〔問題〕甲は、8月のある夜、Aが夏の間だけ利用しているA所有の別荘(木造家屋)に火をつけ、これを全焼させた。なお、この別荘は、人里離れた場所にあり、草木などを含めて付近に燃焼可能な物はまったく存在しなかった。また、別荘は、放火当時もAにより現に使用されていたが、甲は、人身に害が及ぶことを嫌って、Aの留守中をねらいAが家屋内にいないことを確かめてから火を放ったのであった。甲の罪責を論ぜよ。
井田良『新論点講義シリーズ2 刑法各論』169頁 参照(下線部付記)
1 問題の所在
現住建造物等放火罪(108条)の成否が問題となる。放火罪は、条文上「公共の危険」の発生が要求されていない抽象的公共危険罪(108条、109条1項)と、「公共の危険」が要求されている具体的公共危険罪(109条2項、110条)の2つの類型がある。具体的公共危険罪の場合には、具体的事情の下で、公共の危険が発生したことがはっきりと確定されない限り処罰されない。本問のような抽象的公共危険罪においても「公共の危険」の発生が必要とされるかが問題となる。
2 放火罪の保護法益
放火罪は、公共危険罪である。したがって、不特定または多数人の生命・身体・財産の安全が放火罪の第1次的な保護法益である。
また、放火罪は、放火の目的物である住居・建物等について、人が現に住居に使用(現住)し、または、現に人がいる(現在)かどうかによって法定刑を異にしている。これは、放火罪が2次的には人の生命・身体の安全を保護法益としているからである。
さらに、放火罪は、財産的性格、特に毀棄罪(損壊罪)の性格をも持ち合わせている。目的物が自己所有であるか他人所有であるかによって法定刑に大きな差異を設けているからである。そのため放火罪は、人の財産をも保護法益とするものである。
3 公共の危険の判断基準
いかなる場合に公共の危険が発生したといえるか、その判断基準が問題となる。基本的に2つの考え方がある。
第1は、自然科学的・物理的観点から、具体的状況下で延焼の可能性があり、不特定または多数人の生命・身体・財産に対する侵害の可能性があるかどうかを客観的に判断すべきであるとする見解である。
第2は、社会心理学的観点から、公共の危険は「客観的なものでなければならないが、その客観性は、物理的客観性ではなく、心理的客観性を有すれば足りる。すなわち、たまたま当時の自然的・人為的条件から見て物理的には危険がない場合であっても、一般人の印象からすれば危険を感ずるような状態になったとすれば、公共の危険があると言うべきである。『危険』とは、そういう心理状態を意味している。」とされるものとしている。
4 学説の概要
抽象的公共危険罪の場合に、「公共の危険」の発生が必要であるかについては、以下の学説が主張されている。
①擬制説(判例・通説)
抽象的公共危険罪の場合、構成要件該当行為があれば当然「公共の危険」が発生するものとみなされ、したがって、放火行為のほかに「公共の危険」の発生は必要ではなく、それゆえ「公共の危険」の認識は故意の内容ではない。
②危険発生必要説
抽象的公共危険罪である放火罪にあっても、ある程度の「公共の危険」の発生が必要であり、「公共の危険」の認識は故意の内容をなすものである。
【参考文献】
井田 良 『新論点講義シリーズ2 刑法各論』
大谷 實 『刑法講義各論 〔新版第2版〕』
西田 典之 『刑法各論 〔第3版〕』
大塚 裕史 『刑法各論の思考方法 〔初版〕』
立石 二六 『刑法各論30講 〔初版〕』
日高 義博 『刑法各論講義ノート 〔第3版〕』
私見(小澤)
本問において、別荘が現住建造物等放火罪における客体かどうかを考察する。
「現に人が住居に使用し」とは、放火の当時、人が起臥寝食(=日常生活)の場所として日常使用しているという意味である。「人」とは、犯人以外の者をいう。夏しか使用しない別荘でも、家財等が何時でも使用できる状態にしてある場合には「現に人の使用する住居」と解することができる。
「公共の危険」の発生をめぐる学説は、擬制説・危険発生必要説があるが、公共危険発生説を採用して問題解決を図った場合、現住建造物等放火罪に関して、人が起臥寝食の場所として使用している場所であれば、たとえ一時的に留守にされることがあっても、いつ何時、居住者や来訪者が建築物内に立ち入り、放火により生命・身体に危険を受けるかもしれないのであるから、現住建造物に対する放火を強く禁止するという政策的立場から、具体的な諸事情のもとで当該行為が人の生命・身体に対していかなる意味で(どの程度)危険であったかをいちいち認定することはなく、妥当とは言い難い。また、公共の危険が発生しなかった場合は、建造物等損壊罪ないし器物損壊罪の罪責を負うにとどまるが、消火のために駆けつけた人々(居住者、消防隊員)の生命・身体の安全はこれらの罪の違法性によってはカバーできない。
したがって、本問において、擬制説を採用して問題解決を図るのが妥当と考える。別荘が焼損し全焼したので、当然「公共の危険」が発生するものとみなされ、現住建造物等放火罪が成立する。
私見(上妻)
甲が、A所有の別荘に火を付け全焼させたことから、放火罪の成否を検討する。
まず、現住建造物等放火罪は、生活の本拠である必要はなく、起居の場所として日常使用されていれば足りるから、夏の間だけ使用する別荘であっても、現に人がいる建造物にあたる。「放火」して「焼損」させたこともあり、構成要件に該当する。非現住建造物等放火罪は、「現に住居に使用せず」、「現に人がいない」とされているから該当しない。
次に、保護法益の観点から、放火罪は火力によって建造物その他の物を焼損して公共の危険を生じさせる公共危険罪である。放火行為は不特定または多数人の生命・身体・財産に対して危険をもたらすものである。
本問の、「人里離れた場所」、「付近に燃焼可能な物は、まったく存在しなく」、「Aの留守中をねらい」から、付近の建造物等への延焼可能性も、建造物内部の生命・身体への危険性も、いずれも存在しない。
このことから、放火罪の実行行為性は認められるが、抽象的危険の発生が認められず、放火罪の重罰の根拠を欠いているため、放火罪の成立は妥当といえない。
以上により、現住建造物等放火罪も非現住建造物等放火罪も成立せず、建造物等損壊罪(刑法260条)が成立するにとどまる。
井田良『新論点講義シリーズ2 刑法各論』169頁 参照(下線部付記)
1 問題の所在
現住建造物等放火罪(108条)の成否が問題となる。放火罪は、条文上「公共の危険」の発生が要求されていない抽象的公共危険罪(108条、109条1項)と、「公共の危険」が要求されている具体的公共危険罪(109条2項、110条)の2つの類型がある。具体的公共危険罪の場合には、具体的事情の下で、公共の危険が発生したことがはっきりと確定されない限り処罰されない。本問のような抽象的公共危険罪においても「公共の危険」の発生が必要とされるかが問題となる。
2 放火罪の保護法益
放火罪は、公共危険罪である。したがって、不特定または多数人の生命・身体・財産の安全が放火罪の第1次的な保護法益である。
また、放火罪は、放火の目的物である住居・建物等について、人が現に住居に使用(現住)し、または、現に人がいる(現在)かどうかによって法定刑を異にしている。これは、放火罪が2次的には人の生命・身体の安全を保護法益としているからである。
さらに、放火罪は、財産的性格、特に毀棄罪(損壊罪)の性格をも持ち合わせている。目的物が自己所有であるか他人所有であるかによって法定刑に大きな差異を設けているからである。そのため放火罪は、人の財産をも保護法益とするものである。
3 公共の危険の判断基準
いかなる場合に公共の危険が発生したといえるか、その判断基準が問題となる。基本的に2つの考え方がある。
第1は、自然科学的・物理的観点から、具体的状況下で延焼の可能性があり、不特定または多数人の生命・身体・財産に対する侵害の可能性があるかどうかを客観的に判断すべきであるとする見解である。
第2は、社会心理学的観点から、公共の危険は「客観的なものでなければならないが、その客観性は、物理的客観性ではなく、心理的客観性を有すれば足りる。すなわち、たまたま当時の自然的・人為的条件から見て物理的には危険がない場合であっても、一般人の印象からすれば危険を感ずるような状態になったとすれば、公共の危険があると言うべきである。『危険』とは、そういう心理状態を意味している。」とされるものとしている。
4 学説の概要
抽象的公共危険罪の場合に、「公共の危険」の発生が必要であるかについては、以下の学説が主張されている。
①擬制説(判例・通説)
抽象的公共危険罪の場合、構成要件該当行為があれば当然「公共の危険」が発生するものとみなされ、したがって、放火行為のほかに「公共の危険」の発生は必要ではなく、それゆえ「公共の危険」の認識は故意の内容ではない。
②危険発生必要説
抽象的公共危険罪である放火罪にあっても、ある程度の「公共の危険」の発生が必要であり、「公共の危険」の認識は故意の内容をなすものである。
【参考文献】
井田 良 『新論点講義シリーズ2 刑法各論』
大谷 實 『刑法講義各論 〔新版第2版〕』
西田 典之 『刑法各論 〔第3版〕』
大塚 裕史 『刑法各論の思考方法 〔初版〕』
立石 二六 『刑法各論30講 〔初版〕』
日高 義博 『刑法各論講義ノート 〔第3版〕』
私見(小澤)
本問において、別荘が現住建造物等放火罪における客体かどうかを考察する。
「現に人が住居に使用し」とは、放火の当時、人が起臥寝食(=日常生活)の場所として日常使用しているという意味である。「人」とは、犯人以外の者をいう。夏しか使用しない別荘でも、家財等が何時でも使用できる状態にしてある場合には「現に人の使用する住居」と解することができる。
「公共の危険」の発生をめぐる学説は、擬制説・危険発生必要説があるが、公共危険発生説を採用して問題解決を図った場合、現住建造物等放火罪に関して、人が起臥寝食の場所として使用している場所であれば、たとえ一時的に留守にされることがあっても、いつ何時、居住者や来訪者が建築物内に立ち入り、放火により生命・身体に危険を受けるかもしれないのであるから、現住建造物に対する放火を強く禁止するという政策的立場から、具体的な諸事情のもとで当該行為が人の生命・身体に対していかなる意味で(どの程度)危険であったかをいちいち認定することはなく、妥当とは言い難い。また、公共の危険が発生しなかった場合は、建造物等損壊罪ないし器物損壊罪の罪責を負うにとどまるが、消火のために駆けつけた人々(居住者、消防隊員)の生命・身体の安全はこれらの罪の違法性によってはカバーできない。
したがって、本問において、擬制説を採用して問題解決を図るのが妥当と考える。別荘が焼損し全焼したので、当然「公共の危険」が発生するものとみなされ、現住建造物等放火罪が成立する。
私見(上妻)
甲が、A所有の別荘に火を付け全焼させたことから、放火罪の成否を検討する。
まず、現住建造物等放火罪は、生活の本拠である必要はなく、起居の場所として日常使用されていれば足りるから、夏の間だけ使用する別荘であっても、現に人がいる建造物にあたる。「放火」して「焼損」させたこともあり、構成要件に該当する。非現住建造物等放火罪は、「現に住居に使用せず」、「現に人がいない」とされているから該当しない。
次に、保護法益の観点から、放火罪は火力によって建造物その他の物を焼損して公共の危険を生じさせる公共危険罪である。放火行為は不特定または多数人の生命・身体・財産に対して危険をもたらすものである。
本問の、「人里離れた場所」、「付近に燃焼可能な物は、まったく存在しなく」、「Aの留守中をねらい」から、付近の建造物等への延焼可能性も、建造物内部の生命・身体への危険性も、いずれも存在しない。
このことから、放火罪の実行行為性は認められるが、抽象的危険の発生が認められず、放火罪の重罰の根拠を欠いているため、放火罪の成立は妥当といえない。
以上により、現住建造物等放火罪も非現住建造物等放火罪も成立せず、建造物等損壊罪(刑法260条)が成立するにとどまる。
代わりに、死者占有をやろうかなと勝手に考えていますおσ(・∀・ )
詳しくは明日ゼミ長と会って見当しまふ(´・∀・)ノ