Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

人間の証明 2

2014-03-09 20:25:36 | 日々の徒然

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 棟居が四歳の冬のことだった。この日、棟居は、駅の前で父の帰りを待っていた。
夕方一定の時間に勤めから帰ってくる父を迎えに行くのが棟居の日課である。
 父は、いもやとうもろこしでつくった弁当を棟居のためにつくってから、家を出る。
夕方まで、棟居はたった一人で留守番をしているのである。当時はテレビもまんがの本もない。
暗い部屋で、ただ父の帰る時間だけを待ち焦がれてうずくまっているのだ。
 父は危険だから迎えに出てはいけないと言ったが、夕方、駅へ迎えに出るのが幼い彼にとって
唯一の楽しみだった。改札口から出てくる父の姿をいち早く見つけると、棟居は子犬のように
飛んで行って、その手にぶら下がる。父は必ず、彼のためにおみやげをもってきてくれた。
来てはいけないと言いながらも、棟居が迎えに出ていると父は喜んだ。
 みやげはいもでつくったまんじゅうであったり、豆でつくったパンであったりした。だが、
それが棟居にとって最高のご馳走であった。それらのみやげものには、父の手のぬくもりが
あった。
 それから家へ帰るまでの語らいが、父子のいちばん幸福な時間だった。父は、棟居が舌足らずの
言葉で、ただ一人で留守をしている間のさまざまな冒険を語るのを目を細めて聞いた。
 迷い込んで来た野良猫を追い払った話、乞食が来て家の中を覗きこんだ時の恐ろしかった経験、
隣のヨシ坊の家へ行って出された菓子の美味かったこと、そんなとりとめもない話が次から次に
つづくのを父は、そうかそうかと全身で慈しむように聞いてくれた。
 父がいつもの時間に帰って来ないと、帰って来るまで待っていた。幼い子供が、寒い風に吹かれて
待っていても、誰も意に介さない。当時は、浮浪者や浮浪児があふれていて、幼い子供が一人で
ふらふらしていても、べつに珍しくなかった。
 また、それぞれが自分の生きる方途を探すのに精一杯でだれも他人のことにかまっていられなかった。
その日、父はいつもより三十分ほど遅れて帰って来た。二月の末の最も寒い季節であった。
父の姿を改札口に見つけたときは、棟居の小さな身体は凍えかけていた。
 「また来ていたのか。あれほど来てはいけないと言っておいたのに。」
 父は凍えた棟居の全身をしっかりと抱きしめてくれた。父の身体も凍えていたが、その心の
ぬくもりが伝わってくるようだった。
 「今日はな、凄いおみやげがあるんだぞ」
父は思わせぶりに言った。
 「何だい、お父さん」
 「これを開けてごらん」
 父は、紙袋を棟居の手に渡した。まだほのかな暖みが残っている。中を覗いた棟居は、おもわず
「わあ、すげえ」と嘆声を発した。
 「どうだ、凄いだろう。そのまんじゅうには本物のアンコが入ってるんだぞ」
 「本当?」棟居は目を丸くした。
 「本当だとも、それを闇市で買ってくるために少し遅くなっちゃったんだ。さあ早く家へ帰って
いっしょに食べような。」
 父は、子の冷えた手を暖めるようにして、手を引いた。
 「お父さん、ありがとう。」
 「おとなしく待っていた褒美だ。けれど明日から迎えに来ちゃいけないよ、悪い人さらいが
いるかもしれない」
 父は棟居を優しく諭した。二人が家の方角へ向かいかけたとき、その事件は起きたのだ。
 駅前の広場の一角騒がしくなった。得体の知れない食物を売る露店の立ち並んでいるあたりから
騒然たる気配が伝わってくる。人々が駆け集まっている。若い女の悲鳴がして、「たすけて!
だれかたすけて」と救いを求める声がつづいた。
 父は、棟居の手を引いて、その方角へ急いだ。人垣の間から覗いてみると、酔っぱらったGI(アメリカ兵)が、
若い女にからんでいる。意味はわからぬながらも、万国共通の音感をもった野卑な言葉を撒き散らしながら、
数人のGIが衆人環視の中で若い娘を嬲っているのだった。
 見るからに強そうな米兵たちばかりだった。やせおとろえた敗戦国民の日本人に比べて、栄養の
行きとどいた身体と、脂ぎった赤い皮膚からは、蓄えられた猥褻なエネルギーが弾ちきれそうである。
哀れな娘は、猫の群れに取り囲まれた一匹のねずみのように、なぶり殺されようとしている。
すでに衣服はむしり取られ、惨憺たるありさまになっていた。このままでは衆人の見守る中で犯されてしまう。
いや、すでに犯されているも同然であった。
 見ているほうも、救おうとする気持ちよりは、はからずも面白い見せ物に際会した残酷な好奇心のほうが
先立っていた。かりに救おうとする気持ちがあったところで、相手が進駐軍の兵士ではどうにもならない。
彼らは、勝利国の軍隊として、日本のすべてのうえに君臨していた。世界に誇る日本軍を一兵残らず解体し、
日本人にとって最高絶対の権力者であった天皇の神格を否定した。つまり彼らは日本人の現人神のそのまた
うえに坐って、日本を支配した。天皇を従属させた彼らが、当時の日本人にとって、新たな神となったのである。
 警察も“神の軍隊”である進駐軍には手出しできなかった。進駐軍にとって日本人など人間ではなかった。
動物以下にしか見ていなかったから、このような傍若無人のふるまいができたのである。
 GIの人身御供に捧げられた女は、絶望的な状態に陥っていた。見ている者は誰も手を出さない。警官を呼びに
行こうとする者もない。呼びに行ったところで、警官にもどうにもならないことを知っていたからである。
 彼らにとらえられた女の不運であった。
 そのとき父が、人垣をかき分けて進み出した。そしてあわや女を蹂躙しようとしていた兵士たちに、英語で何か
言った。父は多少の英語を解した。
 そんな勇気ある日本人がいようなどとは夢にもおもっていなかったらしいGIは、一瞬びっくりしたように父に
視線を集めた。取り巻いていた群集もどうなることかと固唾をのんだ。束の間、無意味な静寂が、その場に屯した。
 ちょっと気勢を削がれたGIたちは、相手がいかにもひ弱げなめがねをかけた貧相な日本人一人と知って、たちまち
威勢を取り戻した。
 「ユー・イエロウモンキー」
 「ダーティ・ジャップ」
 「サノブアビッチ」
などと口々に叫びながら、父に向かってきた。父は必死に相手をなだめようとしていた。
 だが、米兵は新たに現れた獲物にサディスティックな昂奮をかきたてられたらしく、寄ってたかって父を苛みはじめた。
凶暴な獣が、栄養不良の獲物をなぶり殺しにするようなものであった米兵たちは、抵抗と反撃のまったくない相手を
苛む残酷な喜悦に酔い痴れていた。
 「止めろ、お父さんに乱暴するな」
棟居は、父を救おうとして、米兵の一人の背中にしがみついた。赤鬼のような白人だった。腕に戦場で負傷したのか、
火傷の引きつれのような傷跡があった。赤味がかった裂け目から金色の毛が生えていた。ぶうんとその太い腕が動いて、
彼はあっけなく地面に叩きつけられた。棟居の懐中から父のみやげのまんじゅうが落ちて、ころころと地面に転がった。
米兵の頑丈な軍靴が、それを無造作に踏み蹂った。
 まんじゅうの転がった先で、父がボロ布のように米兵に叩きのめされていた。撲る、蹴る、唾を吐きつける、めがねが
吹っ飛んで、レンズが粉々に砕けた。袋叩きとはまさにこのことだった。
 「だれかお父さんをたすけて」
棟居は、取り囲んだ群衆に救いを求めた。だが幼い彼に救いを求められたおとなたちは、みな肩をすくめて目をそらすか、
うそ寒そうに笑うだけだった。だれも手を出そうとしなかった。
 父が救おうとした若い娘の姿は、すでにどこにも見えなかった。父を身代わりに置いて逃げてしまった様子である。
父は彼女を救おうと身を挺して“犠牲山羊(スケープゴート)”になってしまったのである。
 生半可な正義感から手を出せば、今度は自分が第二のスケープゴートにされてしまう。群集は父が身代わりの山羊に
された実例を見ているだけに、ますますおじけづいていた。
 「おねがいだ、お父さんをたすけて」
 棟居が泣きながら頼んでも、だれも知らん顔をしていた。その場から逃げ出そうともしない。救いの手をさしのべよう
ともせず、対岸の火事でも見るように好奇心だけ露わにして、事件の成り行きを見守っているのだ。
急に米兵たちがゲラゲラ笑い出した。棟居が振り返ると、米兵の一人がぐったりと動かなくなった父の体に小便をかけていた。
腕に火傷のような赤い傷跡のある兵隊だった。別の米兵が真似をした。盛大な放水の集中する中で、父はすでに自分が
なにを浴びせられているのか認識していないようであった。その様を見て、米兵だけでなく見物していた群集も笑った。
 父に放尿している米兵よりも、それを見物して笑っている日本人の方に、棟居は深い憎悪をおぼえた。棟居の頬に涙が
流れていた。だが彼は、それを涙だとはおもわなかった。心の中に抉られた傷からほとばしった血が目からあふれ出てい
るのだ。彼は幼い心にこの光景を忘れてはならないとおもった。
 いつかこの仇を討つ日のために、瞼にしっかりと焼きつけておくのだ。敵は、この場に居合わせたすべての人間である。
米兵、おもしろがって見物している群集、父に救われながら、父を身代わりにして逃げてしまった若い女、彼らのすべてが
自分の敵である。
 米兵は、ようやく父をなぶるのに飽きて、去って行った。群集も散った。そのころになって警官が来た。
 「進駐軍が相手では、どうにもならないな。」
 警官は無気力に言って、形式的に調書を取っただけだった。まるで、殺されなかったのが見つけものだと言わんばかりの
口ぶりだった。棟居はそのとき、その警官も敵に加えたのである。
 父は、全身に打撲傷を負ったうえに、右肩の鎖骨と肋骨を日本折られていた。全治二ヶ月と診断された。だがそのときの
検査が杜撰だったために、脳の内部に血腫ができていたことを見過ごされてしまったのである。
 それから三日後、父は昏睡状態に陥った。その夜遅く棟居と妻の名をうわ言に呼びながら息を引き取った。
 そのときから、父と自分を捨てた母と、杜撰な検査で父を死に至らしめた医師が、棟居の生涯の怨敵に加わった。
 彼の人間に向ける不信と憎悪は、そのとき以来、培われたものである。敵の顔と名前を一人一人おぼえているわけではない。
母の顔すら知らない。だから、彼の怨敵は、あのとき居合わせた米兵、群集、若い女、警官、そして医師と母に代表される
人間のすべてであった。


     森村誠一 『人間の証明』 (角川文庫 昭和52年3月10日初版)



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『人間の証明』は、
私が持っている文庫本(角川文庫)だと、昭和52年3月10日初版発行となっています。

私が生まれて最初の春ですね。

私が、この本を読んだのは、小学生か中学生の頃だったと思いますけれど。。。。
本棚、というより、小説の本がまとめて入っていたダンボールの中から
見つけ出して読んだんだったと思います。
もう、表紙のカバーもついていなくて、まさに古本という感じで。
当時推理小説というものを漁って読み始めたときに、
同じように何気なく取り出した一冊の本でした。

このシーンがとても印象的で、あとからあとから涙が出てきて、
本を読んでこんなに泣いたのはたぶん、初めてのことだったんじゃないかと
思います。

そのときは、その涙がどんなものであったのか、
私にはわかりませんでしたけれど。

この本が出た当時、ベストセラーになったということは、
後で、母に聞きました。
そのとき、私は思いました。
やはり、多くの人々の心を打つ作品というものは
必ず存在するんだ、ということを。

この作品が、多くの人の心を打ったのは、なんとなく
わかる気がしました。
それは、たぶん、日本の人ならばわかる、
というより他にないような気がするのですけれども。。。

この本が出版された頃、ここに描かれたような当時の体験を
多かれ少なかれ同じように持っている人たちが、
日本中にたくさんいたのだろうと、思います。

それは、まさに記憶に残したくない、嫌な思い出だったかも
しれません。
でも、それでも、必死に生きてきた人たちの心に
紛れもなく刻み込まれた日本の「歴史」の一部だったと
思います。
つまり、こういうことが、当時、まさに現実として存在した
一風景だったのだと思います。


つい、先日、韓国の従軍慰安婦の問題で、
日本の政府は、「そんな証拠はどこにもなかった。」という
とても恥ずかしい結論を新聞など各メディアに公表していましたが、
ほんとに、馬鹿なんじゃないかと。

何が証拠だ、と。
そんなことは、当時、どこにでもあったのだ。
そういう事実は、日本でも存在したし、
「占領」と名のつく場所で、
「占領」される人間に対して行われたのだろうと思います。

人が人に対して行われるべき行為とは
到底信じがたい行為が、現実のものとして
行われたのです。


人間とは、何なのか。

『人間の証明』を読むたびに
その問いを
何度も繰り返します。


絶望的な気持ちになりながら、

それでも、
本を読み終わるときに
少しの光を与えてもらいます。

光とは、

この本で
もっとも重要な役割を果たす
西條八十の詩です。


そこに
清らかで
美しい光を見ます。

母と子の
愛。

けれど、
この物語の中で
この詩はとても、悲しい。

この詩を思い出しながら、
死んでいった一人の青年のことを
思うと
胸がしめつけられます。

どうして、
人は、
皆、幸せに生きることが
できないのだろうか。

本当は、
どんな人も
ささやかな幸せにつつまれて
生きていく権利を与えられて
いるはずなのに。


私たちは、
つい
そのことを
忘れてしまいそうになる。

つい、そのことを
忘れて
同じ過ちを繰り返す。

人間というのは、
どうしようもない
生きものなのかもしれない。

でも、

どうか、
忘れないでほしい。


自分たちは、
この世界の中の
ちっぽけな存在にすぎないかもしれないけれど、

この世界の大規模なネットワークの中の
小さな島国の一人であるにすぎないかもしれないけれど、

けれど、

自分の目の前に
何かの選択肢がまわってきたときに、
後悔しない選択をする意志を、

正しい選択肢を
きちんと見極めることのできる目を。


どうか忘れないでほしい。


私に今できることは、
ここで、
こうやって
思うことを書くぐらい
だったので、
書いてみた。




      *      *      *


『人間の証明』のあとがきに、
作者の森村誠一さんの、西條八十の「麦稈帽子」の詩に対する想いが
綴られている。

詳しくは、直接本で氏の言葉を確かめてほしいのだが。

氏がこの『人間の証明』という小説を、母へのなつかしさとともに
この「麦稈帽子」の詩をテーマにして書こうと思うまでに、
二十数年の年月があって、その間、ずっと心の奥底に
沈着していたのだという。


      *      *       *


  霧積でその詩を知り、そのまま打ち忘れていたものが
  二十数年して浮かび上がってきたのである。

  「ああ麦稈帽子よ、おまえはそこから出たいのか。
   ずいぶん長い間閉じ込めていたね。」
  と私は心の奥に語りかけた。

          


     *       *      *


   麦稈帽子           西條八十


 母さん、僕のあの帽子、
 どうしたでせうね?

 ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、
 渓谷へ落とした
 あの麦稈帽子ですよ。

 母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
 僕はあのとき、ずいぶんくやしかつた。

 だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。


 -母さん、あのとき向うから若い薬売りが来ましたつけね。
 紺の脚絆に手甲をした。-

 そして拾はうとしてずいぶん骨折つてくれましたつけね。
 だけどたうたうだめだつた。

 何しろ深い谿で、
 それに草が背丈ぐらゐ伸びていたんですもの。

 -母さん、ほんとにあの帽子どうなつたでせう?

 そのとき傍で咲いてゐた車百合の花は、
 もうとうに枯れちやつたでせうね。

 そして秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
 あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。


 -母さんそしてきつと今頃は-
 今夜あたりは、あの谿間に、静かに雪が降り積もつてゐるでせう。

 昔、つやつや光つた、あの伊太利麦の帽子と、
 その裏に僕が書いたY・Sといふ頭文字を埋めるやうに、



 静かに、寂しく