セブの片田舎で ひとりごと --- 途上国で暮らすとはこんなこと ---

はや18年。無垢と純朴を期待したが
粗野とたくましさと楽観のラビリンスだった。
田舎町ダナオで日々のオヨヨ。

135 愛煙家にもひとこと言わせてよ。

2018-08-24 | ダナオ/セブの人々

酒はやらないけど、タバコは切れ目切れ目にまず一服とかたときも離せない。

映画が粗製乱造でなかった昔の話だが、まずは主人公がタバコを手にし煙をくゆらせ、バーのカウンターに一人座って、物憂い時間を過ごしている。などと、タバコが主人公の心理を伺わせる一つの小道具だったのだ。

現職の頃、1992年か93年だろうか、事務室から灰皿が追い出され喫煙場所が指定された。それまでは机の上に灰皿があって、思い思いに煙らせながら仕事をかたづけたものだったのに。事務室の中はいつもタバコの臭いがしていた。

ファシズムと言うと、まるで戦争の種火のように嫌われる言葉だけど、形態としては、みんながある方向にまとまって行動するということで、その方向に間違いがなければ、どこにでもある会社やグループそのものだ。ただしその方向が結果として不都合なことへのものだったら、非難を受けるだけに過ぎない。人間は群れて生きる本性だから、放って置くと、このファシズムに陥りやすいのかもしれない。

グループは意思統一や規則が必然のものだけど、それが強権をもって方向を間違えると、とんでもない事態を招くことになる。グループの方向が正義のように言われ、それに沿わない不正義なとみなされた人々への有無を言わせない強制的な圧迫になっていく。

いつの世にも権力があるとそれにへつらい尾っぽを振る輩が出てくるものだが、平山教授とかいういわゆる曲学阿世の、学者としての信念を持たない人物が、受動喫煙などという根拠の薄いものを、時代の波に乗せて科学誌に発表して、今の禁煙運動の強烈なロードローラーになった。彼は学研の士であることを捨てて、それを飯のタネにしようと企んだのだ。

かつての民主党政権では、税収の拡大の芽を探して、世の禁煙の動きに乗じて、禁煙を試みる人への助けだとばかりにタバコの値上げをした。タバコが値上がりしたのではない。課税部分を増やしただけのお手盛り策なのだ。政治が人々の嗜好に口を挟む権力のおごりでもある。

かつてのアメリカで、酒が人々を荒っぽくするとばかりに、高潔な(?)原理主義者のような政治家たちが禁酒法をぶちあげて見事失敗したことはここで語るまでもない。
意図は違うが、薬物を禁止すると、それが地下組織の特権商売となり、値が釣り上がり、もっと大きな問題をを作り出すことは言わずと知れたことだ。
そのうち、タバコもいつか全面禁止措置となるときがきて、麻薬と同じ道を歩むかもしれない。

タバコで家産を潰した話はきいたことはないでしょう? 酒では人生そのものが潰れる話が山ほどあるのに。酔った上での過ちというのはあるけど、吸った上での過ちなんて話もない。健康に害があると言う点で見ても、タバコが全身に良くないことは百も承知だが、酒も百薬の長と言われながら、酒の上での喧嘩は絶えないし、休肝日などをたてて肝臓への悪影響を減らそうとしたり、循環器系への影響もけして小さくはない。それに車の運転と酒の関係もなかなかに断ち切れないで、社会問題でもある。
愛煙家としては、根拠の薄い受動喫煙などを盾に、脅迫まがいの厳しい目で、犯罪者扱いをされるのには納得がいかないのではあるが、周りに気圧されてそれを声に出すほどの勇気もないのだけど。

——
1998年から5年間、国連保健機関(WHO)事務総長の職にあったグロ・ブルントラント女史(小児科医出身の元ノルウェー首相)が辞めぎわに、タバコの征圧にほぼ成功したので、次はアルコールと電磁波の排除に取り組みたいと宣言していたからである。
「異様な肺ガンの急増ぶり」秦康彦氏 ——

この人のようなタイプは、もし付き合ってくれと頼まれても、いや、ケッコウですとおことわりする嫌なタイプだ。
さて、彼女の残した台詞からすると、次はいよいよアルコールの番で、更に行く手には自動車の排ガスがあるのだろう。悪い要素は何でも根絶すればいいのだと信じているふうだ。まるでヒットラーの人種浄化の思考に似ている。この世の原理がバランスであることを一顧だにしないで、悪いものを単純に悪いと決めつけて排除してしまう子供っぽさを持った人だ。

「怒りの葡萄」の題の元となった言葉だが、神は全能の自分に似せて人間を作ったと言われるのに、どこをどう間違えたのか失敗作ばかりだ。ぶどうのように足で踏み潰してしまいたいと嘆く話がある。人間たちはバランスを上手く保てないで、なんて自分勝手なのだ。

それにしても、この国でほかの健康増進策にはほとんど手を付けずに、禁煙を政府の手で強圧的に進めている。全くのお笑い草だ。
人々が路上につばを吐き、犬の糞が路上に点々とし、腐ったゴミの山から飛んでくるハエが食べ物にたかる。食生活は、甘い飲み物と脂っこくてしょっぱい食事をし、男でも妊娠何ヶ月と聞きたくなるような太鼓腹をしている眼の前の現実は全く見えていないかのごとくだ。現実の不潔さに比べたら受動喫煙なんかほんの芥子粒ほどの影響なのに…。


134 甘いものに目が無いし、しょっぱいのも好き

2018-08-07 | ダナオ/セブの人々
たまにアイスクリームを舐めたいとスーパーの冷蔵ボックスを覗くと、おおかたがチョコレート色。でなければ、何やらのチップを混ぜ込んだ装飾過多のまずそうなものばかり。シンプルなバニラはいつも品切れで、なかなかお目にかかれない。
チョコレートチップやビスケットのかけらなんか入れても美味しそうには見えないぞ。
それだから、お菓子の棚にはチョレート味が山ほど。見ただけで胸焼けしそうだ。
日本でなら、まろやかな味と宣伝するのが常套だが、比の食べ物は、甘いと美味いとが同意義なんじゃないかな。

ご飯に砂糖をかけるって想像できますか。それがあるらしいんです。醤油をかけるって話なら日本にもあったけど、バナナやマンゴをおかずにして米の飯を食べるってのもあるんですよ。
まあ、一言で言うなら、何をどう食べようと腹がくちくなればよし、同時に味音痴といったところです。

フィリピン料理はどうしても砂糖をかなり入れて、対抗措置に塩でバランスをとるから濃い味になって、不味い上に体に悪そう。

この暑い国では、生き物が大した苦労もなく生きてはいける。その環境は細菌にとっても絶好なわけだ。食べ物にわんさかと細菌がたかり悪くなるのも早いから、濃い味付けでどうにか持たせているのは理解出来る。それに比は砂糖の生産国だし、ふんだんに塩も取れる。塩っぱくて甘くて味の濃い食べ物はせめて細菌が住みにくいから比較的安全だということなのだ。
それにしても干物の塩っぱさには、汗がじわりと出てくる。水につけておけば家庭で塩田ができそうな濃さだ。
そういえば昔を思い出した。鮭が安い魚だった頃、冬になると塩でくるんだような塩鮭を、我々だって食っていたな。

長年朝飯はパンにしてきて、毎日食べる食パンが甘いのには閉口する。甘くないパンを求めて探し回って、今はやっとたどり着いて遠いセブまで買いに通っている。

それでも近頃はケーキなども甘味を抑え始めている。確かに健康への気遣いが、上層から広がり始めていることにもあるのだろう。冷蔵庫が一般家庭でも必需品となってきたことにもあるだろう。いや待てよ、その裏には、防腐剤を使うようになったからではないかと勘ぐると、それも恐ろしい。


ところで、フィリピン料理はどれも似たような味がする。目隠しをしたら何を食べているかを言い当てるのは難しいのじゃないかな。砂糖と塩をたっぷり使ってしまうから、材料の本来の味が消しとんでしまうのだ。

おいしいアリマンゴというカニがあるのだけど、レストランではコショウを効かせた甘ダレまみれにしてしまうから、せっかくの高級食材が死んでしまう。身をほじくりだして酢醤油にちょいとつけて食べるのが最高だと思うんだけど。

日本は食材を生かすと表現される。私の舌もなるべくキのままで味わいたい志向だから、どうもフィリピン料理は苦手だ。


133 洪水と買い物袋・どんな関係?

2018-08-06 | ダナオ/セブの人々
マーケットでゴミの袋を買いに行って、家人が売り子に言われたようだ。
「もう直ぐプラスティックのゴミ袋が無く」なると。

南国の気象は、晴れて地表の温度が上がって上昇気流が激しくなると、決まって叩きつけるような雨が降る。そこで雨水がたちまち地表で奔流となって、路上やそこらじゅうに捨てられているゴミを運んで下水溝に流れ込み、それでなくても貧弱な排水設備がたちまち詰まってしまう。
こんな土砂降りがしょっちゅうあって、その度にテレビが賑やかに報道するから、政治家は、そんなことは下賤のことと放っておきたいのだけど、そうもいかないから少しは関心があるふりで、嫌々ながら財政負担の無いその場しのぎを考え出す。

そんなだから、政府のやることと言ったら、政治の怠慢を事業者や消費者に、いつものようになすりつけるだけに終わってしまう。

そのとばっちりを食った小売業や消費者は、プラスティックの買い物袋のせいで下水溝が詰まって洪水になるとやり玉に挙げられ、紙の袋に替えさせられる。生活にプラスティック製品が溢れるこの時代に、プラスティックの買い物袋だけが悪者に仕立て上げられて、政治家はしたり顔でいる。袋菓子の空袋なんかも匹敵するほどの量だと思うけど、それには素知らぬふりだから、ほとんど本気でやろうとはしていないことが容易にうかがえる。

ところで、フィリピンの紙は簡単に破れるから始末が悪い。紙袋の上を持ち上げようとするとビリビリと破れるから、底に手を当てて大事に抱えなくてはならない。片腕が荷にかかりっきりになる。以前のプラスティックの袋なら、指に引っ掛けておけばよかったのに。

税金が国庫に入る前にいつの間にかやせ細ってしまうのだから、下水システムを改善するための予算も立たないんだろうし、ゴミ捨てをやめさせる教育や住民運動、ゴミ収集システムの強化などやるべき施策があるのに、そんな金と時間のかかる策は意中に無いようで、安上がりの小補正でごまかすしかできないんだろうな。

こんなやり方を、臭いものにふた、というんだよね。


132 明日はダナオに帰る日に

2018-08-03 | ダナオ/セブの人々
いまさら恋しいというわけでもないけど、一年に一回は帰らないと浦島太郎になってしまいそうな恐怖がある。かといって、ダナオに住んでも、誰かにあらためてここに骨をうずめるのかと問われれば、言葉に詰まってしまう。まあ、どこでくたばっても存在がなくなるのは同じだから、しのごの言っても始まらないのだけど‥‥。定位置はどこかと尋ねられると、身はダナオに置いているけど、心は日本で、ただしどっちからも受け入れられていない、漂白の世捨て人、身の置き所がないって感じになってきました。

さて、今回もまた食料の買い出しが主たる目的だ。日本の食文化の奥深さは一日たりとも舌が忘れない。

⚫︎ 市役所で一揉め
まずは市役所で転入の手続きと保険証をもらうのだ。前々回からなんだか雰囲気が違ってきたことが気がかりだったけど、悪いことをしているわけではない、正当な権利を行使しているだけだと、自信を持って行った。
窓口で話していると上司が出てきて、言葉の調子は柔らかいのだけど、もうできなくなったんですよ、と説得された。法にも明確な規定は多分ないに違いない。でも財政逼迫で、一時帰国で保険を使うのは、この時代に合わなくなったきたということなんだろう。いわゆる行政指導というやつだ。
現に、返す時には一ヶ月分として保険料を請求されたんだから、計算の方式があるということはその道がまだ残っているということを証明しているわけで、役所側は今のところは説得で対応していくという、ちょっと苦しい立場にあるようだ。
かつての無秩序な年金行政のツケを取り戻そうと今の我らに回している側面もあるよね。

⚫︎ 民族・歴史巡り計画
行動計画の付録に、歴史好きとしては前回の滝山城跡に続いて小金井公園の建物展示場と八王子城跡の見物、それに江戸東京博物館、国立東京博物館、噴火したらなくなってしまうかもしれない富士山見物で色付けだ。盛りだくさんで、すでに全うできそうもない。

⚫︎ 小金井公園江戸建物園
穏やかな晴天の初夏だ。さすが東京だね。こんな広い土地を公園にして公開しているなんて。それにしちゃ手入れが悪いな。それに人影もまばらでもったいないな。
建物群はガイドのボランティアの人たちがあちこちにいて、声がかかるのを待っているようだ。
お目当の高橋是清邸は半分ほど巡ったところで見えてきた。敷地は大きいけど建物は案外と和風好みで質素だ。人物をうかがわせる。二階に三部屋あって、その二つを書斎と寝室に使っていたそうだ。そこにいたガイドの人としばし庭を見ながら話してきた。
この部屋でかの人が暗殺され、まさにその場所に今立っている。血の海の中に息を止めて横たわっている様子を頭に描いてみると背中に静電気が走る。

茅葺の大きな家があった。入ろうとするとガイドと同時になって話が始まった。この家は多摩の豪農で八王子千人隊の組頭クラスの格の家なのだそうだ。私の生まれた家も茅葺だったから懐かしい。そこで何か何か違いを感じた。玄関を入ると農具などが壁際にあるのだが、何か足りない。そうだ、馬小屋はどこだ。ガイドに聞いてみた。多摩の農法では馬は使わなかったらしいと言う。なるほど今でも関東の農家の作物は野菜作りの割合が多いことからうなづける。

後で八王子民族資料館にも行ってみよう。

⚫︎ 八王子城跡
前回の滝山城跡は、道を間違えて長い距離を歩いたけど、まあ、ちょいとした丘程度の登り下りだったから、そんな構えで歩き始めたら、なんと頂上の八王子神社と本丸跡は標高460mだ。またこの後、三日四日足が痛くて歩けなくなるだろうなと思いながらも、途中で引き返す勇気もなく、本丸まで登ってしまった。
この急途には攻め手も相当な難儀をしただろうなと他雨息が漏れる。


<まだ半分?>


<なんと急峻>

八王子神社のある頂上は、今では背の高い広葉樹に覆取り囲まれて静まり返っていた。
展望台らしい大きな石碑が二つ並ぶ場所がある。そこには虫取り網を傍らにした少年がいた。くわがた虫を探してここに登ってきたと言う。アインシュタインが授業を抜け出してアリの行方を追いかけていた話をしてやった。少しは触発になったかな。

なんでも、滝山城は城主の北条氏照が秀吉軍と対立する情勢になって、防御の弱さから新たに八王子城を築いたのだそうで、大軍に攻められることを織り込んで築いた急峻な山城だ。落城の時には城主は小田原の本家の参謀として本隊を連れて出向していて、城砦には女子供を入れて三千人がいたのに、攻め手は前田、上杉の1万五千で、さしもの堅城もこの人数では防ぎきれずに1日で落城してしまったそうだ。


<子供の頃を思い出す>

さて腹も空いてきたしので八合目まで下って、鳥の声を聞きながら握り飯をほうばって、しばしうっとり。
やおら歩き始めたら膝の裏の筋に痛みが出始めた。こりゃ明日の計画は次回送りだな。

⚫︎ サービスの良さも極まれり
着いた日にラップトップを起動したらぐずぐずとしてついにダウン。アチャー。ハードディスクがいかれたのかなとヨドバシに行ったら、担当が恥ずかしながらと別のショップを紹介してくれた。それは競争相手のビックカメラだった。こんなことはセブではありえない。
紹介されたショップで、少し時間がかかりますから座ってお待ちくださいという。辺りの商品を見て回って戻って行ったらできましたと言う。PRAMクリアをしたら直りましたよ。ああ、そうだその手があったな。ハードディスクのことばかり気になってすっかり忘れていた。
それでお代はいくらですかといったら、無料ですという。これはフィリピンでは天地がひっくり返ってもありえない。セブのiStoreと言う認証されたサービスショップがあるが、行くたびに単純に検査料として500ペソを払うのが修理のスタートだ。おまけに不具合があると胃ヶ月はかかる。
すっかりビッグカメラのファンになって、いろいろと他の周辺機器も買い足してしまった。

十五日の旅程だったけど、日本文化に飢えている身には小さなことにも感動が見つけられて充実した日々だった。

131 新マクタン空港から成田へ

2018-07-28 | ダナオ/セブの人々

新しいマクタン空港が利用できるようになった。7月に使用開始と聞いてはいた。得意のソフトオープン、期限に間に合わないから、未完のままでとりあえず始めてしまう、ってやつ。

新空港に行くのは、ドライバーにも初の体験だ。ドライバーに新空港だよと告げても反応は鈍い。
運転手にはカネを払うんだから、自分で考えて、「はい、着きました」とやってよ。まったく頭を使う気がなさそうだ。一挙手一投足オレが指示しないと反応しない。わからないなら誰かに聞いて欲しいもんだ。間違っても事態に直面するまでは、頭を使う気もないようだ。
案の定、違う道に入ってガードに止められる始末だ。空港にしても案内版を掲示するぐらいのちょっとしたサービスができないのかな。

旧国際便出発口に入る緩い曲がりの手前を直進の道が出来て、途中に左への分岐があるが直進すると、高架橋のようになってヘアピンカーブを過ぎると入り口が見える。ブリッジ状の広い歩道が建物入り口につながる。入り口も広い。以前の建物のような田舎臭さは無く、ついさっきまで通ってきたゴミ臭い街の風景からは別世界のようだ。

パスポートとチケットを示して荷物検査。前回はここで大失敗をしたから、ゆっくりと着実にことを運んだ。というのは、前回、荷物検査でライターを取り上げられて、係員にジョークを言っているうちにパスポートを落としたままカウンターに行ってしまって、青くなって探しまわったことがあったからね。前回の轍は踏まない、戒めを持って臨みあっけなく通過。

ずらりと並んだチェックインカウンターを見回すと、一番左のカウンターにはすでに大勢が並んでいる。なんとなく雰囲気が違うけど、そこに向かうと、並んでいる人の輪の話し声のトーンが違う。甲高いしかしましい。ありゃ、このカウンターは中国の人たちだ。
踵を返して、電光ボードを見て目当てのカウンターに向かう。
事前チェックインをしていたので、チェックインカウンターには一人手続きをしているだけ。スルスルーと終わり。


さて施設利用料を払いにと列に並んでいる時に、あちこちのサイトでよく見る光景を目前にした。中華系の親子が施設利用料のカウンターの向かいで、うんこ座りをして朝飯を食べている。実際に目にすると、さすがに驚きというか呆れた。電車の中で子供にしょんべんをさせている親の写真を見たことがあったけど、これじゃそこらで用を足すこともありうるな。収入が増えて海外旅行をするような階層でもモラルについてはこの程度なのかかの国は。


さあ、パスポート、チケット、ECCがバッグの中にあることを確認してイミグレへ。役所の職員は一体に愛想の無い顔つきだが、イミグレは特に厳しい顔だ。勤務中ずっと苦虫を潰したような顔をしていたら健康に悪いだろうに。

さてと、多少の緊張をさせられる手続きを終えて、自宅を出てからの長時間の禁煙状態を解禁され、建物内を見回しながら、意中はタバコが燻る看板を探すことに一点集中。あった、あったー。トイレの向かいの小部屋だ。人を監禁するに適した小ささだ。タバコの煙の燻製ができそうだ。さてとタバコをくわえて見回すと、車のシガーライターが壁に取り付けてある。

ところが、二つの口があるのに一つにはすでにライターが無く、もう一つはライターがあるものの使用不能とテープで塞いである。これぞフィリピンだ。
そこで秘策の紙マッチをバッグの底から取り出し、これから久しぶりの日本に行くんだな、と感慨を深めながら、深く煙を吸い込んだ。

まあ、そんな些事があったものの、定刻に乗り込みが始まり、離陸も予定通り、空にも厚い雲は見えないし、平穏なフライトになるだろう。
好天に恵まれたは良かったけれど、日本はそのころ重層の高気圧に覆われて、記録更新の暑さが待っていたとも知らず。


タイルの切り方のずさんな2例