「お金は人を豊かで幸せにするのか?」
あなたは、この質問にどう答えますか?
おそらく、現代を生きる人々の100人中95人は「お金は人を豊かにする」と答えるのではないでしょうか。もしかするとその中の80人は「お金は人を幸せにする」と答えるかも知れません。
(正確な統計資料に基づいたものではないですが。。。)
しかし、次の質問に対してあなたはどう答えますか?
「お金は自然を豊かで美しくするのか?」
皆さんはどう感じるかわかりませんが、私はこの質問に対してそれほどいい答えを導き出すことができません。
なぜなら、世界でもっとも豊かだといわれる経済大国日本の例をみても、経済活動が自然を豊かにした覚えがないからです。むしろその反対の事例を見つけ出す方が簡単なくらいです。
それでは、この質問はいかがでしょう。
「お金は何を売り買いするために存在するのか?」
この質問は簡単そうに見えますね。
もちろん、服や食べ物を始め、ガスや電気、水道、交通手段のようなサービス、各種電子機器など我々の生活や欲望に沿ったモノを買うために存在します。
しかし、これらのモノは一体どこから来るものでしょう。
それらのルートを辿ってみると、すべてのモノがすなわち「自然」からくることを理解するのにそれほど時間はかからないはずです。
つまり、私たちはお金で、自然を売り買いしているとも言えます。
それでは、最後の質問。
「人は自然なしでは、豊かで幸せになれるか。」
この質問に、自身をもって「豊かで幸せになれる!」と答えられる人がいたら、私はその人にぜひお会いして、その方法を教えていただきたいと考えています。
しかし、私たち人間は自然なしでは、豊かで幸せになるのはおろか、生きていくことすらできません。なのに、なぜ私たちは自ら生きていくベースとなる自然を売り買いすることだけに留まらず、さらなる経済成長へと拍車をかけようとしているのでしょうか。不思議で仕方ありません。
小説「モモ」で著名なミヒャエル・エンデは、こういいました。
「すべての問題は、紙幣の発明とともに起こりました。紙幣に問題があるのは、金や銀などのような有限なものではなく、好きなだけ作れることにあります。
わかりやすく説明するために一つ例をあげて見ましょう。
ロシアのバイカル湖の人々は紙幣がその地方に導入されるまではよい生活を送っていたといいます。日により漁の成果は異なるものの、自分たちが食べて近所の人々とともにする分は常に得ることができました。しかし、今日のバイカル湖にはたっだの一匹の魚も採ることができません。一体なにが起こったのでしょう。
バイカル湖の魚がなくなり始めたのは、紙幣が導入された時期と見事に一致しています。
紙幣の導入と一緒に銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効率の高い漁法を採用しました。冷凍倉庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのために対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を買い、さらに効率の高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。ローンを利子つきで返すためだけでも、そうせざるを得ませんでした。それが、今日のバイカル湖に魚がいなくなった理由です。」
この例の最後に彼は、こう言葉を沿えた。
「しかし、湖は誰のものでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。これは一例に過ぎませんが、近代経済の中でも無限に発行できる紙幣経済が、今まで保っていた自然と人間とのバランスをはるかに超えさせることを可能にしたのは確かなことです。」
私も貨幣経済そのものを否定するつもりはまったくありません。
しかし、無限に作れる抽象的な貨幣をもって、誰のものでもないはずの自然を競い合い、しかもその貨幣を沢山もっている者は、金融派生商品などを手段を積極的に活用し、貨幣の抽象性をさらに膨らませ、自然を奪い合う競争にとうとう勝利を勝ち取って見せます。
もちろん、その途上には道徳や倫理などは問われません。
競争に勝った人は幸せを感じることができたかもしれません。
しかし、そのようなことが繰り返されるうちに、今は「地球上の2%の金持ちが地球上の80%の資源(自然)を所有」するようになりました。
「そのような今の経済システムに、果たして未来はあるの?」
そう疑問を抱くのは私だけのことでしょうか?
皆さんはどう思いますか?