Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

雨読の夜。

2010-06-26 00:25:19 | 日々の徒然
こんな時間になっちゃいました。。。

今日は、一日雨だったので

いろいろとせわしくしつつも、

心は、静かに過ごせた一日でした

暑い日が続くと、
やっぱり、
少しバテてしまうので、

雨が降ると、
暑さも和らぐし、

たまには、雨の日もいいな
と、思いました。

最近、
ちょっと、疲れ気味な日が続いていて、

やっぱり、週末辺りになると、
疲れがたまってきますので、

ちゃんと睡眠をとって、
体力が落ちないように気をつけたいな、
と思います


一昨日、
『諼園雑話』という本
(そのとき読んでいたのは、『日本思想家史伝全集』所収の活字本。
ネットで探してみると、コチラにもテキストデータがあるようです。)
を読んでいました。

荻生徂徠や、
徂徠をとりまく人、
門人などのエピソードがたくさん載っていて

読んでいて、
結構おもしろいです



徠翁、「何々と云ふ字の出処は『漢書』に有りと覚たり」とて、
『漢書』を始より終までくられたり。
二字のことにて大部の書を地獄さがしせられしこと気情の人なりと、
南郭云れし由、灊水より聞。
              」

訳すると、

“徂徠は、「何々という字は、もともと『漢書』にあったはずなんだよなぁ。」
と言って、
『漢書』の最初のページから終わりのページまで、
ページを繰っていかれた。
たった二文字のことに、大部の書を“地獄さがし”なさったのは、
やっぱり根性あるよなぁ、なんて(服部)南郭が言っていたのを、
灊水より聞いた。”

・・・・みたいになるんですけれど。

“地獄さがし”って、
つまり、地獄なみの探し方ってことで、

今で言うところの
“根性引き”ってやつですね。。。。

語学の研究をやっている人ならわかると思うのですが、
言葉をいろんな文献からずっと拾っていく作業って、

本当にちょっとしんどいのですよね

私が、“根性引き”をやった最長のものは、
為永春水の『いろは文庫』という本で
18編くらいだったでしょうか。。。

“地獄さがし”って言っているくらいだから、
やっぱり、南郭とかも、そういう作業ってしんどいって思ってるんだな、
とか、思って、

ちょっと、嬉しかったです。

しんどい作業を続けてると、
嫌になってきて、
でも、そんな風に思っちゃいけないと、
思ったりもするのですが、

やっぱ普通はキツいんだな、
とか思います

徂徠は、全然平気みたいですけど

↑やっぱり、すごいです


宣長とかも、
見てて
信じられないくらい用例を集めてて、

やっぱり
好きだと、
そういうツラさは
感じないのかな?
とか思っちゃいますけれどね


でも、
なんだかんだ言って、
私は、用例を拾っていく作業は、

好きなのです。

宝の地図が
いくつものピースに分かれていて、

それを拾っていく感じがします。

だけど、
体力的、或いは精神的に
ちょっと辛かったりするときが
あるわけで

でも、ま、
しんどい作業ではあるし、
そういうときってあるよね。

って、『諼園雑話』のエピソードを読んで

ちょっと、安心したりするのでありました

他にも、
いろんな楽しいエピソードが
たくさんのっていますので、

ご興味のある方は是非読んでみてください

いくつか、
目に留まったものを。


 「
  学者皆覚のよきを願ふことなり。
  然れども覚のよきのあしきのと云は、初学の内なり。
  博学になるほど、そう/\覚へては居らるヽものにてはなし。
  此故事は此書にあるべし、
  是は類書にあるべしなどヽ、
  其の穿鑿をする筋の書を知るほどになれば、
  何にても知れぬことはなしと、
  南郭云れしと、伯玄云き。
                」

 学者というものは、皆、自分が物覚えがよかったらなぁ、と
 思うものなのだけれど、
 物覚えがいいとか、悪いとかは、
 学び始めの最初の方だけで、
 どんどん学んで、たくさんのことを知れば知るほど、
 そう、覚えてはいられないものですよ。
 この故事は、この本に載っていて、
 この事柄は、類書(百科事典のようなもの)に載っていますよ、
 というふうに、
 それをどうやって調べるのかという手順がわかる本を知っていれば
 何においても知らないということはないのだ、
 
ということなのですね。 

うん。

以前、同じようなことをN先生にも言われたことがありますね。

納得です


あと、
ちょっと、じーんとした
エピソードも。。。

「蘭亭失明の後、徠翁へゆきて、
 「今はかくなりぬれば、いかんともすべからず。
  針を立習て生産ともすべきや」と申せしに、
 徠翁しばらく黙してありしが、
 「いや/\夫はしからず。易を学びて筮者になりなんや、
  又詩を作りて詩の教をなすべき才なり」。
 又暫して、
 「必詩の教をなすべし。
 聖人、詩書礼楽の教の其一つを得べきなれば、
  是にまさることやある」と決断ありし故、
 詩を学て只今は生(底本、この後に「貧」字をすり消した痕があり、
          その部分一字空白とする。「生産」とすべきところか)
 も貧からず。
 又後世にも名も朽まじきと存ずるなり。
 皆徠翁の目の明を教られたる故なりと、蘭亭語りき。」

長いエピソードですが、
蘭亭が失明してしまって、
徂徠に相談したときのエピソードですね。

「今は、こんなふうになってしまったので、
 どうしようもなくなってしまいました。
 針を学んで、生業とすべきでしょうか。」

と蘭亭が言った所、
徂徠は、しばらく黙っていたのだけれど、
易を学ぶことと、詩を作ってそれを教えるということを進めたのですね。

“詩書礼楽の教の其一つを得べきなり”
と。

そうすれば、
“後世にも名も朽まじきと存ずるなり”

「きっと、
死んでさえなお名声がずっと残ると、
私は、思うのですよ」

かなり徂徠は断言するような感じで、
きっぱりと、言っています。

当時、学問というのは、
生業にはならないわけですから、

どうやって、
それを続けていくか
いろいろな困難があったことだろうと思います。

失明してしまった弟子に対して、
これからどうするか
かなり答えに窮する問題だったと思います。

でも、蘭亭には学問を成し遂げる才があると、
徂徠は、信じたわけです。

だから、きっぱりと
多くの目を患った人がそうするような生業よりも、
学問を一つだけでも、習得することを勧めたのです。

そして、
実際、蘭亭の名前は、
後の世に残りました。


蘭亭は、頑張った。

そして、
徂徠は、すごい。

一人、じーんとしていました。


かと思えば、

徂徠先生は、
こうおっしゃったりもします。


 徠翁の咄しには、
 「木下順庵云れしは、大概三年の内、
  二た時ほどづヽ書物をつめてよめば、
 大概の学者にはならるヽ」由云はれき
                   」

徂徠翁の話によると、
「木下順庵の言っていたことによると、
 だいたい三年くらい、3、4時間程度本を読むというのを
 続けていれば、大概の学者にはなれる。」
ということだ、

と。

・・・マジっすか

結構、適当・・・ごほん。

や。
なかなかツッコミどころ満載のエピソードが
たくさんです

なんだか、
徂徠が好きになる本です

というわけで、
夜のつれづれに、

『諼園雑話』のエピソードを
いくつか、
ご紹介致しました

と、
いつの間にか、
こんな時間です

今日は、この辺りにて


世間は、体育会系な話題でもちきりですが、
思いっきり文科系なブログ記事でした。。。。

ではでは、
本日も愛を込めて


おやすみなさい  


また、明日