(Op.20250325 / Studio31, TOKYO)
その頃のぼくと水口イチ子の音楽趣味は、クラスの中では異端だった。
当時、音楽を好きか嫌いかと言ったら、そりゃあティーンエイジャーなのだから大方の高校一年生なら好きだと答えただろう。さらに邦楽と洋楽のどちらが好きかと問えば、まだまだGSブームの名残で、邦楽好きが多かった時代、洋楽一辺倒はクラスでは精々二割ほど。そんな洋楽好きにしても、本当にそれが好きなのか嫌いなのかよくわからず、時流に乗ったサイケデリック・ミュージックをファッションのように聴いているに過ぎなかった。
もちろんぼくとイチ子もその手の音楽が嫌いなわけではなかったが、せいぜいクラスで仲間はずれにならない程度に、それこそファッションとして聴いているようなものだった。
その頃のぼく達の会話というと、音楽以外なら『月刊ガロ』に掲載される鈴木翁二の作品やアートシアターギルド製作の映画についてだったり、あるいは幸田露伴や梶井基次郎、織田作之助やレイモン・ラディゲの小説についてだったりした。
また、例えば夏休み、新宿東口にあった風月堂に入り浸っていると、古井戸の仲井戸麗市や南正人、それに早川義夫や植草甚一などを遠目に見ることが出来た、そんな時代だった。
本当のことを言うと、ぼくは、荻窪、阿佐ヶ谷、三鷹、吉祥寺あたりの古本屋を巡りながら、丹羽文雄が主催していた『文学者』の作家達や、当時既にとぼけた風貌で人目を惹いた詩人・金子光晴などの文人と偶然道ですれ違ったりする方が、自分の文学に対するモチベーションが上がるのが感じられて、何よりも好きだった。
ある日、
「これ、どう?」と言って、イチ子が一枚のアルバムをぼくに見せた。タイトルは "The Kinks Are The Village Green Preservation Society"。ザ・キンクス —— 英国四大バンドのひとつだ。
当時流行りのサイケデリック・ミュージックが扱う、ドラッグだのセックスだのという題材に辟易していたぼく達が、『キンクスは村の緑地保護組合』というタイトルに食いつかないわけがなかった。曲調はタイトルが示すとおり、サイケデリック・ミュージックとは、まさに対極にあった。それが理由で、発売当時、商業的には世界中で大苦戦を強いられたアルバムだった。
だが、それから五十年、それは、その後のキンクスの代表アルバムとなったばかりか、多少マニアックな意見であるような気もしないでもないが、『ロック史上における十枚の重要アルバム』の内の一枚とも言われているようだ。
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夕食後、食器を片付けるイチ子さんのキッチンのオーディオから "The Village Green Preservation Society" が思いもよらず久し振りに聞こえてきた。
「安い輸入盤のCD見つけたから買っちゃった」と彼女は、当たり前のものを当たり前に買ったような口振りで告げるのだった。
【The Kinks - The Village Green Preservation Society】