
日照り続きのこの年に今宮神社にて雨乞いの儀式をしたところ、空から恵みの雨が降り注ぎました。
感謝の気持ちを込め、そしてこれを忘れぬようにと毎年 祭りが行われるようになりました。
人々は町ごとに屋台を持ち、それを移動式舞台として踊りや狂言を神様へと納め、
他の町には負けまいと、屋台を黒漆で塗ったり、色とりどりの彫刻で飾ったり、それぞれが様々な工夫を施しました。
今も、今宮神社の氏子町には屋台が27台現存されており、秋の祭りではそれらに囃子方が乗り込んで、交差点で互いのお囃子を「ぶっつけ」合います。
(屋台を ぶっつけちゃうわけじゃないですよ~

実は、鹿沼には屋台を作るのに必要な業者が全部()いて、これは栃木県で唯一だとか。全部揃っているのは、全国的にも関東あたりじゃ珍しいんです
さて。4月某日Macky&RYOは黒川付近のとある作業場におじゃましました
さっそく中に入ってみると・・・
な、なんだこの大量の布団はっ
屋台を運ぶとき、(クッションに)使うんだよ。
はっこの声は・・・
宇賀神工務店のご主人でもあります
こんにちは
今日は先日、「鹿沼の名匠」に選定された宇賀神さんについて
いろいろお話をお聞きしにきました
ではさっそくですが、まずは宇賀神さんの生い立ちを教えてください
粟野の百姓の家に生まれて。地域に蔵が無かったからウチで町内の屋台を預かってたんだ。
屋台を身近に感じるという意味では環境が良かったんだね。
子どもの頃のイタズラも、縁側の柱を切っちゃうとかそういうことしてたらしくて(笑)
その頃から木工に興味があったんだろうな。
最初は普通の大工さんになりたくてやってたんだけど、だんだん屋台の方に興味が湧いてきて。
屋台大工という名前は、ご自身で考えた名前だそうですが??
大工にも建築大工とか宮大工とかあるけれども、これはどちらにも寄らないなと思って
他と区別したくて自分で屋台大工という名前をつけたの。
なので他にこう名乗っている人は、たぶんいないよ。
屋台を専門に請け負う屋台大工
屋台はもちろん、山車や神輿・・・そういったものの
新築・修理・復元などを行うそうです
今現在は鹿沼市内を拠点にしつつ、県内外からの依頼も請けています。屋台大工としてのキャリアはどうやって築いていったんですか??
師匠はいないから、すべて独学で覚えて・・・
というか、環境が良かったんだね。
鹿沼には屋台がたくさんあって、それらを常に直していたから。
歴史と、文化財になるほどの環境があって、そんな中で色々やっているうちに勉強になってった。
仕口(しゅくち)や継ぎ手といったものも、屋台のは独特だから・・・独学で覚えるほかないんだよ。
彫刻屋台には様々な職人さんが携わっていますよね
車部分を作るのが車師さん、彫刻を彫るのが彫工さん、色を施すのは彩色師さん・・・
屋台大工さんというのは彫刻屋台のどの部分の製作を担っているんですか?
ぜーんぶだね、全部。土台から躯体、屋根・・・いわゆる骨組の段階から、彫刻の取付も。
彫刻の木取り(全体のバランスも考慮して、屋台のどの位置にどれほどの大きさの彫刻をつけるか決める作業)もやるよ。
実は、どの部分を誰がやらなければいけないとか、そういうのは特にないんだ。
そこは依頼してくる町内の希望次第で。自分の町内に大工がいれば、その人に任せたり。
別に他の人に仕事を取られても「うん、やってみたら」って思うよ。苦労するのは同じだからね。
でも、とうとう手に負えなくなってくると自分のところに来るなぁ。
自分のとこは、本当に最終。
みなさん、最後の頼みの綱として宇賀神さんの元を訪れるよう
お話を聞いていると、完璧な屋台を作り上げるのは想像するよりとても難しいであろうことが窺えます
普通に作るのは簡単ですよ。誰でも出来ます、これは。
よく素人がミニチュア作るのと同じ感じで。他の部分もそうだよ。
(たとえば)ここにだって車あるんだよ。自分用の車が。荷車も。
勉強の為に色々と作ってみる。
だから誰でも作れるけども、ただ、屋台は揺れるから。それをいかに長持ちさせるか。
10年、20年使っててどうなるか。
何年持つかでその辺の信用が変わってくる。
そうか屋台は普通の建築と違って、揺れること、移動させることを前提に造らなければいけないんですね
一般建築と比べて、他にはどんな点が違うんですか??
よく筋交いとかいうでしょ。その筋交いの代わりにツカを入れるとか、数を増やすとか。
でも、あんまり強くしちゃうと今度は上が動いて下が動かなくなっちゃって。
やっぱりバランスがあって。そこらの調整が難しい。
“筋交い”や“釘”は一般建築では当たり前に使われますが、それを一切使わずに別の技術で対応するとは・・・
ここで宇賀神さんが独学で学んだ知識と培ってきた経験がモノをいうわけですねっ
彫刻屋台は、構造的には鹿沼独特なんですよ。
他にはないんですよ、こういう構造材が一緒になって見えるようになっているのは。
普通は見えないんだよ。幕を張ったり隠したりして。
これは全部見えちゃうんで難しいとこですね。
はいっ素朴な疑問なんですが・・・
お祭りで見る御神輿とかって布が使われているイメージがありますけど、
鹿沼の彫刻屋台は木がメインといった感じで、布を使っている印象があまり無いような・・・?
布のが上(豪華)だから。彫刻よりも高いから。
京都行った時も、布触るのに手袋しないと触らせてもらえないんだよ。研修で行くんだけどね。
普通は、布のが上なんですよ。
だから祇園あたりのがそういう意味では上なんだよ。高いの。彫刻より上なんだ。
そういった意味があったんですね
布は貴重で贅沢品だったのか・・・
使うと華美なもの
と見なされたのかな・・・
ところで、彫刻屋台は分解できるそうですね
できます。出来ないのもあるけど、ほとんど分解できます。
それに、完全にくっついちゃうと揺れなくなって柱が欠けちゃうからね。
祭りのときに組み立て、分解して次の祭りまで保管する
これは保管の都合だけでなくて、若返り思想
にも通じるとか。
他の地域とかは職人に頼むんだけど、鹿沼の場合は、素人が組むんで。
一般の、町内の若い人が。
プロに任せれば簡単なんだけど、素人にはちょっと難しい。一番、そこが問題だよ。
慣れてないから、ひどいと組み立てる時に柱を逆さまにしちゃったりね。
でも鹿沼は昔から素人が組み立ててる。
ものすごい難しい、作るのがね。
誰にでも組めるように簡単で、でも壊れにくいように作らなくちゃだめだから。
壊れにくくしたいけれども複雑な造りには出来ない・・・
その矛盾を埋めるのは大変ですね
新築の場合、デザインは宇賀神さんが担当するんですか?
自分で考えるね。
修理と違って、自分が思ったように作れるから
新しい屋台は余計に気に入ってる。
アイデアの参考に、全国のお祭りを見て回ったりします
見るのは好きだね。良いものがあれば写真を撮って、新築のときの参考にする。
・・・でも、それをやると全国的に同じような屋台になってしまうでしょ。
要するに、バイパスが街に出来ると周辺に店が出来る。あれは全国どこも同じ光景だよね。
屋台や神輿もああなっちゃうと困るんだよ。
だから、ちょっとカッコ悪くても、昔その地域地域で流行ったものは そのまま使わないと。
全国みな同じ屋台になっちゃう。そしたら文化的価値がないから。
なるほど普段は あまり意識してませんでしたが、
神輿や山車、屋台といったものは地域性が色濃く出ているんですね
一番面白い話は、100年も経つとたぶん山車や神輿の上にドラえもんが付くだろう、って。
えどういうことですか??
昔の人の感覚では同じようなもんだよ。流行ったのをくっつけてるわけだからね。
それでもいいんだよ。「文化財なんだ」って。
200年前にこういうものが流行って、それをそのまま200年使い続けてれば、ドラえもんが乗ったやつも文化財になるよ。
今はイベントでしか使ってないけど、あれがずっと続けば、その時代でね。
私たちにとって当たり前のものや、一見ちょっと奇抜なものでも、その時代を象徴するものとして後世に伝えられれば・・・
たしかにドラえもん神輿も文化財だ
さすがにドラえもんは乗っていないものの
鹿沼の彫刻屋台も一つ一つがとても個性的ですよね。
宇賀神さんの一番のお気に入りの屋台を、こっそりアイラブかぬま部員に教えてください
~2011年 鹿沼ぶっつけ秋祭り パンフレットより~
うーん・・・
・・・ああ、コレが一番カッコいいわ
自分で作ったんだ。泉町の。
(鹿沼の屋台は)全部違うんです、形が。ものすごく。
コレは胴を細くして下を上げたの。今風の八頭身の屋台なんです。かっこいいんです。
並べないと分からないけどね。
テーマとかありますか?
「とにかく、かっこよく作ろう」って。
屋根もでかいんです。屋根がでかくて胴が小さいんです。いくらか締まって。
で、足は長く作って。
たしかに他と並べて見てみると・・・
泉町の屋台は、人で例えると洋服が似合いそうな今どき体型って感じです
昔のは、着物の似合うドッシリとした日本人体型(←良い意味ですよっ)な印象ですね
囃子方は上がるのが大変なんです、(上がる場所が)高くて(笑)
でも、ほんのちょっとなんだよ?微妙なくらい。
そこが宇賀神さんの こだわりどころなんですね
もう、説明してくださる目がキラキラしてますよ~~
新築だと完成までにどれくらいの日数がかかりますか??
実際は分業だから。塗りとか他に行ってまた戻ってきて・・・長いと全体的に5年かかる。
材料乾かすのだけでも1年ちょっと必要だから。
そんなに必要なんですか