Chang Seokjin 's Bookshelf

人生を考える、人を思う、環境を思う、韓国人ソッチンの日本在住記

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普天間基地移転、「最低は県外、最高は。。。。?」

2010-05-20 12:48:03 | みんなで考える
「最低は県外、最高は。。。」

米軍基地はそもそも我々の安全を守ってくれるのでしょうか?
なぜアメリカは全地球上の隅隅にまで自分たちの基地をもうけるのに
それほど必死なのか、考えてしまいます。

僕はたまにこう思ったりします。
平和や安全を守ってくれるのは、「強さ」ではなく「弱さ」ではないかと。
米軍基地や各国の軍隊は、「自分自身を強くしなければ安全は保障できない」という発想からできたものだと思います。
しかし、実際のところそれは本当に正しい考えでしょうかね。

僕の軍隊での体験からもそう感じましたし、
歴史のあらゆる場面でも、自国をまもるためにあるはずの軍隊が(米軍を含め)
逆に自国民に銃を向け、戦争よりも大量な犠牲者をだしてしまったり、
何の罪もない一般市民に害を与えることが多々ありました。

軍隊を持たない国には少なくとも、”軍人”による自国民への被害はないはずなのに。(笑)

もしかしたら、人間は武装したり威嚇したり強がったりすることで、
自分たちの弱さを隠そうとしてきたのかもしれません。

だけど、自分が強くなればなるほど、それに対する補償は、
ますます強まる相手の警戒心だけじゃないかな?

だったらいっそ自分の弱さを互いに出し合って互いに協同して生きていけばいいのに。。。

ま、ずらずらとながくなってしまいましたが、
つい数日前から僕が活動している「ナマケモノ倶楽部」という団体の世話人でもある
辻信一さん(環境運動家、明治学院大学国際学教授)の呼びかけにより
みんなが考える「最低は県外、最高は。。。?」のリレーが始まりました。

http://www.sloth.gr.jp/aboutus/event/2010/nobase3.htm
http://www.sloth.gr.jp/aboutus/event/2010/nobase3.htm

これがまた面白いっ!

皆さんも自分にとっての「最低は県外、最高は。。。?」を考えてみては?

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企業が追求する「効率化」は、誰のための効率化なのか?

2009-07-14 23:22:21 | みんなで考える

産業革命の時代から企業において「効率化」とは、収益を増幅させる手段としてはもちろん同業他社との競争に勝つために欠かすことのできない活動であったことは確かなようです。

去年(2008年)、アメリカから広がりはじめた世界経済破綻をきっかけに私の勤めている会社でも連日のように「効率化!効率化!」を謳っています。無駄な仕事を削り、同じ作業においても時間を短縮する方法を探ったりするなど、効率化には手段と方法を選ばないようにと言われているのです。

その中には、必要性のない人の削減も入っていたようで今年は数多くの人が会社を後にしなければならなくなりました。皮肉なことに、その人たちもかつては企業の効率化に少なからず貢献したことには間違いないということです。このような状況は、既にあらゆるマスコミで知られているように、私の会社だけのことではないと思います。

私は、普段から「効率化」という言葉のもつ意味についてよく考えています。

●企業の行っている「効率化」が究極的に追求しようとしている到達目標はいったいどこなんだろうか?

●企業は、まるで「効率化」= 善 のように叫んではいるが、その活動の末には果たしてみんなが幸せになるのか?

●「効率化」は、誰のための活動なのか?

●「効率化」で一番利益を得るのは誰なのか?

などなど、沸いてくる疑問は数えることができません。

 短期的に考えてみれば、効率化することで同じ作業においてもその実働が減ったり作業が楽になったりし、その分だけより多くのものを生産することができるので会社における収益があがることは当然のように感じます。そして、社員たちも効率化による実績に対する報酬がもらえるし場合によっては早めに昇進することができるかもしれません。

しかしながら、人類の歴史の規模で考えれば、1.5万分の1にも及ばない間、人類の数(人口)は58億人も増加し(下記統計資料参照)、それとちょうど半比例するように地球上のすべての生き物が享受すべき資源は減少していることが分かります。

(国連資料)http://www.unfpa.or.jp/p_graph/pgraph.html

一見、これは「効率化」とは何のかかわりがないように思われるかもしれません。

わかりやすく説明するために一つ例をあげて見ましょう。

小説「モモ」で著名なミヒャエル・エンデは、晩年とあるインタビューで、下のような例を挙げながら世界経済と自然環境との関係についてこう警告しました。

「ロシアのバイカル湖の人々は紙幣がその地方に導入されるまではよい生活を送っていたといいます。日により漁の成果は異なるものの、自分たちが食べて近所の人々とともにする分は常に得ることができました。しかし、今日のバイカル湖にはたっだの一匹の魚も採ることができません。一体なにが起こったのでしょう。
バイカル湖の魚がなくなり始めたのは、紙幣が導入された時期と見事に一致しています。
紙幣の導入と一緒に銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効率の高い漁法を採用しました。冷凍倉庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのために対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を買い、さらに効率の高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。ローンを利子つきで返すためだけでも、そうせざるを得ませんでした。それが、今日のバイカル湖に魚がいなくなった理由です。」

産業活動により経済は膨らみ続け、今や企業は一歩間違えるだけで生と死が分かれてしまいそうなぎりぎりなボーダーラインでの投資を続けるようになりました。今になって、「効率化」とは、ちょっと昔の状況と違い、競合他社との競争に負けて存続するか否かを切り分けるほど切実なものになっています。

それは、全体的においてはもちろん、個々人においても同じことが言えます。

果てしない効率化活動により、元々人が得られるはずだった「心と時間の余裕」は、今やどんどん忙しくなるばかりの悪循環として返ってきました。

医学技術の発達により、人間の寿命は二倍ほど伸びましたが、皮肉なことに元々人間が使えたはずの余裕は逆に半減しています。また、今でも、効率化へのスピードは富国と貧国の格差を同じ速度で広げており、同国内でも富裕層と貧困層のスピードや格差を広げ続けています。

かつて効率化を図った人たちが、その効率化により必要なくなってしまうケースが増えたのもそれとまったく無関係とは言えないでしょう。

もしかしたら先進国とよばれる国々で暮らしている私たちには「善」のように感じられるかもしれません。マスコミで毎年だしている国民生活水準の向上に関する報道や記事などがそれを証明しているように思えます。もしかすると、その記事はただの騙しに過ぎないかもしれませんが、そこまではここで深く議論しないようにします。

では、「効率化」は何が問題なんでしょうか。

それは、経済成長と同じように、効率化にははっきりとした到達目標がないことにあると私は考えています。

効率化によって稼いだ時間や利益は、そのために犠牲にならざるを得なかった自然環境や資源(これらははっきりとした持ち主がいないにもかかわらず人が勝手に掘り出して売り買いしているものですが。実を言うとこれらの持ち主は”私たちの子孫”であると私は考えています)、そしてそれを実現させた人員に平等に還元されず、どんどんさらなる拡張へと投資されてしまいます。

それらの活動は、またさらなる犠牲を生み出し、いつの間にか予想もしなかったところで大きな弊害をもたらすかもしれません。

300年の産業化・効率化という実験台としての期間に私たちは何を成し遂げて、その代わりに何を失ったのかをそろそろ直視すべき時期になってきていると思います。

私たち人類を含め、全世界に存在する企業の人々は人の欲望と同じように、到達地点の定まらない経済成長や効率化の進行には、自分の住処(地球)の多大なる犠牲を踏み台にしていることに早く気づかなければなりません。

なぜなら、それを考える作業は、これからこの地球上で生きていく私たち自身の子供達のためでもあるからです。

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お金は人類を豊かにしないということについて

2009-07-06 23:24:43 | みんなで考える

「お金は人を豊かで幸せにするのか?」

 

あなたは、この質問にどう答えますか?
おそらく、現代を生きる人々の100人中95人は「お金は人を豊かにする」と答えるのではないでしょうか。もしかするとその中の80人は「お金は人を幸せにする」と答えるかも知れません。
(正確な統計資料に基づいたものではないですが。。。)

 

しかし、次の質問に対してあなたはどう答えますか?

 

「お金は自然を豊かで美しくするのか?」

 

皆さんはどう感じるかわかりませんが、私はこの質問に対してそれほどいい答えを導き出すことができません。

なぜなら、世界でもっとも豊かだといわれる経済大国日本の例をみても、経済活動が自然を豊かにした覚えがないからです。むしろその反対の事例を見つけ出す方が簡単なくらいです。

 

それでは、この質問はいかがでしょう。

 

「お金は何を売り買いするために存在するのか?」

 

この質問は簡単そうに見えますね。
もちろん、服や食べ物を始め、ガスや電気、水道、交通手段のようなサービス、各種電子機器など我々の生活や欲望に沿ったモノを買うために存在します。

 

しかし、これらのモノは一体どこから来るものでしょう。
それらのルートを辿ってみると、すべてのモノがすなわち「自然」からくることを理解するのにそれほど時間はかからないはずです。

つまり、私たちはお金で、自然を売り買いしているとも言えます。

 

それでは、最後の質問。

 

「人は自然なしでは、豊かで幸せになれるか。」

 

この質問に、自身をもって「豊かで幸せになれる!」と答えられる人がいたら、私はその人にぜひお会いして、その方法を教えていただきたいと考えています。

しかし、私たち人間は自然なしでは、豊かで幸せになるのはおろか、生きていくことすらできません。なのに、なぜ私たちは自ら生きていくベースとなる自然を売り買いすることだけに留まらず、さらなる経済成長へと拍車をかけようとしているのでしょうか。不思議で仕方ありません。

小説「モモ」で著名なミヒャエル・エンデは、こういいました。

「すべての問題は、紙幣の発明とともに起こりました。紙幣に問題があるのは、金や銀などのような有限なものではなく、好きなだけ作れることにあります。

わかりやすく説明するために一つ例をあげて見ましょう。

ロシアのバイカル湖の人々は紙幣がその地方に導入されるまではよい生活を送っていたといいます。日により漁の成果は異なるものの、自分たちが食べて近所の人々とともにする分は常に得ることができました。しかし、今日のバイカル湖にはたっだの一匹の魚も採ることができません。一体なにが起こったのでしょう。
バイカル湖の魚がなくなり始めたのは、紙幣が導入された時期と見事に一致しています。
紙幣の導入と一緒に銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効率の高い漁法を採用しました。冷凍倉庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのために対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を買い、さらに効率の高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。ローンを利子つきで返すためだけでも、そうせざるを得ませんでした。それが、今日のバイカル湖に魚がいなくなった理由です。」

この例の最後に彼は、こう言葉を沿えた。

「しかし、湖は誰のものでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。これは一例に過ぎませんが、近代経済の中でも無限に発行できる紙幣経済が、今まで保っていた自然と人間とのバランスをはるかに超えさせることを可能にしたのは確かなことです。」

 

私も貨幣経済そのものを否定するつもりはまったくありません。

しかし、無限に作れる抽象的な貨幣をもって、誰のものでもないはずの自然を競い合い、しかもその貨幣を沢山もっている者は、金融派生商品などを手段を積極的に活用し、貨幣の抽象性をさらに膨らませ、自然を奪い合う競争にとうとう勝利を勝ち取って見せます。

もちろん、その途上には道徳や倫理などは問われません。

競争に勝った人は幸せを感じることができたかもしれません。

しかし、そのようなことが繰り返されるうちに、今は「地球上の2%の金持ちが地球上の80%の資源(自然)を所有」するようになりました。

「そのような今の経済システムに、果たして未来はあるの?」

そう疑問を抱くのは私だけのことでしょうか? 

皆さんはどう思いますか?

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皆さんは、毎日どんな歌を歌っていますか?

2009-04-27 03:43:23 | みんなで考える
"皆さんは、毎日どんな歌を歌っていますか?" -ナナオサカキ-

本当に困った質問だ。

もし自分がナナオさんからこのような質問をされたらどう答えればいいんだろう。

"俺は毎日どんな歌を歌ってるっけ?"
"いや、歌は歌っているのかな。"
"そもそも歌なんてそんな毎日歌うもんじゃないよ!。。。"

ここまでくるとなぜか自分が恥ずかしくて仕方が無い。

確かに歌を歌ったのはいつだったのかすら思い出せないほど久しく感じる。

果たして、それは私一人のことに限ることだろうか。

街を歩いているとき、通りすがりの或る人が歌を口ずさんでいるのを見かけたとき
私たちはまず「あの人、大丈夫かな」と思ってしまう。

「それが普通」だと思い込んでしまい始めたのは一体いつからだろう。
考えてみると、人間のそばにはいつも歌があったはずだった。

それが、今やテレビで活躍している歌手やアーティスト達の専有物でもあるように
自分だけの音楽を作ったり、口ずさんだりすることは恥ずかしくてなかなかできない次代になってきているんじゃないかと思う。

好きな音楽を聴くためにも色んな装置が必要で、歌うためにもカラオケじゃないとなかなか恥ずかしくて難しい。
カラオケですら、心をこめて熱唱すると、ほめ言葉かどうか分からないが周りの人から「大熱唱だね!」といわれる。
街で口ずさんだりすることは初っ端からできないもんだ。

しかし、ナナオさんの質問は決して意地悪な質問ではない。
彼にとっては、それが自然なのだ。

私達の身の回りには、人の作った歌や、人の作ったモノ、人の作った考えや思想(特にマスコミ)、人の作った食べ物であふれている。
しかも、それをよくも安心して食べたり、フィルタリングなしに受け入れたり、つかったりしている。
結局、最後に被害を受けたり振り回されるのは「自分自身」であるにもかかわらず。

考えてみれば、私達はそれを買うためのお金を作っているだけではないだろうか。
会社などで何かを作っていると言い張る人もいるかもしれないが、
それもほとんどが、細かく分業されているため結局自分一人で作り上げたものにならない。
だから、ほとんどの人間は「金」に全てをかけてしまう。

それに全てをかけてしまったので、金で買えないもの(人の心、家族愛、協力、人を思う心、平和、安心安全、自然-最近はこれすら金でやり取りしようとしているが、これは本当は誰かの所有物ではないはずだ- 等)がどんどん失われていく。


ナナオさんのこの変わった(?)質問は、
今を生きる人たちに、本当に楽しいことがなにか、本当にすべきことはなにかを考えさせる貴重な言葉じゃないかと私は思う。
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 「ナナオサカキの思想」 

2009-04-27 03:06:09 | みんなで考える


第一回目「ナナオ・サカキの思想」


 たくさんの渓流に洗われた頭
 四つの大陸を歩いてきたきれいな足
 鹿児島の空のように曇りなき目 …
 ナナオの両手は頼りになる 星のように鋭いペンと斧
    ──「ナナオ」(アレン・ギンズバーグ)


<ナナオサカキに出会うための本>

「地球B」
ナナオサカキ
(人間家族編集室 0558-62-4533)
し、もうひとつの可能性を持った双児星・地球Bへの憧憬を歌った「雪の海 漕いで行く」で始まるナナオサカキの日本語第二詩集

「ココペリ」
ナナオサカキ
(人間家族編集室 0558-62-4533)
タイトルのココペリとは、ホピなど、アメリカ原住民の間に生きる精霊のこと。笛を吹き、リュックを背負ったその姿はまるでナナオそのものだ。日本語最新詩集。

「聖なる地球のつどいかな」
ゲーリー・スナイダー/山尾三省
(山と渓谷社)
1997年、ほぼ30年ぶりに再開した、ゲーリー・スナイダーと山尾三省の対談集。彼らの最新の思想と代表的な詩に触れることができる入門書的な一冊。

「スロー・イズ・ビューティフル」
辻 信一
(平凡社)
ベストセラーとなった本書では、「スロー」という概念を様々な側面からわかりやすく説明しており、所々引用されたナナオや三省の詩がスローの理解をさらに深めている。

<ナナオ・サカキとは>


2008.10 雑誌「planted」より

 ナナオ サカキさんは1923年鹿児島県生まれ。80才。60年代のカウンターカルチャーを代表する詩人の一人であり、
ビートニクスの詩人故アレン・ギンズバーグやゲーリー・スナイダーの親しい友人でもあります。旅の人。
日本国内は北から南まで隈無く歩き、海外もアラスカからオーストラリア、チェコ、中国、台湾、インドネシア、韓国、
イタリアと旅をし、今でも旅を続け、その軌跡は詩となって詩集や朗読会で多くの人に届けられています。

詩は世界17カ国で翻訳され、日本で出版された詩集は「犬も歩けば」「地球 B」「ココペリ」の3冊。翻訳本は「亀の島」
(ゲーリー・スナイダー著 日本語訳ナナオサカキ ピューリッツア賞受賞作)「Inch by inch」(小林一茶の俳句 英訳ナナオサカキ)。
他に英文で3冊、フランス、イタリア、チェコで各々詩集が出ています。詩の朗読会は国内はもとより、外国にも多く招かれ、
各国のホール、大学、コミューン(共同体)、ライブハウス、友人たちの家などで開かれています。

1988年にはアムステルダムで開かれた「世界詩人祭」に、2001年にはイタリア・ヴェニスの「ビエンナーレ芸術祭」に
日本を代表する詩人として招待されました。

 自然保護、環境問題には早くから関わり、石垣島白保の海や長良川河口堰、吉野川など関わってきた地域は数知れず、詩に表現し、
独自の方法で多くの人に問いかけをし、警鐘を鳴らしています。唄が好きで、フリーソングを自分で作り、わらべ唄からロシア民謡、
アイヌやアメリカインディアンの唄にまで精通しています。実際の暮らしは、ほとんど物を持たず、一汁一菜の質素な生活。

様々な友人たちが必要な物をカンパして支えています。消費経済の発展に背を向け自然を愛し、
いつも大きなリュックを背負い歩いています。多くの体験と深い思考から生まれる詩は私たちに、知らない内に着込んでしまった垢に気づかせてくれ、
生きていくのに何が大切で何が不必要か、充分とは、地球に生きているということはどういうことなのか、たくさんのヒントを示してくれています。

http://www.shomeido.jp/より引用
 
<プレゼンターとナナオ>

辻さんによるコラム http://www.sloth.gr.jp/library/tsuji/020122nanao.html
南兵衛さんによるコラム http://www.earth-garden.jp/en_colum/2009/02/post_5.html
ナナオ追悼メッセージ集(辻さんのものもあり)http://amanakuni.net/nanao/message/index.html
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