Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

夜の物思い。

2011-10-15 01:31:12 | 日々の徒然


こんばんは。


今朝書いた
「伊豆の踊子」

かなり
うろ覚えでしたね。



ふと
思い出して書いたので
確認もできず

失礼いたしました。


断片的に
印象深い言葉だけ

記憶していたんだろうなぁ
と思います。




雨の音を聴きながら

今日の
雨の音は
なんだろう。

しとしと。。。

じゃないな。。。


と考えていたときに


ととんとん・・・

って
聞こえたような
気がしたのでした。



中学生の頃は
「伊豆の踊子」
の雰囲気しか
つかめていなかったのだろう

思うけれど


でも、

今は


物語の「私」と踊り子の
気持ちが

少し


もう
少しだけ

わかるかもしれないな
って思ったりしました。



環境的にも

性格的にも

私は

本当に

あまり人と深く関わることを
してこなかったので

でも

きっと
人と関わりたいな
という気持ちは

ずっと
あったのだと
思うけれど

だから

人の想いって

どういうものなのか

わかっているようで
わかってなかったんだろうなぁ


思います。


本に囲まれて

ずっと
過ごしてきて。


でも
そこに書かれてる

例えば
和歌だとか

そこに込められた想いが

自分の感覚として
わかっていなかったなぁ


思います。

物語は

ストーリーがあるから

少しは
感情移入できるところも
あるけれど

やっぱり
和歌は

そこまで
入り込めなかったと
思います。


でも

今は

和歌が

そこに込められた
想いが

きらきら
輝いて


私の心に
まっすぐ
入ってくるように

なった。


瑞々しく

まるで
生きているかのように。




物語も

そこに生きている人たちが

もっと
はっきり
動き出して


もっと
鮮やかになった。



そして、

ブログを書き始めた

最初の頃にも
少し

書いたと思うのですが、


とても

自分が
生きている

という感じがします。


今も


自分の
目の前に

たしかなものは
何もなくて

その気持ちが

本当に
正しいのかどうかも

危ういところは
あるのだけれど。



でも、
そうだと

私は
思う。


自分が

感じることは

はっきりしていて。


だから

嬉しいときは

とても
嬉しくて。


全てのことが
輝いて見えて。


悲しいときは

とても
悲しくて。


もう
立ち直れないくらい

落ち込む。



苦しいけれど

でも

愛しい。


そういうことを

毎日
毎日

繰り返しています。



「 海に臨める城の上に

   王は宴を催しつ。」




悲しみの
ためいき。



私の
好きな人は

悲しげな歌を
歌う。




私は

ここに

生きているのに。




「 物狂ほしくもなれるかな、

  あはれわがこの頭。

  ちぎれちぎれになりしかな、

  あはれわがこの心。 」