Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

朝の光と闇。

2010-11-21 10:50:00 | 日々の徒然

 

おはようございます。

今回の旅は、仕事の出張と重なって荷物が多かったため、

自分のPCを持ってくることができず、

今、やっとKINKO’Sでこのブログを書いています。

 

ここしばらく、ブログをあまり書けていませんでした。

 

理由はいろいろとありますが、

ここ最近、ブログを書けなかったことについても、

書かなければならないと思いつつ、

まだ書けていません。

 

でも、昨日、宮本さんが歌う姿を見て、

やはり、書いておかなければならないと思いました。

 

昨日のライブは、とても熱量のあるライブでした。

光がたくさん満ち溢れていて、

そして、再び立ち上がって歩いてゆく

一人の男の姿を

まざまざと見せつけられた、

いや、

私たちにしっかりと見せてくれた

ライブでした。

 

再び立ち上がる。

 

一言で表されるこの言葉の意味を

 

宮本さんは、

宮本さんの音楽と

宮本さんの歌う姿をもって

私たちに教えてくれました。

 

そして、

宮本さんは、

その力の限りを

私たちに与えてくれました。

 

壮絶な幕開け。

 

ありありと眼前に浮かび上がる

無残に断ち切られた瞬間。

 

光が射して

再び構築されてゆく世界。

その新しい世界への

旅立ちの予感。

 

ひとすじの光は、

はじまりのきっかけ。

 

また、始まる。

 

そして、

しっかりと、

己の道をしっかりと

歩み進める。

 

今の自分を感じながら。

 

挫折を繰り返し、

 

何度でも、

何度でも、

 

立ち上がれと。

 

絶望の中、

あるいは希望のさなかにあっても、

破綻してしまいそうな心を

暴走に変え、

そしてギリギリのそのスピードの中で、

自分を見失いそうになりながら、

そして、

むしろ、その中で自分というものの存在を

確認してきたのだろう。

 

生きている。

 

生きてゆく。

 

その想いが、まっすぐにぶつけられたライブだった。

 

これ以上にない想いが

会場を渦巻いて、

人々を巻き込んでいた。

 

生きていくうえでの

幸せ。

やさしい想い。

 

そのこともしっかりと歌われていた。

 

でも、男はその先を見ていた。

 

もっと先へ。

 

もっと、

もっと、

上へ。

 

さらなる高みへ。

 

旅はどこまでも続くのだろう。

 

旅立ち。

さよなら。

そして、

それは、

新たなるはじまり。

 

そして、何かに別れを告げた時の、

男の、

強固なる決意。

 

今あるものを壊して、

先へ進む意志。

 

圧巻だった。

 

最後の最後まで。

 

 

だから、私も、

もっと、強い意志を持って旅立とうと思った。

 

私が、私であること。

 

大丈夫なような気がするのだ。

 

宮本さんは、

いつも、宮本さんであることがわかったから。

 

「今宵の月のように」を歌う宮本さんの姿。

 

それは、

どの時代も同じ宮本さんでなく、

そして、

どの時代の宮本さんも

宮本さんであったから。

 

「いつか見た夢を」

 

いつか見た夢を

正夢にしよう。

 

その想いは、

同じだから。

 

宮本さんがいること。

それが、

私にとっての

光だから。

 

だから、

私もここにいようと思いました。

 

これからも、ずっと。

 

ともに、歩き続けたいと

思いました。

 

自分のペースで、

しっかりと。

 

だから、宮本さんに

歌い続けてほしいと思いました。

 

この世のあらゆるすべてのことを。

 

この世界にあるすべての想いを、

その光と闇を歌ってほしいと

思いました。

 

それができるのは、

宮本さんだけだと思うから。

 

だから、私は、

宮本さんの歌を聴き続けたいです。

 

 

『悪魔のささやき』

 

最後まで聞いたとき、

 

最後に「悪魔メフィスト」に

心ごと

連れ去られました。

 

美しい「moonlight magic」も

やさしい想いにあふれた

「彼女は買い物の帰り道」も、

すべて、

メフィストに持っていかれてしまったのでした。

 

「悪魔メフィスト」が始まったときの、

あの絶望感は、

忘れられません。

 

私は、確かに、あのとき、

神々の笑い声を聴いたような気がしました。

 

そして、

私の中の闇の部分が引きずり出されました。

 

その全てをこの場所に書いてしまいたいと、

思いました。

 

でも、それはできないから。

 

人の闇の部分が受け入れられ、成立するのは、

そこに、人の血が通っているからだと思うのです。

 

文字だけの、しかも、このインターネットという世界は、

闇の部分は、闇の部分としてしか受け取られないから。

 

あるときは、光の部分さえ闇に飲み込まれてしまうような

この世界で、

私という人間の闇の部分をすべて曝け出すことは

私にはできなくて。

 

それは、私の勇気がないせいだけかもしれないけれど。

私にはできなかったのです。

 

時折、どうしても、

ここに、私の心の闇の部分もでてきてしまうときもあるけれど、

私の場合は、単なる、心の闇の部分を発散させてしまうだけで、

何もならないので、後で、やっぱり

すごく後悔してしまいます。

 

だから、こういう形でしか、

私という人間を知ってもらえないことを

改めて自覚したということもあり、

そのことは、悲しくもありました。

 

 

「悪魔メフィスト」は、

本当に素晴らしい作品でした。

 

きっと、心の闇というものが、

音楽として、

形として成立するならば、

それは、きっとこういうものなのだろう、

と思いました。

 

そして、その作品の想いを

共有するということは、

自分の心の闇を解放することでもあったのです。

 

そして、

私は、

私のその心の闇もまた、

自分の一部なのだとはっきりと感じました。

 

そして、

私は、気づいたのです。

 

その闇を愛おしく思っている自分を。

 

私は、

悪魔をも、愛していた。

 

本当は、私も、解放してあげたかった。

 

それが、ここでできなかったから、

とても、残念でもあり、淋しかったのです。

 

私の心の火を灯した、

その人に、

私の心に浮かぶ、もう一つの闇を

ちゃんと見てもらえないことが

悲しかった。

 

そういうことから、

半ば、ここで、文章を書くことにも

懐疑的になってしまい、

ここしばらくは、

何もかけませんでした。

 

それでも、やっぱり、

つながっていたいから、

また、

書き始めることにしました。

 

私には、ここで、書くことしか

できないから。

 

心の闇の部分を

解放することはできないけれど、

私は、この場所で、

愛することはできるから。

 

宮本さんの歌で、

本当の私を知りました。

その光と闇を。

 

だから、

宮本さんに、

歌い続けてほしいです。

 

この世の、

人の

光と闇を。

 

今日も、

宮本さんの歌を聴きに行きます。

 

光と闇を歌う

宮本さんの姿を

見に行きます。

 

 

今日も、素敵なライブになりますように。

 

宮本さんを

 

愛してる