Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

学而時習之 不亦説乎、 有朋自遠方来 不亦楽乎

2009-01-29 21:03:59 | 日々の徒然
見にくいのでコピペして他の部分で読むことをおススメします。

(昨日、記事を書き終えて、そのまま、パソコン切って寝てしまったら
どうやら、「投稿」するのを忘れていたみたいですね・・・アホ。
遅くなりましたが、記事upさせていただきます。)

小手先で申し訳ないのですが、ちょっと調べたことを書いてみます。不備が多いとは思いますので、ご専門の方、いらっしゃったらご意見をお願い致します。

●「江戸名所図会」について

▼まずは、「国史大辞典」より、基本的なことを。

「江戸名所図会」
江戸及びその近郊の絵入り地誌。
編者は斎藤幸雄(長秋)、幸孝(県麻呂・莞斎)、幸成(月岑)の父子三代。
画は長谷川宗秀(雪旦)。
天保五年(1834)・天保七年(1836)刊。
七巻二十冊。
版元は江戸の書肆 須原屋茂兵衛・同 伊八。
斎藤家は、神田雉子町の名主であったが、文事に関心が深く、
まず幸雄が寛政年中(1789-1801)に江戸府内および近郊を実施に調査して
草稿を作成、寛政十年五月に幕府の出版許可をうけた。
しかし、この時は実際には出版されず、幸雄は翌十一年に没し、
子の幸孝がその業を継いだ。
幸雄は、はじめ北尾重政画の挿絵であったのを長谷川雪旦に変更し、
幸雄の草稿にさらに校訂を加え、また新たに江戸近郊部分を補修するなどしたが、
やはり出版を実現させぬままに文政元年(1818)に没した。
幸成は祖父・父の遺稿にさらに校訂を加え、ついに天保五年に三巻十冊、
同七年に四巻十冊を刊行した。
内容は、巻一に武蔵および江戸の名義、江戸城の沿革、ついで
日本橋・神田・京橋・芝の地域をおさめ、巻二は東海道に沿って
品川・大森から南は金沢までを記してある。
以下方角的には、右廻りに主として街道に沿って江戸府内から
遠く西は多摩郡の府中・日野、北は浦和・大宮、東は市川・船橋にまで及び、
江戸名所図会とはいいながら、実際には武蔵名所図会とも称すべきものである。
記事は神社・仏閣・古蹟名所を挙げ、その現状・沿革を述べてあるが、
すべて実地調査にもとづくもので、史料的価値が高い。
さらに、この書の価値を一層高からしめているのは雪旦の絵で、
実地の写生にもとづく精密な描写は、文章に表現しきれない当時の
景観や風俗を知るうえでの好史料とされている。
本書の成立を窺うに参考となるものに、幸孝の実地調査記録である
『郊遊漫録』(国立国会図書館蔵)および『武蔵見聞録』(東京都立中央図書館蔵)や、
幸成の日記『斎藤月岑日記』(東大史料編纂所蔵)がある。
『有朋堂文庫』、『大日本名所図会』二、『日本図会全集』一期一~四、
『角川文庫』
などに収められている。
(村井益男氏による)

▼「国史大辞典」には、「名所図会」の項にも、
「江戸名所図会」についての記述がある。
一応、その記述も載せておく。

「名所図会」
江戸時代後期以降に盛んに刊行された、
寺社・旧跡・地名・景勝地などの由緒来歴や、
街道・宿駅・河川などの案内を平易に解説し、
実景描写の挿絵を多数加えた地誌。
名所図会は名所記と同様に「名所」を冠して刊行されてはいるが、
本来的な概念である歌の「名所(などころ)」という範疇を越え、
寺社・旧跡などまで含めた案内地誌として成立した。
名所図会の系譜は中川喜雲『京童』や菱川師宣『江戸雀』などの
挿絵入りの「名所記」にさかのぼれるが、
名所記が文芸的、物語的叙述を中心に構成されているのに対し、
名所図会は事物の来歴などを客観的に記述し、しかも挿絵は、
絵として鑑賞にたえるほかに地理的説明図となっていて、
名所案内としての役割と至便さが、名所記にくらべ大きく異なっている。
そのうえ、名所図会が地域別・方面別に名所を配列するなど、
工夫された編集が取られることが多く、
巡覧・巡拝者の増加とその需要に応じて刊行されたことを物語っている。
「名所図会」を冠した出版は、
安永九年(1780)刊の秋里籬島著・竹原春朝斎画の『都名所図会』六巻十一冊
をもってその稿矢とする。
本書は公刊当初から爆発的売行きをみせたといい、
本書に倣った同類の名所図会が多数刊行されることになった。
名所図会の発行期は大別すると、
寛政から文化初期の第一期と天保期以降の第二期で、
この両期の谷間にある文化・文政期の刊行は、
再版はあるものの概して少ない傾向を示す。
江戸幕府の出版統制政策と関係があるものと思われる。
また、名所図会の刊行の隆盛は、時期を同じくして流行のみられる
狂歌師と名所絵、浮世絵版画家と名所絵、戯作者と名所案内記などとの
相互の作品ジャンルに影響を与えあった。
名所図会は明治期以降にも刊行されているが、
印刷技術の発展や旅行目的の多用化、形態の変化から、
近世期のそれとは性格を異にした。
なお名所図会を集成したものとして、
『大日本名所図会』二十冊、『日本名所風俗図会』十九冊などがある。
(鈴木 良明氏による)

  
というわけで、以上の分と、私的に調べたものをあわせると、
活字として、「江戸名所図会」を見ることができるのは、以下の通り。

【↓年代順。★印は翻刻。☆印は影印。印のないものは不明。】

①★『江戸名所図会 一~四』 四冊(有朋堂文庫:有朋堂書店) 1911-1917年
②『大日本名所図会 第二輯 第3-6編 江戸名所図会』
  四冊(大日本名所図会刊行会)1920-1922年
③★『江戸名所図会 一~四』 四冊(有朋堂文庫:有朋堂書店) 1927年
④★『日本図会全集 一期一~四 江戸名所図会 』四冊(吉川弘文館) 1928年
⑤『日本図会全集 第1期 第1~4巻』
  四冊(吉川弘文館:日本随筆大成刊行会)1928-1929年
⑥★『江戸名所図会』六冊(角川文庫:角川書店)1966-1968年
⑦『江戸名所図会』三冊(人物往来社)1967年 ※大日本名所図会刊行会本の複刻版
⑧『日本名所図会全集1~4 江戸名所図会 』四冊(名著普及会)1975-年
  ※『日本図会全集』(日本随筆大成刊行会昭和3年刊)の複製
⑨★『新版 江戸名所図会』三冊(角川書店)1975年
⑩☆『名所図会叢刊6~11 江戸名所図会 』六冊(新典社)1979-1984年 
  ※大和屋文庫蔵本1~3の複製
⑪★『新訂江戸名所図会1~6』六冊(ちくま学芸文庫:筑摩書房)1996年
⑫おそらく☆『原寸復刻江戸名所図會』三冊(評論社)1996年 
  ※石川本→石川英輔所蔵本(石川英輔氏に関しては→wiki )


関連で。
自筆草稿本・・・江戸名所図会画稿『新編稀書複製会叢書. 第45巻』(臨川書店)
      『江戸名所図会画稿』和装本(複製) 稀書複製会編(米山堂) 1923年 

その他、参考文献として、
以下のものに「江戸名所図会」についての詳細な記載があると思われるが、
未読のため、書名のみ列挙しておく。

川田寿著 『江戸名所図会を読む』 (東京堂出版)1990年
 同   『江戸名所図会を読む 続』(東京堂出版)1995年
杉本苑子 『東京の中の名所図会』(文春文庫:文藝春秋) 1996年等

次に、
原本について、
諸本は、大きく天保5-7年版と、明治26年版とに分かれる。
ここで、「国書総目録」の「江戸名所図会」の項には次のようにある。

「 江戸名所図会 七巻二〇冊 [別名] 東都名所図会 [分類]地誌
[著者]松濤軒斎藤長秋(幸雄)著、長谷川雪旦(宗秀)画 
[成立]文政一二年自序、天保五-七年刊
[写本]東大史料(十九冊)、日比谷東京(稿本、一冊)
[版本]
 天保五-七年版―
 国会・内閣・静嘉・東洋岩崎・宮書・東博・大阪市大福田・
 大谷・岡山大池田・学習院・京大・慶大・国学院・芸大美術・
 東大・東大史料・東北大狩野・日大・一橋大・北大・早大・
 大阪府・京都府・日比谷加賀・福井松平・福島・宮城小西/伊達・
 浅野・岩瀬・果園・金比羅・桜山・楂荂・神宮・鈴鹿・尊経・
 大東急・高木・竹清・天理・阪急池田・無窮神習・祐徳・
 陽明(巻六・十二・十三欠)・延岡内藤家・旧三井・江戸川乱歩
 刊年不明-
 千葉・刈谷・島原(九冊)・豊橋・鈴鹿・旧彰考・旧蓬左
 活版―
 大日本名所図会二・日本図会全集 一期一-四・有朋堂文庫
* 明治二六版あり。                」

→但し、これに限らず。また、図書館・文庫名は簡略化してある。
 (例国会→国立国会図書館、静嘉→静嘉堂文庫。宮書→宮内庁書陵部 など。)

・・・・個人蔵の「江戸川乱歩」っていうのがスゴイ
  ここに宮本さんの名前も書き加えねば・・・・


さて、ここで国立国会図書館蔵の「江戸名所図会」
 (→以下、国会本。)について。
「国書総目録」には天保五-七版が、あるとの書誌情報が記載されているが、
データベースには、以下の分しか出てこない。
(デジタルアーカイブで公開されているのも明治二十六年版。)

 「国書総目録」の記載が間違っているのか、
国会図書館が、別に天保五-七版を所蔵しているがデータベースに載せていないのは、定かではないが、ひとまず、国会図書館では明治二十六年版しか見ることができないと考えておいた方がいいかもしれない。

 一応、国会本20冊目巻末を見ておくと、


 -------部分以降(1丁分)が、明治二十六年版にのみ存在すると思われる部分。
「国史大辞典」にあったように、
①が、天保五年に三巻十冊として出版した部分、
②が天保七年に四巻十冊として出版した部分について書かれてある。



③により、明治二十六年に“博文館”より出版されたことが伺える。
④は、広告。

この辺りを見て、後刷りかどうかを判断してもらえば良いと思う。

本文については、データベースの注記には
“天保5~7年刊(須原屋伊八蔵版)の後刷”とあるので、
須原屋が持っていた版木を“博文館”が買い取って出版したという意味であれば
(本当にそうなのかわからないけれども、
おそらくきちんと調査されて出された結果と仮定するならば)、
明治二十六年版も、天保五-七版と変わらないということになる。
しかし、角川文庫版の例言には、
「底本には木版初摺本と後摺本の両者を用い、図版は前者から採り、
本文は原著者による改訂を施された後摺本に拠った。」とあるらしく、
やはり初摺本と後摺本で違いがあるような書き方をされているので、
この辺りは両本を比べた研究などを参考にしてもう少し考えてみる必要が
あると思われる。

で、
結論としては、
「天保五-七版」と「明治二十六年版」の違いを調査した上で、
両者の特徴をわきまえつつ利用することが重要なのであるが、
原本を見ることができない場合、もしくは、簡便に利用したい場合は、
⑩の大和屋文庫蔵本1~3の複製などが利用できる。
国立国会図書館蔵の電子史料においても、
明治二十六年版としての認識を持ちながらであれば、利用できる。
翻刻においては、より新しい時代に出版されたものの方が、
より吟味されていると思われる。
(個人的な経験から言えば、有朋堂文庫は、翻字にミスが多いのと
 底本が明らかにされていないことなどをもって、あまりおススメできない。)
⑪は、校訂本であるならば、
おそらく版本による異同なども記載されているであろうと思われるので、
両者を簡単に比較できるのではないかと考える。

以上、「江戸名所図会」を利用する際の注意を、簡単にまとめてみました。

ちなみに、「天保五-七版」は、「国書総目録」によると日比谷図書館にもあるみたいなので、
こちらは、一般の方でも閲覧できるのではないでしょうか???


ということで、長くなりましたがこの辺で


9 コメント

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Unknown (たき)
2009-01-29 21:41:36
おお。専門的。すてきです。
きっと閑話休題さんの役に立つことでしょう。

さて、ド素人かつ日本史アレルギーの私の場合が、「なるべく手軽かつ経済的に宮本さんの気持ちを疑似体験する」ために眺めるとしたら、ちくま学芸文庫あたりがいいのでしょうか?

あれ? 宮本さんが持っているのってどの版なんでしょう? あと、いったいおいくらくらいするものなのでしょう?(宮本さんはどのくらいのお金を出したのかなという、単なる興味です。)

はっ。初コメントで質問ばかり。お忙しいところ、すみません。もちろん、おわかりの範囲でお願いいたします……。
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Unknown (たき)
2009-01-29 21:43:52
ありゃ、文章おかしかった……。投稿する前に気づけないのはなぜでしょうね。すみません。
返信する
たきさん☆ (noriko)
2009-01-29 22:14:06
こんばんは。
コメント、ありがとうございます

そうですね。。。「ちくま学芸文庫」あたりから始められたら、よろしいのではないかと思います(って、何様なんだか私、持っていないんですけどね)
もし、それで興味を持たれたら、他の翻刻や複製のものを見てみたら、いかがでしょうか???国会図書館では、ネット上で明治26年版も見ることができますし

宮本さんは、「天保五-七版」と「明治二十六年版」どちらなんでしょうね???私も気になるところです

価格も、わからないですね~
結構(相当?)高いでしょうね、きっと。。。予想ですけど、大体、近世の版本が一冊2~3万くらいが相場なので、それが20冊と考えれば・・・・それに「江戸名所図会」の価値が、どれくらい付くのかわかりませんが・・・

うーん、どうなんでしょ???やっぱり、和本は買ったりすることがないもので、私にはわかりかねますあんまり、適当なこと言ってもアレですし・・・。
お役に立てず、スミマセン

返信する
あ。 (noriko)
2009-01-29 22:24:06
近世の版本、
2~3万くらい、って書きましたけれど
もちろん、もっと安いものもあります

幕末の文法書なんかですと、一冊、一万以内で買えるものもありますし。。。いろいろです。画とか入ってくると、ちょっとお高めな感じがします。(←個人的にそう思います)
返信する
Unknown (閑話休題)
2009-01-29 23:56:52
あ、たきさんがいる。
ちくまは高そうだったから角川買ったんだけど、古すぎで赤茶けてた。ちくまは読み易そう。ちくま復刻してほしいなあ。

norikoさん、本当にありがとうございます。貴重な時間を、本当に申し訳ないですね

私も宮本氏がこれの本物を持っているということの凄さがやっとわかってきた気がします 江戸川乱歩と肩並べちゃうのかなー

日比谷図書館の話、昔宮本氏がしてたことありましたね。ホームレスがどうとか。
ここでなら私も本物見れるかな?と思いきや、日比谷図書館、移転で三月いっぱいみたいですねー。かなり急がないとなー

この記事に関係あるかな?と思える記載が角川文庫の解説にありました。
『 第一冊・第七冊・第十一冊の後刷に於ける改刻・新加の存することより、本書に重版の行われたことが知られるが、二十冊の版行終了後に行われたのか、前後十冊が別々に行われたものなのか判然としないが、奥付に変更を見ない点より判断して後者であろう。前半十冊に増刷の行われたことは、馬琴の書簡に「本多く出まじく存じ、仲ヶ間入銀売りにいたし候つもり、右入銀高ほどすり込、製本いたしうり出し候処、存候より評判よろしく、多く売れ候故、只今本出来合無之、来月ならでは間に合かね候より申来」(天保五年二月十八日付)とあるのでそう推定してよいであろう。』

私の理解だと(手紙の意味はよくわからないのですが)この角川文庫版でいう初摺と後摺というのは、先に刷られたものと当時重版された時に改訂されたもののことを言うのかなと思ったのですがどうなんでしょうね??(というか、norikoさんに教えてもらわなきゃそうとしか考えなかったと思います)
私は最初本文が後摺ということでデータベースとは相性がいいのかなと思ったんですが、もしかしたら摺られた時期にはずれがあるんでしょうかね?それとも後摺≒明治版と考えても大丈夫なんでしょうか?

どちらにしろ、そういうところを意識した方がいいってことなんですね。ちょっとだけ前進できた気がします。ありがとうございました
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おー!! (noriko)
2009-01-30 00:56:21
な、なるほど~!!
そういう意味だったんですか!!

馬琴、伊八!!
なるほど!!

ちょっと、今から別記事で書いてみます
返信する
スミマセン。。。 (noriko)
2009-01-30 03:54:30
何だか良くわからないまま消えちゃってスミマセンでした
私のコメント・・・・意味不明ですね

やっと、先程、記事upしてみました
よかったらご参照までに
(読むのが苦痛になりましたらスミマセン)

閑話休題さん
ありがとうございました
とっても勉強になりました。
そして、楽しかったです

角川文庫の解説で、理解できました
ピンポイントで抜き出してくださったところ、さすが、と思いました
文章入力するの大変じゃなかったですか???
ご苦労がしのばれます・・・・
ありがとうございました

また、ざっくばらんに参りましょうね~
返信する
Unknown (閑話休題)
2009-01-30 22:23:08
この分量の文章入力くらい、norikoさんが書いてくれた記事には比べものになりません
返信する
Unknown (noriko)
2009-01-30 22:48:30
いやいや、大変だったのではないかと・・・
・・・って言っててもキリがないですね
じゃぁ、どちらもお疲れ様
ということにしておきましょうか
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