)。
校了直後は、どのページのどのへんにどんなことが書いてあったか、ありありと思い出せたほどだった。
が、人間の記憶などあてになるものではない。
だんだんとあやふやになり、今では、正確を期すためにと同じ単語を何度も引くようになってしまっている。

翻訳にまつわるブログをと始めたが、
折にふれて、この辞典の思い出話も綴ってみようかと思っている。