Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

世の中が

2013-11-23 20:50:12 | 日々の徒然


二つに分けられないのは

基準となるものの定義が
曖昧だからだ。


簡単に
言ってしまうと、

ですが。


例えば

我々は
何を以て

「知っている」

と言うのか。



自分が
「知っている」ことを
「知らない」と思って

「調べて」いる人は


「知らない」から
「調べて」いるのかな?


「調べる」
って
何?

とかね。


「調べる」ということと
「確認する」ことは
どう違うのか

とかね。


これは
屁理屈
になる?


(屁理屈には
屁理屈で対応?)




負けず嫌い
なんですね。



私も
ですけど。




世の中を

二つに分けたい人と

分けたくない人が

いるのかな?




私は

どっちでも
いい派

ですが(*^^*)


けど、

一応
意見を述べてみました。


反例探しは

得意なんで。



反例のない規則

だったら

それは

「完璧」な「理論」

ですね。



そんなの

あったら

いいね。



ガチガチに
考えてたら

息が
つまっちゃうわ。


「いろいろ」

いいんですよ。


その中で

自分が

いいな


思うものを


選べばいい。