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「死を恐れるのは人間だけ」

2023-07-23 16:40:53 | Noble
「死を恐れるのは人間だけ」…
サル研究者が“タイの森の中”で見た「驚きの光景」
人の死生観を形づくるもの
【現代ビジネス 豊田 有氏 2023.06.19】
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チンパンジー研究者の西江仁徳氏は、チンパンジーの研究を元に彼らの死生観について、「チンパンジーは死なず、ただ消え去るのみ」 と表現しています(公開シンポジウム「ライフヒストリー:サルとヒトの誕生・成長・死」より)。
ここで言う「死なず」というのは、正確には「文化的・社会的に意味づけられた死は存在しない」という意味です。
日常的に集まったり散らばったりして暮らしているチンパンジーの社会において、出会うときには定型的な挨拶があるものの、別れる際の明確な挨拶はないといいます。
昨日なんの気なしに別れた相手とその後二度と出会うことがなくても、それがなにか大きな問題になることはありません。
よって、再び出会った個体とは挨拶をし、関係を維持しようとしますが、もう会わなくなった個体との関係はそこで断絶してしまうのです。たとえそれが死別であったとしても、です。

儀式を通して「死」を実感する

一方の我々人間は、出会いと別れの挨拶を明確にもっています。それは、日常的な出会いと別れという短期的なものから、命の誕生から死別までという長期的な視点に立ったものまで、様々です。
そして、死による別れの挨拶の役割を担っていると捉えることができるのが、死者を弔う儀式です。

日本人の場合であれば、誰かが亡くなると親交のあった者が集まって葬式を執り行います。儀式の形態は習慣や民族、宗教によって異なりますが、人類の祖先も弔いの儀式を行なっていたことは遺跡の発掘調査などから明らかになっています。
儀式という別れの挨拶があって、はじめて我々はその人の「死」を実感するのです。
私と、多くの「行方不明」になったサルたちとの間には、別れの挨拶は存在しませんでした。それは、サル同士でも同じです。
ある時を境にいなくなった個体がいても、他の個体はそれを気にかける素振りはありません。彼らにとって、それは単に「いなくなった」だけであり、「死」と結びつく現象ではないのです。

「死」を恐ろしくする性質

我々が恐れる「死」とはなにか
こうして動物の死生観をもとに考えてみると、我々人間の「死」の理解や概念の形成は、死者との別れの挨拶、つまり死者を弔う儀式の存在が大きな役割を果たしているのではないかと考えられます。
そして、なぜ我々が「死」を恐れるのか、というヒントが見えてくるような気がします。

当然ながら、死別における別れの挨拶は、遺された者から死者への一方的なものです。死者から遺された者に挨拶をすることはできません。
この一方向性こそが、「死」を恐ろしく感じる根源ではないでしょうか。
自らに最期の時がやってくるのは数十年先かもしれないし、来年かもしれないし、あるいは明日かもしれません。
「死」のタイミングは自分で支配することができないという予測不能性と、最後に他者と別れの挨拶ができないという無念さ(一方向性)が「死」の恐怖の克服を困難にしている一因かもしれない、と思うのです。

豊田 有氏:1990年生まれ。京都大学大学院理学研究科生物科学専攻(京都大学霊長類研究所)博士後期課程修了、博士(理学)。現在、日本学術振興会・特別研究員CPD(国際競争力強化研究員)、タイ国立霊長類研究センター・アライアンスリサーチャー。2015年にタイ王国に野生ベニガオザルの長期調査拠点を構築、以後継続的に調査を実施している。研究テーマはマカク属の社会進化、オスの繁殖戦略、社会行動など。著書に『白黒つけないベニガオザル:やられたらやり返すサルの「平和」の秘訣』(2023年1月・京都大学学術出版会)。

☆ブログ筆者:人類のその生きる意義は「死」の自覚をいつも持って生きる
       ことと、「自立した、ひとりでも寂しくない人間」を目指す
       こと。
       決して「1%の支配層」の奴隷にならないことである。
       

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