Ad novam sationem tecum

風のように日々生きられたら

RADIO CRAZY 感想♪

2011-12-31 23:55:41 | 日々の徒然
この日は、会場に着いてからバタバタとしてしまったので
心が落ち着くまで時間がかかった。

そして、11月の半ばの泉谷さんのライブから
1ヶ月半。

とても長く感じた1ヶ月半だった。

シングル&DVDリリースの後、


「僕らの音楽」への出演。
「東京からまんまで宇宙」のPVの公開など。

いくつか、印象的な出来事もあった。

けれど、エレカシは、とても静かだった。

水面下でもずっと走り続けていたのかもしれない。
或いは、それまでずっと走り続けてきた
その、束の間の休息だったのかもしれない。

この1ヶ月半は、私にとって
とても長く感じられた。

個人的にも仕事のことでいろんなことがあったし、
しかしながら、それをブログに書く時間も
心の余裕もなかった。

心が窮々として
ただ、宮本さんの歌声が聴きたかった。

宮本さんが歌う姿を見たかった。

宮本さんに会いたかったのです。

だから、12/30という日に
大阪へ来てしまった。

きっと
泣いてしまうだろうと思った。

けれど、いざ
会場に着いてみると、


自分の感情が自分のものでないくらいに
気持ちが高揚しすぎていた。

始まる前から
感極まっていて

それを抑えるだけで精一杯だった。

待っている間も
いろんなことを考えていた。

これから、
宮本さんの歌を聴くことができる。

それだけは事実であって。

そのことに対して
高まる期待で
胸が破裂しそうだった。

開演時間になって、

ふと
目をやると
舞台袖のところに
宮本さんらしき人の姿が見えた。

私が目をやったときには、
頭をくしゃくしゃとして
すっと奥へ入るところだった。

程なくして、
拍手とともに

エレカシと
蔦谷さん、昼海さんが
現れた。


それだけで
すごく嬉しかった。

やっと
ここまで来た、

と思った。


思わず、
笑顔になった。

その目と目が
あった

ような
感じがした。

私は、
そのとき
気づいた。

私の視力が
とても
落ちてしまっていることに。


ステージと客席との間は
やや離れていたけれど、

最前列からでも、
宮本さんの表情を
はっきりと見ることは
難しくなっていた。


それでも、
ずっと、

宮本さんを
見ていた。


一曲目は
「今宵の月のように」だった。

歌い始めから

会場は
大歓声に包まれた。

この曲を
みんな
待っていた。

そのことの証に、

宮本さんの
一挙手一動足に
喜びの歓声があがったのだった。



この曲を聞いて

やっぱり
泣いてしまった。


自分の意志とは
無関係と思えるほど、

あとから
あとから

涙が
流れ続けた。

やっぱり

想いが
あふれたんだと
思った。


そして、

それは、
私が

やっと
その場所で、

宮本さんが歌う
その場所で

心を
解放することが
できたということ。

その場所まで

私は、
ずっと心を
きつく縛ったままだったのだと
思った。


苦しかった心が

やわらかくなっていくのを
感じた。


それは、

私の心を
解きほぐしてくれるのは、

本当に
宮本さんの歌でなくては
ダメなのだった。

宮本さんでなくては。


宮本さんの歌声は、

心の奥底まで
響いた。

いつも以上に、

宮本さんは、
めいっぱいの想いをこめてくれているように
感じた。

そういう想いが、

それを聴く
一人一人の心
それぞれに響き渡って

会場は、
心が鳴り響く音でいっぱいになった。


私は、
自分の心に響く音のように

他人の心でもそれが響き渡る様を
容易に
思い浮かべることができた。

それは、
そこにいる人全てが
宮本さんの歌声で感じることを

共有しているからこそ

それが可能なのだと思った。

そうやって、

宮本さんは
歌の力で、

たくさんの人の心を
救っているのだと思った。

そして、
そのことは、

とりもなおさず
たくさんの人の

生きる力となり、

その想いが
生きることそのものの一部になる

ということでもあるだろう。

宮本さんは

想いを
まっすぐ与えてくれた。

私が
思ったように、

思った以上の想いを
与えてくれた。

私は、
心の扉をひらいて

私が望んだように

その全てを
受け入れたらいい。

その想いを。


愛のかたまりを。



「悲しみの果て」も
そうだった。

そして、
さらに哀しみの色を帯びた
その歌声は、

染み渡るように
心に
すうっと入っていった。


私は、
気がつけば
泣いていた。

涙を流し続けた。

涙が流れるたび、

想いがあふれ、

想いがあふれながら

たくさんのことを
思い出し、

また、
涙がこぼれた。



そうやって、

私は、
幸せな

涙を流し続けたのだった。


その後、

宮本さんは、

「ワインディングロード」を
歌った。


宮本さんの歌声は

とても力強かった。

「愛のかたまりさ」

と歌う
その歌声に

最早照れはなかった。

まっすぐ、

まっすぐ、

その想いが
心に届くように。

聴く人の力となるように

宮本さんの全身全霊の力で

想いを歌にしていた。


「消せやしないだろう?
胸の奥の希望は」


そう言って

再び立ち上がる力を与えようと
してくれた。

鳥が鳴くように

一緒に
泣いてくれているようにも

思えた。

そのときの私には

その歌声全てが
励ましとなり

力となったのだった。


「俺たちの明日」
を歌うとき、

宮本さんは、言った。

「きっと器用なやつなんていないんだろう。

 不器用な全ての人に捧げます。」と。

そして、

歌い始めた宮本さんは、

少し
感極まっているようにも
思えた。

そして、
歌詞を忘れたとことを詫び、

もう一度、
歌いなおしをすることを伝えた。

この歌を、
最初から最後まで

きちんと歌いたい。

想いをちゃんと届けたい。

という
宮本さんの想いが伝わってきた。

そして、
再び

歌い始めた
宮本さんは

「がんばろうぜ」

「同じ星を見ている」


いつも以上に

心を込めて
歌ってくれているように

私は
思えた。


私は、
頑張れる、

と思った。


この
宮本さんの想いを無駄にしないためにも

私の全ての力をふりしぼって、
頑張っていかなくてはいけないと思った。



「十代 憎しみと愛入り混じった目で世間を罵り
 二十代 悲しみを知って目を背けたくって街を彷徨い歩き
 三十代 愛する人のためのこの命だってことに ああ気付いたな」


この言葉が
この日は、

とても心に沁みた。

宮本さんが

ひとつひとつ

宮本さんの
歴史を持って

そして
一人の人として

語りかけるように
歌ってくれた

その言葉が。

真摯なその言葉が

心に
沁みたのでした。

それから、

「東京からまんまで宇宙」


「本当は、
東京からまんまで宇宙なんだけど、

大阪からでも
どこでも。」

と、
宮本さんは言った。

そして、
この日は、

「大阪からまんまで宇宙」


宮本さんは
歌った。


想いの強さ、

それは、

その念の強さ、
というか

そういう
強い想いが
渦を描いて

一気に
上空へと突き抜けるような感覚が

その場所をのみこんでゆく。

大きな
波のうねりのように

そして
たくさんの人の想いを飲み込んで

大きな水柱が上昇していくように。


その空間自体が

想いのかたまり
とでもいうような

ひとつの特別な空間、

カタマリになったのだった。


その想いが
時空を超えるとすれば

きっと、
超えるに違いないのだけれど

それは

宇宙

と呼ぶにふさわしいだろうと
私には思えた。


その場所での
想いが

空間と時間をこえて

そこにいた人たちの
心の中で

生きつづけてゆけば

それは
もっと
大きな広がりをも
見せるかもしれない。

まるで
宇宙が

もっと広がってゆくように。

そんな
ダイナミックなうねりを

この歌に感じた。

そして、
この歌を聴き終えたとき

まるで、
自分が
宇宙の一部であるように、

不思議と

その大きさと
力強さを
自分の感覚として
取り込むことができたように感じた。

自分にも
きっと、できる。

自分は、
もっと強くなれる。

そういう瞬間が
自分にもきっとあるはずだと、

自分の中に眠っている
感覚を呼び起こすような

そんな力を
もらえたような気がする。

この曲の
後半から、

宮本さんの歌い方が
はっきりと
変ったのがわかった。

それは、
いつもの宮本さんを
ふりきった

もう一人の
宮本さんだった。

もう一人が
覚醒した
その瞬間から、

そこは
また
別の空間になった。

私は
待っていた。

その人が出てくるのを。


カッコよかった。

そして、

その宮本さんは言った。


「何度目の太陽だ?

何度でも
何度でも

太陽は昇り来る」


そして、はじまったのが
「 パワー・イン・ザ・ワールド 」

だった。


急にこの曲だったので

私は
少しびっくりした。


宮本さんは
歌った。

「これは冗談じゃねぇ

 戦いの歌だ

 枯れ果てた大地の

 一輪の花」

 
その宮本さんの歌を聴いたときに

私は
はっとした。



荒野に

毅然と立つ

一人の人の姿を

私は
見た。


そうだ。

この歌は
戦いの歌だ。


冗談じゃない。



私は、

この歌を

この歌のままに

宮本さんの想いのままに

まっすぐ
受け止めることにした。


この曲にまつわるいろんなことを
振り捨てて、

ただ
この曲と
まっすぐに向き合った。


傷だらけの自由。



一人の人間から外へ向って放った矢が
再び、
一人の人間へと戻ってゆく

その自由を
思った。


「全部使い尽くせ

 おのれの全部使い果たせ」


自らの体を削りながら

その傷だらけになった体を抱えながら



やっぱり飽き足らないと

死ぬまで走り続けると



宮本さんは歌う。


自由とは


きっと

己自身の中にある。


外に求めるものでは

決してないのだろう。

だから
きっと

矢印は

内側へ向う。


そして
最後は

「ガストロンジャー」だった。

己を何度でも破壊し

前に進み続ける。


この歌は

この日の

このライブの
しめくくりに
ふさわしかった。


今の自分を破壊することを

恐れてはいけない。


自分の化けの皮を剥がし

そのついでに

あいつらの化けの皮も
剥がしてやろう。

そういう気概にさえ
なれる気がした。



宮本さんの歌声から
滲み出る気迫は

凄まじいものがあった。


その気迫を叩きつけて

宮本さんは
去っていった。

最後に
大きく投げキッスをして。


それもまた、

愛のかたまりだったのだ。


宮本さんは

宮本さんだった。

まっすぐに

歌を歌い

ギターを弾き

そして

ステージを
縦横無尽に駆け巡り

去っていった。


だから、

私は、


思う。


私は、

私で

いよう
と。

さっき
この自部屋で
結論しました。


そんな年の瀬。

昨日のライブの感想を
走り書きしてみました。


もうすぐ、
2012年

エレカシは
年明け最初のステージで

さぞかし

ドーーン!!

行ってくれることだろう

と思います。


その活躍に
これからも期待しつつ、

私も
負けずに

走り続けたいと
思います。

宮本さんに

私は
ついていきますよっ

来年も

ドーーーーン!と行こうぜ!!