いまだからこそ

人類の宝 「憲法第9条」
この高邁な理想を高らかに掲げて
歩むことこそ日本の使命 

自民党の選挙応援に安倍昭恵さんが、国家公務員を随行

2017-04-04 14:06:56 | 
安倍昭恵さんと選挙、そして付き人を務める公務員
  ↓
https://twitter.com/i/moments/848820769979224064

【近未来からの警告~積極的平和主義の先に】<6完>

2015-08-11 13:03:48 | 
http://www.nishinippon.co.jp/feature/warning_from_future/article/174883
【近未来からの警告~積極的平和主義の先に】<6完>
ドイツから 負の歴史、街に刻み
2015年06月11日 14時02分


 ドイツの首都ベルリン。初夏の日差しに反射して、石畳の一部が鈍い金色の光を放っていた。近づいてみると、10センチ四方の金属板が埋め込まれ、こう文字が刻まれていた。「ここに住んでいたアリス・ローゼンバーグ(1911年生まれ)は42年にアウシュビッツ強制収容所に連行され、殺害された」

 ナチスの迫害によって、アリスという名の女性が31歳で命を奪われたことを、後世に伝えるメモリアル。隣に同じ姓のものがもう1枚あった。家族だろうか。

 今回取材で訪れたドイツ各地の街角で、同じような金属板を見かけた。「つまずきの石」と呼ばれ、ドイツ国内を中心に約9千個が設置されているという。

 一方、ナチス結党の地である同国ミュンヘン市。ドイツが連合国側に降伏して70年になる今年5月、ナチス本部跡地に公立のナチス歴史文書センターが開館した。選民思想やヒトラーの台頭をなぜ許してしまったのか。歴史文書を検証し、未来への教訓とするのが目的だ。

 政府系シンクタンク、ドイツ国際政治安全保障研究所のアレクサンドラ・サカキ博士(36)は「フランスや英国などの周辺国に、再び軍事大国化する不安を抱かせないためにも、ドイツは自らの過去に向き合ってきました」と説明する。

 彼女の専門は日本外交。九州大に留学経験があり、5月にも日独の安全保障政策の比較研究で訪日したばかりだ。国策を誤り、周辺国を戦禍に巻き込んだ歴史を持つドイツと日本‐。日本の外交・安保政策の評価を聞くと、こう答えた。

 「両国にとって、国外派兵と過去への反省は車の両輪であるべきです。自衛隊の海外活動を拡大する一方で、不都合な歴史を認めたがらない安倍晋三首相の姿勢は、周辺国との間に緊張を生みかねません」

「普通の国」誇るべき日本の歩み

 70年前、第2次大戦の敗戦国として再出発したドイツの歩みは、日本とよく似ている。

 東西冷戦のさなか、自衛隊発足翌年の1955年に北大西洋条約機構(NATO)の一員として再軍備に踏み切った。ただ、憲法に当たる基本法はNATO域外への派兵を認めておらず、専守防衛に徹した。

 転機は91年の湾岸戦争だった。日本と同じく多国籍軍に派兵しない代わりに、経済支援をした。70億ドル(日本は130億ドル)もの巨費を出したが、米紙などから「小切手外交」と批判された。当時のコール首相は「国際社会での責務を果たす」と宣言。基本法の解釈を変え、NATO域外に派兵する方針転換をした。

 94年に憲法裁判所が域外派兵を合憲と判断。住民虐殺が行われたコソボ紛争時には戦後初の戦時派兵となる空爆に参加した。2001年にアフガニスタン派兵を決めた。戦後世代で初の首相となった当時のシュレーダー首相は「ドイツが『普通の国』に近づく歴史的決定だ」と強調した。

 ドイツ国際政治安全保障研究所のアレクサンドラ・サカキ博士(36)は言う。「日本とドイツの共通点は『普通の国』になろうとしていること。異なるのは、過去との向き合い方です」

   ■    ■

 大分県宇佐市出身で、ドイツ西部のデュッセルドルフでスーパーを営む濱永(はまなが)三喜男さん(63)は、ドイツで生まれ育った娘の小百合さん(22)の高校時代のカリキュラムを知って驚いた。歴史の科目で、1年間の半分近くがナチスのユダヤ人迫害や侵略の歴史についての授業だった。

 学校によっては、社会科見学で強制収容所を訪れ、虐殺の現場となったガス室に閉じ込められる体験までするという。三喜男さんは「日本と違って、これでもかというほど戦前戦中の過ちを教える。それがドイツです」と語る。

 日本で国会審議中の安全保障法案が成立すれば、自衛隊の海外派遣が広がる。反省が必要な過去は「遠い過去」だけではない。自衛隊に詳しい中京大の佐道明広教授(56)は「実力組織を海外に派遣するからには、国会の事前承認だけでなく、事後検証の仕組みが不可欠。派遣の是非を一定期間後に検証しなければ、間違った判断を繰り返すことになる」と指摘する。

   ■    ■

 ドイツ中西部の古都マインツ。この街で著名な女性の芸術家フィー・フレックさん(83)は今、無人機による中東での対テロ戦争を描いた全長15メートルの巨大画に挑んでいる。

 ポーランド出身で、アンネ・フランクと同世代。彼女と同じく強制収容所に送られたが、奇跡的に生還し、反戦を訴える作品の制作を続けてきた。「絵を描くことで心の重荷を少しずつ降ろしてきました」

 今、フレックさんが住む建物も、かつて強制収容所で殺されたユダヤ人たちの家だった。玄関の案内板には住民35人が犠牲になった事実とともに、こんな言葉が記されている。「記憶し、警告し、行動せよ」

 フレックさんが制作中の絵を見せてくれた。中東の街が空爆で炎に包まれ、黒こげになった人々が描かれていた。「70年前、あなたの国でも空襲でたくさんの人が犠牲になったのよね」。そうつぶやいて、記者の目を見つめた。「日本が戦後、海外で一人も殺さず、殺されずにきたことを恥じる必要はありません。誇るべきなんです」

 =おわり

=2015/06/06付 西日本新聞朝刊=

http://www.nishinippon.co.jp/feature/warning_from_future/article/174883

【近未来からの警告~積極的平和主義の先に】<5>

2015-08-11 13:01:11 | 
http://www.nishinippon.co.jp/feature/warning_from_future/article/174882
【近未来からの警告~積極的平和主義の先に】<5>
ドイツから 支援任務「戦死」隠す国
2015年06月11日 14時02分


 70年前、米英など連合国が日本に無条件降伏を求める共同宣言を出した、ドイツ北東部ポツダムの郊外に「追憶の森」がある。ドイツ連邦軍の国外殉職兵の追悼施設だ。週末には、遺族などが花を手向ける。

 5月、現地を訪れた。アフガニスタンでの国際治安支援部隊(ISAF)の活動中などに命を落とした兵士の名を刻んだ7基の慰霊碑が並ぶ。「絶対に忘れない。ママより」。木々に掲げられた追悼文の一つに、そうあった。

 国会で審議中の安全保障法案が成立すれば、戦闘中の米軍への後方支援など、自衛隊の海外活動は大幅に広がる。近い将来、日本にも同様の施設が造られることにならないだろうか。

 アフガンで殉職したドイツ兵は計55人。ターニャ・メンツさん(46)も当時22歳の長男を亡くした。2011年2月、駐屯地に侵入した男の銃弾に倒れた。

 昨年11月にあった追憶の森の落成式典。遺族代表のあいさつでターニャさんは大統領らに訴えた。「慰霊碑が増えないよう願います。それでも派兵が避けられないなら、任務の実態を隠さずに教えてください。正直でなければ、国民の理解と支持は得られません」

「派兵の代償」報復テロ 高まる危険

 アフガニスタンの民主化支援と自国の安全保障‐。それが、ドイツが2002~14年、中東に最大5千人(特殊部隊除く)を派兵した理由だ。あくまで治安維持と人道復興支援が任務だった。

 だが、03年6月、現地で活動中の部隊が自爆攻撃を受け、兵士4人が死亡し、29人が負傷。以後も、テロの標的となったり、戦闘に巻き込まれたりして命を落とす兵士が相次いだ。ところが国民にネガティブな情報はほとんど知らされなかった。

 政府系のシンクタンク、ドイツ国際政治安全保障研究所(SWP)のフィリップ・ミュンヒ研究員(34)によると、国防省のウェブサイトでは、食糧配給や難民支援の実績を強調する一方、部隊の活動実態や被害は詳しく記載されなかった。当初は「戦死者」の存在も認めなかったという。

 ミュンヒ氏は「国家の隠蔽(いんぺい)体質に加え、『戦争に巻き込まれたくない』と考えるドイツ国民を刺激するのを恐れて、政府は適切な情報開示をしなかった」と分析する。

 アフガンから帰還した兵士たちが「戦争に行ってきた」と家族や友人たちに語っても、政府は「戦争ではない」と否定した。国防省が第2次大戦後長らくタブーだった「戦死」という表現を初めて使ったのは08年。現地が「戦争に近い状態」とようやく認めたのは、09年になってからという。

   ■    ■

 派兵の犠牲者は、ドイツ兵だけではなかった。

 09年9月4日の早朝。ドイツ連邦軍の国外派兵司令部の司令官だったライナー・グラーツ元中将(64)は、自宅で軍からの緊急の電話を受けた。「アフガン北部クンドゥズ州でタンクローリーが奪われた。武装勢力が集まり、現場指揮官の要請で空爆が行われた」

 だが、のちに「クンドゥズ事件」と呼ばれ、多数の地元市民を巻き込む誤爆だった。国際治安支援部隊(ISAF)の任務が武装勢力との戦闘行為に及んでいることも明らかになり、国内世論が一気に「派兵反対」へと傾いたという。

 ただ、ドイツ軍はアフガンから撤退しなかった。元軍幹部は「共同作戦を展開している同盟国との関係もあり、国内世論や現地情勢が変わったからといって、自軍だけ引き揚げるのは困難だ」と打ち明ける。

   ■    ■

 多くの代償を払って得られたものは何だったのか。

 SWPのミュンヒ氏は今年4~5月に現地情勢の調査のためアフガンを再訪。ISAFの戦闘任務は14年末に終了したが、外交官や欧米から来た民間人がテロの標的になっており、治安が回復したとは言えない状況だったという。

 「今回の派兵の最大の問題は、兵士自身が何のために戦っているのか理解できないまま命を落としたことだ」

 一方、ドイツ国内は報復テロの脅威にさらされている。5月の自転車レース大会で、イスラム過激派組織の関与が疑われるテロ計画が発覚。大会は中止を余儀なくされるなど、テロ警戒で催しが中止になる事態が相次いでいる。

 ミュンヒ氏は言う。「派兵が成功だったのか失敗だったのか、まだ結論は出せない。ただ、報復の連鎖を生み、ドイツがテロの標的となるリスクを高めたことは確かだ」

=2015/06/05付 西日本新聞朝刊=

http://www.nishinippon.co.jp/feature/warning_from_future/article/174882

【近未来からの警告~積極的平和主義の先に】<4>

2015-08-11 12:58:52 | 
http://www.nishinippon.co.jp/feature/warning_from_future/article/174881

【近未来からの警告~積極的平和主義の先に】<4>
米国から 「監視社会」 侵害される私的情報
2015年06月11日 14時02分


 案の定、秘密裏に警察が動いていた‐。米国の首都ワシントンを拠点に、低賃金で労働者を酷使する「ブラック企業」へ抗議活動を行う全米学生組織の幹部を務めていた大学院生ギャレット・シシド・ストレインさん(26)は2年前、不思議な体験をした。

 開催が非公表の抗議活動が、なぜか突然現れた警察官に制止される例が相次いだ。「捜査員が潜入している」と、ある女性を名指しした情報が入ったのは2013年5月。情報漏れを確信し、不当な潜入捜査をやめるよう求めて提訴。警察側は女性が捜査員だと認め、学生組織を監視していた実態が明らかになった。

 01年の米中枢同時テロ後、米国では「社会の安全確保」の大義の前に、人権やプライバシー保護が揺らいでいる。国防総省が反戦デモに参加した活動家らに関する情報を集め「言論、集会の自由を侵害している」として、06年には全米市民自由連合(ACLU)が、裁判を起こした。

 ストレインさんは「今や当局は反体制的なあらゆる団体への監視を強めているようだ」と懸念する。

   ■    ■

 米中央情報局(CIA)元職員エドワード・スノーデン容疑者が13年に暴露した、国家安全保障局(NSA)による市民の通話履歴やインターネット情報の大量収集。ニューヨークの連邦高裁は今年5月、通話履歴の収集は根拠とされた愛国者法215条を逸脱し、違法と判断した。同条の規定は1日、失効した。

 テロ対策を目的に01年に制定された愛国者法だが、起草に携わった連邦議会の議員たちでさえ想定外の拡大解釈を米政府は重ね、さまざまな個人情報を吸い上げるシステムをひそかに構築していたのだ。

 「国民の個人情報を可能な限り集めたいと考えるのが政府の性分。ひとたびこの種の法律を手にすれば、いずれ一線を越える」。プライバシー保護運動を主導する米図書館協会ワシントン事務所のエミリー・シェケトフ所長(65)は言う。

   ■    ■

 バージニア州のアーリントン中央図書館。返却された本のバーコードを端末機にかざしながら、貸出担当のエミリー・アルマンドさん(29)は言った。「この時点で、誰が何の本を借りたかという記録は自動的に消えます。これなら外部から記録の提供を求められたとき、『残っていません』って断れるでしょ?」

 冷戦時代から続く記録の提供を求める当局と、図書館との攻防。全米の大半の図書館は同種の電子システムを導入済みだという。ある人物がどんな本を借りたのか、共用パソコンで何を調べたのか。捜査当局にとって図書館は情報の宝庫。図書館側は、いかにして記録を残さないかに、知恵を絞っているという。

 一方、日本では、国家機密を漏らした公務員らに厳罰を科す特定秘密保護法を14年に施行した安倍晋三政権は、米国との軍事的一体化を進める安全保障法案の成立を目指す。国民への情報提供を絞り込む一方で、米国の後を追うように、テロ警戒などを理由に市民に過剰に目を光らせる息苦しい社会が待っているのではないのか。

 防ぐ手だてはあるのか。シェケトフさんの答えは明快だ。「政府がおかしなことをしていると感じたら声を上げる。一人一人の日本人が政府をしっかり監視する意識を持つことです」

=2015/06/04付 西日本新聞朝刊=

http://www.nishinippon.co.jp/feature/warning_from_future/article/174881

【近未来からの警告~積極的平和主義の先に】<3>

2015-08-11 11:57:42 | 
http://www.nishinippon.co.jp/feature/warning_from_future/article/174880
【近未来からの警告~積極的平和主義の先に】<3>
米国から 帰還兵、戻らぬ心
2015年06月11日 14時01分


 生ぬるい風が顔をなでる。その家の庭の高いポールに掲げられた星条旗が、ゆっくりと揺れていた。5月、米国フロリダ州南部の町デイビー。2年前、愛国心に満ちた24歳の元海兵隊員が逝った夜のことを、旗も見ていたのだろうか。

 2013年1月12日夜、この家は立ち入り禁止のテープに囲まれていた。「お会いしたいでしょうが、今はおやめになった方が…」。緊急連絡を受け、外出先から帰宅したジャニーン・ルッツさん(53)は、警察官にそう告げられた。ベッド脇で倒れたままであろう長男ジャノスさん(愛称ジョニー)の遺体を、抱きしめたい気持ちをこらえなければならなかった。

 精神安定剤などを大量服用しての自殺。パソコンに遺書が残っていた。「ママ、ごめんなさい。(でも)今は幸せです」と。

 01年に起きた米中枢同時テロ。13歳だったジョニーさんは「将来、国のためにテロと戦う」と誓った。母の反対を押し切り18歳で海兵隊に入隊。イラク、アフガニスタンで戦った。だが09年12月に帰還した時、パーティーでいつも盛り上げ役だった、かつての面影はなかった。心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。

 米国防総省に近いシンクタンク「ランド研究所」によると、01年から続く「テロとの戦い」でアフガン、イラクに派遣された200万人以上の米帰還兵のうち、約50万人がPTSDや、爆発などによる外傷性脳損傷で精神的な障害を負っているという。民間人の犠牲も多い、殺し、殺される戦場での過酷な経験が原因とみられている。

 01年は153人だった現役兵の自殺も、両国での戦闘が激化した05年ごろから急増。12年に過去最悪の349人に上り、14年も268人だった。しかも退役兵の自殺者総数は不明。帰還兵全体の自殺者総数は、イラク、アフガンでの戦死者約6800人をも上回るとみる識者もいる。

 ジョニーさんは10年にも自殺未遂を起こしていた。「元のジョニーに戻ってほしかった。その私の気持ちが彼のプレッシャーになっていたのかもしれない」。取材中、ジャニーンさんはそう叫び、自分を責めた。

「戦場の記憶」罪悪感から命を絶ち

「アフガニスタンでの親友の死と生き残った罪悪感に苦しんでいたと同僚から聞きました」。自殺した元米海兵隊員ジャノス・ルッツさん(愛称ジョニー)=当時(24)=の母親ジャニーンさん(53)はそう振り返った。

 2009年7月2日、米軍はアフガン南部ヘルマンド州で武装勢力タリバンの掃討作戦を実施。ジョニーさんも海兵隊約4千人の一員として参加した戦いで、親友のチャールズ・シャープさんが首を撃たれ死亡。その夏、他に13人の大隊の仲間が戦死したという。

 冬に帰還したジョニーさんは抜け殻のようだった。無表情、うつ状態…。すぐに怒りを爆発させ、ベッドでは悪夢に悩まされた。心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、グループセラピーや薬物治療を受けた。抗うつ剤や精神安定剤など一時は24種類もの薬を飲み、さまざまな副作用に襲われた。

 11年秋に治療を理由に除隊し、自宅に戻った。「自分には生きる価値などない」と同僚には苦しみの理由を明かした。一方で、家族に戦場でのことを語ることはなかったという。

 ある朝、一心不乱にシャワーで体を洗い始めた。「夢の中で自分の体が血と内臓にまみれていた」のだという。大量出血して死んだ親友が夢に現れたのかもしれなかった。壊れていく息子にどう向き合えば良いのか。母の苦悩も深かった。

   ■    ■

 厳しい訓練に、自殺防止効果がある‐。かつて米軍はそう考えていたが、深刻な心のダメージは、精神力では防げなかった。オバマ政権は精神科医やカウンセラーを大幅に増やすなど現役、退役兵の自殺防止対策を近年、本格化させた。退役兵自殺防止法も今年成立。だが状況は改善せず、過剰投薬など課題も多い。

 一方、4月に合意した新たな日米防衛協力指針で、安倍晋三首相は、自衛隊による米軍支援を「地球規模」に拡大した。自衛隊は、米国の戦争にどこまで関わることになるのか。

 安全保障関連法案の国会審議。首相は他国領域での集団的自衛権の行使について「中東・ホルムズ海峡での機雷掃海以外は念頭にない」としつつ、「安保上の対応は事細かに事前に設定し、柔軟性を失うことは避けた方がいい」とも。含みを残す説明に、野党は「歯止めのない派遣拡大につながる」と警戒する。

   ■    ■

 「子連れのイラク人女性が不審な動きをしたので、自爆テロだと確信した。銃の引き金を引こうとした瞬間、視界に邪魔が入り、動作を止めたら何も起きなかった。罪もない母親を子どもの目の前で殺していたかもしれない自分が、今も恐ろしい」とアンドリュー・カスバートさん(28)。

 「仕事を代わってくれた同僚が地雷を踏んで片足を失った」とブライアン・ルポさん(31)。2人は、PTSDと闘う帰還兵と家族の支援財団を立ち上げたジャニーンさんが紹介してくれた元海兵隊員だ。

 帰還兵と、家族を苦しめ続ける「戦争の後遺症」。「私たちのために戦ってくれた苦しむ兵士たちを、今度は社会全体で支えていかないといけない」。一時は自殺も考えたジャニーンさんだが、息子の死を無駄にしないために心にそう決める。遺灰は今も自宅で大切に安置している。

=2015/06/03付 西日本新聞朝刊=

http://www.nishinippon.co.jp/feature/warning_from_future/article/174880