Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

恋の道行き。

2010-04-20 00:48:29 | 日々の徒然
今日の福岡は、
朝から、曇り空

ときどき、思い出したかのように
雨が降っては、やみ、
降っては、やみ。。。。

今日は、一人で、
その雨の音をじっと聞いていたら、
なんだか、淋しくなってきたので、

雨が止んだときを見計らって、
ときどき庭に出てみました。

雨上がりの花は、
やっぱり、とても綺麗でした。

昨日、ブログにUpしようと思っていてできなかった、
牡丹の花の写真


今日も、元気に咲いていました。
(上の写真との違いは、右の花もちゃんと開いている、
というところです)


本当に、華やかです


牡丹の花が美しく咲いているのを見て、
元気をもらいました

今日は、大阪旅日記二日目の続きを書こうと思います。

ちょっと、体も頭も本調子じゃないので、
簡単になるかもしれませんが

大阪二日目に訪れた、お初天神は、
近松の「曽根崎心中」の題材となった心中事件の起こった場所でした。

心中事件といっても、
近代のそれとは、違って、

身分や、その他の世のさまざまなしがらみの中、
人と人の情けの末に起こった事件で、
悲恋とも言うべき、その出来事は、
人々の共感を呼び、
長く、伝えられたのだと思います。

情死という言葉は、
はじめ、情(こころ)をともなった死であることが、
「曽根崎心中」を読むと、
よくわかります。


以前、出光美術館の学芸員の方の
絵画についての集中講義で、
「寛文美人図」についてのお話を聞いたことを
思い出していました。

後年、寛文美人図と呼ばれる、その一人立美人図は、
その初期(江戸前期(江戸初期)、近松・西鶴と同時代)、
描かれる遊女の姿型(ポーズ)が決まっていた、
というお話でした。

当時、遊女が手紙を見る図というのは、
その想う相手にまた来てほしいということを暗示するもの
だったのらしいのですが、

その他に、
美人図における、決まった姿型(ポーズ)というのがあって、
それは、
“待つ”ということを表現している、
とのことでした。


参考:NIHO MUSEUM 「寛文美人図」→コチラ
   MOA美術館 「舞妓図」→コチラ
   遠山記念館 「寛文美人図」→コチラ
(画像は、クリックして拡大できるようです。)

原家蔵「縄暖簾図」
もそうだけれど、

手を袖の内に隠して、
“待つ”ポーズをとっている。

遊郭というのは、
まさに、一期一会の世界。

その遊女の身代を買い上げないかぎり、
互いに一夜の相手に過ぎないのだろう。

そうとわかっていても、
好きになってしまうことは、
どうしようもないことである。

“後朝の別れ”
というのがあって、

後朝とは、
男と女が一夜を共に過ごし、迎える朝のことである。

普通、まだ、朝靄の立つ後朝に、
男は、女のもとを去らなければならない。

後朝の別れは、
男にとっても、女にとっても、
つらく、寂しいものであろう。

平安期には、
男は女のもとを去った後、
後朝の文と呼ばれる文を送った。

それは、男から女に対する愛情の証でもあった。

それが来なければ、
「もしかしたら、この人は、
二度と私のもとへ来ないかもしれない。」
そういう危惧が、女の心のどこか片隅に涌くにちがいない。

たとえ、その手紙がきたとしても、
いつ来るともわからない相手の手紙を見つつ、
思い焦がれて、日々を過ごすことになるだろう。

その一夜の男と女の関係が、
大前提として、
はっきりと確立されているのが、
遊郭の世界であって、

遊女とその客という関係性は
そうやって、続いていく。

それが職業的なものであっても、
よしんば、
好きになってしまった相手ならなおさらのこと。

遊女には、、
“待つ”以外に、
何もできない。

客に対して、
誓文を書いたり、
髪を切ったり、
指を切ったり(指きりげんまんというのは、ここからきているらしい。)
するということはあっても、

あとは、ひたすら待ちつづけるしか
できない。

その現実は、
その物語の一端に触れる度に、
せつなくなってしまう。

「曽根崎心中」は、
そうした、背景を抱える作品であって、

遊郭とそれ以外の世界、
世の制度や道徳や何もかも越えて結ばれようとした二人の
悲恋の物語であるといえるであろう。


そして、その悲恋を、
なんとかして、
明るい結末に持っていきたいと願う人々の心が、
大阪の街に生きた人々のやさしさであって、

そういう想いによって、
お初天神というものが、
今でも祀られているのだと思うと、
とても、あたたかな気持ちになりました。

みんな、本当は、
誰でも幸せになりたいのだと思いました。


「曽根崎心中」の
お初さん徳兵衛さんのお二人は、
死というものを選んだけれども、
でも、
その悲しい結末には、
納得できかねる部分もあります。

やっぱり、生きなければならないと思うのです。


ほぼ同時代、同じ場所に生きた西鶴の
「好色五人女」にも、
悲恋の道を辿った人々が出てきますが、

西鶴は、
“心中”について、
こう述べているそうです。

義理にあらず、
情にあらず、
皆不自由より無情にもとづき、
是非のさしづめにて、
かくはなれり。
そのためしには、
残らずはし女郎の仕業なり、
男も名代の者は、
たとへ恋はすがるとてもせぬ事ぞかし。

とかく、安物は銭うしなひと申せし。
  (「諸艶大鏡」巻八)

大意を訳すると、
“心中というものは、
義理や情けではなくて、
不自由さの中から生まれて、
切羽詰ってやるものであって、
そういうのは、下級の女郎のやることで、
ちゃんとした男は、恋に名を落とすということも、
しないものである。”

とある。

あの、「好色五人女」の悲恋を書いた人物が、
全く心中というものを否定しているのも、
不思議に思うことだけれども、

実際、「好色五人女」では、
心中というものは、
成就していない。

清十郎が刑死したあと、
お夏は、尼になり、生きてその菩提を弔うし、

おせんは、一人自害、

お七は刑死するも、
吉三郎は、出家。

おまんと源五兵衛は、
幸せになる。


つまり、
西鶴は、庶民の味方、反体制的なものに流されることなく、
当時の倫理観から離脱することはない。

それでも、
「好色五人女」の
一人、一人の想いが、
胸を打つのは、何故だろうか。

清十郎が、
やっとのことで桜の花見の席で結ばれた
お夏を盗み出そうとして、

船出した二人が、
宿に状箱を忘れてきた間抜けな男のために、
捕まってしまったときの哀れさや、

お七が、
火事の起こった夜に出会った吉三郎に
また、会いたくて、
でも、手段がなくて、
もう一度、逢いたいと、
町に火を放つのときの気持ちが、

痛いほど、わかるのは何故だろうか。

それは、
西鶴が、
この世の定めを知っていたからだと、
思うのだった。

この世には、
いろいろなしがらみがあって、

でも、その中で、
なんとか、強く生きていきたい、
幸せに生きていきたい、

という想い、
或いは、願いを

充分にわかっているからこそ、
なのではないかと、思うのだった。


定めなき世の 定め哉



人は、

自分の想いのまま
生きることができる。

でも、
世の中には、
いくつもの定めがあって、

どうにもならないこともある。

けれど、

生きていれば、
なんとかなることもある。

生きていなければ、
どうにもならないこともある。


そういうことを、
考えていました。


私は、

今の私は、
とても、幸せだと思いました。

生きて、
暮らしてゆけるし、

好きな人の歌を聴くこともできるし、
ライブにも行けるし、

幸せだなぁ、と思いました。

そういうことを、
大阪のお初天神からの帰り道、

考えながら歩いていました。


これからも、
素敵なことを求めて、

好きな人の歌を聴いて、

自分のことも頑張って、

生きていこうと思いました。


今の、
このときを大切に。

一瞬、一瞬を
大切に。




だから、
とても、穏やかな、幸せな気持ちで
大阪を発つことができました。


帰ってきて、
ちょっと体調を崩したり、
いろいろと疲れることもあったりして、

気持ちが不安定になったのですが、
また、毎日をがんばって生きていきたいです。


できれば、笑顔で

やっぱり、笑顔がいいです


笑っているのを見るのが好きなので

そういう空間にいるのが好きなので

私も、笑顔でいたいと思います

というわけで、
時間がかかった上、
結局、長くなっちゃいましたが、


今日は、この辺りで

あ、エレカシのOFFICIALが更新されていましたね

RISING SUN

いつも素晴らしいライブだと聞いています

今年も、良いライブになるといいですね

北海道は、遠いので、
私は、無理かなぁ。。。

8月13日か14日なのかぁ。。。。

それから、
Media情報も

ジョージさんの番組ですね
ふふ
なんだか、また楽しみです


そして、
「幸せよ、この指にとまれ」

動画が絶賛公開中
ということで

また、後で見てみたいと思います

では、
夜遅くになりましたが、

本日も愛を込めて


おやすみなさい  




また、明日


明日も、笑顔でっ