Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

似て非なるものなり。

2012-11-05 04:08:45 | 日々の徒然
今朝は
「宇宙兄弟」を見た。


先週からの続きで、
ロケットが発射されて
ヒビトが宇宙へ行った場面の
続き、だった。

弟が宇宙へ先に旅立った
今の気持ちはどうだい?
と聞かれて、

ムッタは、
「今日の空みたいだ」

言った。

それを聞いていた
古のパイロットは
言った。

「そうか。」
と。


「でもな、
空と現実世界は
違っていて、

その
違うところは。。。。


ワシにもわからん!」


と言って
豪快に
笑った。


私は、
その笑い声に

とても
安堵した。


ムッタが
言った
言葉は、

私の
気持ちと
同じだったから。

だから、

それを
「違う」

言い始めた
その老人の言葉に、

私は
知らず、

身構えてしまっていたのだった。



そして、
その言葉を
受け入れてくれる

笑い声に

心が
ほっと
ゆるむ
私。


そして、

緊張していた心が

ほぐれていって

やわらかな
気持ちに

なった。



今日は、

「のぼうの城」を
見に行こう



思った。


映画を見終えて
思ったのだけれど、

昨日の記事は、

まるで、
今日見た映画の

感想のようだ


我ながら

自分が
「のぼう様」に
なったつもりに
見えていたのではないかと

思って

ちょっと
恥ずかしかった。



「のぼうの城」は

とても
素晴らしい
映画だった。


そこで
演じる人、

スタッフ

衣装や

もちろん
最後に
流れた
音楽まで

とても
素晴らしかった。


「のぼうの城」に
登場する
人物達は、

どの人たちも
カッコよく

とても
輝いていた。


土埃の中
汗にまみれて
戦う侍も、

日に焼けて
どろまみれの
百姓も、

そんな人々を
あるときは鼓舞し、
あるときは
見守り続ける
女達も

みんな
あるがままで
カッコよかった。

田植えで
踊る人々や

そして、

月夜の晩に
船で漕ぎ出で

のぼう様の
踊りは

本当に
素晴らしく

カッコよかったのだ。

今も
目に浮かぶ場面を
心に
思い巡らせながら

この
映画を
私なりに
じっくりと
かみ締め

その
想いを
ここに
綴りたいと

思った。


けれど、

今は
書かない。

今日、


ここで
書くことが
できる。


けれど、

書かない。


その想いを
自分のものとして

大切に
したいからだ。

今すぐに
書きたい気持ちも
ある。

けれど、
今は

書けない。



いつか、
この素晴らしい
映画を
味わうことが
できた感想を

感謝を込めて
言葉にしたい。

そして、

いつか、

その言葉を
この想いの
恩返しとしたい。


大丈夫だ。


大切な
想いは

決して
忘れることは
ない。


昨日、

心の戦いだ

書いたこと、
そして

これからの
ことについて、

きちんと
書いておこうと思う。


私は、

ここで、


この場所で

しばらく
文章を
書いてきた。

もう
幾年になるか。


私の
文章を
書く
環境も、

この数年で
だいぶ
変った

思う。


ここで
文章を
書くということは、

私にとって

自分の
素直な
想いを

あるがままに
形にする

ということだった。


ある人に
伝えたい、

ある人に
つながりたい

という気持ちが
あった。


その人との
想いを
分かち合いたい

私が
いたのだった。

私を

私という人間を
見つけてほしい、

わかってほしい、

そんな
私が
いた。

だから、

私の
想いのままに

普段は
言葉にできないようなことも

そのまま
ここに
書くように
なった。


ここで
私は

ありのままの
私に
なれたのだった。


だから、
ここで書くことは

私の
とても
個人的な
気持ちだった。


ある人に
伝えたかったのだ。


その人さえ

わかってくれたら
よかったのだった。


けれど、

わかっていたことだったけれど、

ここで書く
私の想いは

不特定多数の
人が

見ることになる。


私が
想いを伝えたい

その人も

その不特定多数の中に
いたから

ずっと
そのままだったから

私は
この状況で

ずっと
私の
個人的な
想いを

ありのままに
綴ってきたのだった。


個人的な想いだからこそ、

私は
ここで

ひっそりと
書きたかった。

他に
想いをわかちあえる人が
いたならば、

その人たちと
静かに
ただ、

伝えたい相手同士で

わかりあいたいもの同士で

想いを
わかちあいたかった。


だからこそ、
私は、

自分の想いを
この場所以外で

綴ったことは
ない。

自ら、
人の目に
触れる場所へ

自分の文章を
捧げたことは
ない。


それが
物を書くための
正式な場所であろうと

なかろうと

私は
この場所以外で
文章を
書かなかったのは

ここで
書く文章は
すなわち

私の

そのものだったからです。

私の心の場所は
ここだと
決めたから。




このブログをはじめた
最初の頃は

それが
許される
状況だった。


今も
そうなのかもしれないけれど、

そうじゃなくなってきた。


私自身の
ことも含め

それが
できなくなっていったのだった。


意図的に
それをできなくしたい人たちも
いた。


いろんなことが
あった。


いろんな人の
いろんな思惑が

私と
その周辺に
蠢いていた。


私は、
それでも

ここで
文章を
書き始めたときの
想いを

何度となく
省みながら

文章を
書き続けてきた
つもりです。


私は、


ここで
文章を
書くとき、

特に

誰かの
作ったものに対して
自分の
想いを
述べるとき、

その人に対する
敬意を
忘れないよう
心がけてきた
つもりだ。


それは、

他人の想いを借りて
文章を書くとき
守らなければならない

大切なルールだと
私は
思う。

だからこそ、
私は、

私が
感じたことを

私の責任において
この場所で
書いてきた。


匿名で
好きなように
書いておきながら、


言う人も
いるかもしれないが、

私は、
私なりの想いを持って

人の想いの形を
大切にしながら

文章を書かせていただき
ました。


私の文章の至らないところは
多々あったかもしれません。

そのことについて
お詫びしなければならない部分も
あったかもしれませんが、

私は、
ここで
人の想いの形について
自分の想いを述べることについて、

そういう気持ちで


日々悩みながら、


言葉を
選びながら、

どうやって
自分の想いを伝えようかと
思いながら、

それでも、

心を決めて


私の想いとして

書かせていただきました。

そのことについて、
恥じるところは
全くないと
思います。


だからこそ、

ここでの
私の
言葉というものは、

ひとつ、ひとつが

私の
大切な
想いのカタマリなのです。


私にとって

それは、
そうなのです。


人がなんと言おうと
揺るがすことの出来ない
想いが

その
言葉
ひとつ、ひとつに

込められているのです。


ここで、

たくさんの人が

私の文章を
読み、


それぞれに
感じることがあって

よいと

私は、
思います。

それは、
その人
それぞれの

想いなのですから。


けれど、

私は
私の想いがあって、

それを、
言葉に託して

何とか
想いを
伝えたいと、

その言葉を


私は
この場所だけで
綴っていて、

私にとって
この場所にしかない

またとない
私自身の言葉なのです。


私の
心なのです。

私なのです。


この場所で
この言葉を
綴っているのは、

まぎれもなく
私で、

私は、


一人しか居ない
紛れもない
私なのです。


そういう想いで
私は

ここで
文章を
綴っています。


最初の頃は

そのことに
自覚的では
なかったかもしれませんが、

今は
そうであると

はっきりと
言うことができます。


おそらく、

自分の想いを
伝えたいと
思い、

それを
形にしたいと
思う人ならば

誰だって
そうではないかな


思います。




いろいろな
ことが

ありました。



そのことを
具に

ここに
書くことは

しませんが、

ここで
自分の想いを
そのままに
文章を
書くということが

私にとって

今は
とても
難しい
状況だと
感じます。


理由は
ふたつあります。


ひとつは、

本来の目的である
伝えたい相手に

私の言葉として
想いが
届いているかどうか
わからないためです。


それは、
もう
たしかめようが
ありません。

きっと
届いている

信じて
私は
言葉を
書き続けてきましたが、


このネットという世界の仕組みと
それを利用する人たちが

この数年で
とても様変わりしました。

「ブログ」というものの位置づけも
変ってきましたが、

とにかくいろんな想いを持った人が
私の文章を
読むようになりました。

私には、
信じられない発想で
私の文章を
読む人もいます。

全く違った目的を持って
読む人もいます。


このネットという世界は
大きく膨張し続けています。

けれど、
このネットという世界は
まだ混沌としていて、

正しいが
正しくないものを制御できる仕組みにまで
成熟していない。


成熟できるかどうかも
わからない。

それは
ある意味
現実世界にも似ていて、

社会として
成熟しても、

何が
正しく
何が
正しくないか

ということが、
決められなかったり、


正しいことの
側面で

それを建前とした
正しくないことが横行しているような


社会として
成熟すると言っても

そんな
不安定な
世界にしか
なりえないような
気もするのです。


そうすると、

ネットという世界が
理想的なものを目指して
作られ始め、

たくさんの人に
行き渡ってしまうまでの
その時間こそ、

本当は
一番
ネットの世界が
その理想的な世界として
存在できたのかもしれません。


もしかしたら、
今は、
既に
ネットの世界も
現実社会と
同じように

成熟へ向うと言いながらも
退廃という一途を辿っている
のかもしれない



ふと
思いました。


ちょっと
否定的すぎるでしょうか。


世界が
便利になってゆく

その側面と、

“便利”
という言葉は

とても危険だな
と思っている私にとっては、

そういう風に
思えなくも
ないのです。

話がそれました。

私が
言いたい
ひとつめは、

そういった
ネット世界における環境の理由です。

システム上の物理的な問題と
それを利用する人の
いくつかの問題から

(それは
私が現実世界でまきこまれている
いくつかの問題も含みますが)

私の言葉が
私の言葉として

きちんと受け取ってもらえているかが
甚だ疑わしくなってきた
ということです。



理由のふたつめは、

私が
ここで文章を書くことと
現実世界での出来事が
リンクしつつあるということです。


それは、
当事者がわかってるだろうし
そうれでいいことなので
敢えて書きませんが、

この場所で
私が
ありのままに
心のままに
言葉を綴ることが

できなくなってきている
ということです。


そうさせたい
という人々や、

そこから離れた
別の目的を持った人々まで

実に

様々な人の思惑に
私の言葉は
利用されました。

それは、
ここで
不特定多数の人たちに
文章を
公開しているという意味では
仕方のないことでもあり、

私も
耐えざるを得ない部分もありました。

けれども、
人としての道を外れた人の行いというものは
際限のないもので、

その人たちは、
自分達のくだらない
目的の遂行のために

現実世界の
全く関係のない場所においてまで
立ち現れ、

私という人間の人格すら
否定しようとしているようです。


類は類を呼ぶ、

とは
よく言ったもので、

いろんな人の
いろんな思惑が
重なったのだと
思います。


それぞれは、
大したことをやっているつもりは
まったくないのだと
思います。

自らの
小さな保身のため。

小さな欲望のため。

全ては
そこから
始まっている。


嘘に
嘘が
重なって、

どうしようもならなくなったとき、

きっと
ある日
それが
そうあるべきだと

いつの間にか
人は
思うようになるのか。

その人たちを見ていて

私は
そんな風に
思いました。



私は、
つい
先日まで、

その人たちの
人としての心を
信じたいと思い、

黙っていました。

笑って
その場を
やり過ごしていました。


けれど、
やはり、

一人になって
悔しい想いをすることが
たくさんありました。

人を
信じられなくなり、

私は、
時に
家族さえ
そして、
大切な人さえ、

信じられなく
なりそうに
なったのです。

そして、
つい
先日のことでした。

はっきりと
わかったのです。


人の心を踏みにじり続けて
笑っていられる
その人たちの
心の浅ましさを

私は、
やっと
わかりました。


それを知って
我慢ができなくなりました。


私は、

やはり
心を侮辱し続けられるのは、
嫌だと
思いました。


その人達に
表面上笑って接することが
嫌になりました。


そして、

愛想笑いのような
卑屈な笑顔が
いつの間にか身についている自分に
気づきました。

私が
この頃、
マスクをしているのは、

そのせいかもしれない。

まぁ
私が
マスクをし始めて

同じように
マスクをし始めた
人も
いるのですが、

きっと
その人は、

私とは
違った目的で
マスクを
しているのでしょう。

その人も
たくさんの思惑を持ったうちの
一人に
すぎませんが

そんな人たちが
私の周りに
蠢いています。

(ということを
書くと
頭がおかしい人と
思われそうだから

書かないほうが
いいのかな?

私をそんな風にさせたい人も
いるみたいだし。)


ともかく。


私は、
これから

そういう人の目も
まっすぐに
見ることができると
思います。


その人の思惑とともに
心の底まで
見ることができると
思います。



ギリギリの
目に見えるか
見えないかのところで

そうやって
馬鹿らしい振る舞いを
している人たちを

醒めた目で
見ることが
できると思います。


私は、
負けたくない。


今、
いろんなしがらみが
私には
あります。


どれも、
私が
今までやってきたことの結果
なのだから、
後悔はしていません。

私は、
間違ったことなんか
していない

胸を張って
堂々と言えます。


弱気な自分に負けず、

そのしがらみを
断ち切りたいと
私は
思います。


自由になって、

しっかりと
自分の足で
歩いて行きたいと

思っています。


自分の役割を
果たすために。


それが
何なのかは

最後まで
わからないかもしれませんが、

けれど、
自分の想いは
はっきりとしています。


あるがままに
自分の思うように
生きていきたいと

思います。


私は、

自由になれるかもしれない

思って、

家を出ました。


それは
家を出ざるを得ない状況だったことも
ありました。

けれど、

茨城に来たとき、

私は不安とともに
希望が
あった。

最初は
2ヶ月しか
いることが
できないかもしれないと

それでも、
何か
この先に
つながることが
あるかもしれないと
思って

やってきた。

いろんなことが
この先
つながるかもしれないと

儚い望みを
抱いていたのです。

失望することも
いくつか
ありました。

けれど、
それは、

自分の
弱さであったことも
わかっていました。


もう一度、

やってみようと
思います。


ひとまずは、

生き抜かなくては
いけません。


この状況を。


きっと、
大丈夫だと
思います。



さっき、

自分の
ブログのページに貼った
「のぼうの城」の動画の
待ちうけ画面が
変っていて、

のぼう様と甲斐姫が
笑っている場面でした。


私は、

この場面で
実は
涙がとまらなかったのです。


のぼう様が
屋敷に入ってよいと
言って、

農民達が
自分達の土足を恥じて
家に一歩も入ろうとしなかった
場面。

のぼう様が
自分も
屋敷から降りて、
土足になって

甲斐姫も
一緒に
土足になって、

泥だらけになって、

笑顔で
一緒に
屋敷に入ろうと
言ったとき

私は
涙が
とまりませんでした。


ああ。


私は

こんな風に
言ってほしかったんだ

思いました。


そうしたら、

心からの笑顔で
もっと
一緒に
いられたのかも
しれないのに。


でもね。


本当は
そうでなくても
わかっていた。

お互いが
お互いを

尊重する気持ちが

たしかに
あって。


だからこそ、
こんな風に
なったのかな?
と。




きっと

いつか

こんな風に
笑って話せる日が

きっと
来るに
違いないと

信じています。


今日思った
素敵なことを

楽しく
笑って話せる日が

きっと
来ると

私は
信じています。



最後に
甲斐姫は

のぼう様のもとを
去らなければならない。


秀吉のやり方。

秀吉は
負けた人間に対して
心から負けを認めさせる人物なのだ。

それは、
のぼう様が
負けたから
仕方のないことなのだ。


のぼう様は
負けて
勝ったようで
やっぱり
負けたんだな



思いました。


それが
その世の
定めだったのだから。



今、
この世にも
定めはある。


けれど、

それは、

のぼう様達が生きた時代とは

また
違う。


悲しい定めばかりではなく
楽しい
キラキラしたことも

たくさんあるはずだと

私は
思いたい。


のぼう様たちの
笑顔みたいに。


どうせ
生きるならば

そうやって


できれば
笑って
生きていきたいと
私は

思う。



だから、

きっと
いつか
また

笑える日が来る。


一緒に
笑える日が。



まっすぐに

笑って話すことさえ
できなかったけれど、


でも、

きっと
いつか

そんな日が来ることを信じて。


その日まで

たくさんの大切な想いは

ひとまず
心にしまっておきたいと

思う。


今は
ね。

そっと。


でも
きっと、

淋しいだろうから

(私も。)


日々の徒然は
たまに

ここに
綴っていけたらいいな


思います。


何を食べたとか
なんとか

になるかもしれないけれど。

一緒に
歩いていけたら
いいな

思う。


ああ。

もう
夜明け前か。


深夜から
書き続けると、

やっぱり
ちょっと
文章が暗くなっちゃったかもしれないな。。。。


でも、
私は
元気に
歩いていきます。


どうか

大切なあなたも

お元気で。


大切な人たちよ。


お元気で。



あのね。

「論語」は
孔子が
書いたんじゃなくて、


孔子の弟子が
書いたんですよね。


でもね。

孔子の言葉は

孔子の言葉として
ずっと
残っている。



孔子というのは、
信念をつらぬいたから

いろんな酷い目に
あった。

弟子も死んじゃったりもして。


でも、

孔子の大切な想いは

残った。


宮本さんの歌と言葉は

きっと

ずっと
ずっと
残ると
思う。


私は

それが
嬉しい。

だから、
これからも

たくさん
素敵な音楽を作って

素敵な歌を
歌い続けてください。


私は、

遠くで

でも、
ちゃんと
見ているから。



ではでは、
また。


ひとまず、
これにて。