
潮岬に初めて行った釣り人は、ほぼ全員その異様な雰囲気に驚愕する
下り潮がぶち当たった時の潮の流れは、いくら沖のセシマの潮が速かろうが
三ツ石の潮が飛ぼうが、その比ではない
釣り人を拒むかのような険しい磯
特にヨボシ、オサエツケ、オオクラ、ナナシ
初めて行ったならウロウロしないほうが賢明だ
今流行のフェルトスパイクなどで行こうものなら、きっと恐ろしい目に遭うだろう
白長靴に8mの長竿
常連客は竿ケースにバッカンだけ。バッカンには少しのエサとスカリのみ
見たこともないような長い竿と両軸リールを操り、次々と魚を仕留めていく
帰るころには『何なんだ、この人たちは・・』と呟くことになる

最近潮岬灯台にカメラが設置され、ドウネやアシカ、
コメツブまでいつでも覗くことが出来るようになった。
エラい世の中になったもんや
暇な時はほとんど見ている
特に夕方、渡船客が帰ったあとボートでやってくる地元組は
腕達者が多く、カメラで覗き見するのも面白い
かつてはこの中に串本のボンと釣り人に慕われ、
必殺長竿釣法の生みの親、本田さんの姿があった
アシカと言えば本田さん、本田さんといえばアシカ
この人とアシカという磯には切っても切れない縁があったのだろう
当時アシカには誰がつけたのかは知らないが、
太郎と花子という巨大な尾長グレが居ついていた
そのことは雑誌などでもよくとりあげられていたので
行ったことがないころは
『ふ~ん、そんなグレがホンマにおるんかいな』
と思うくらいで、なかなか現実味がない話だった
40cmのグレを釣りたいと思ってるモンが
80cmをゆうに超えるオナガの話をきいても
そりゃピンとくるわけがない
ところがそれは初めてのアシカへの渡礁で
突然に現実を目の当たりにすることになった。
台風明けの平日釣行
船は袋の港に避難させていた
当然釣り客ゼロ
ヨシオさんの運転する軽トラの荷台に乗って袋まで
兄貴と二人で
そこから一の島前を通ってアシカへ
兄貴は7mのFX。こっちは5m30cmの爪楊枝みたいな竿で
わけも分からず水族館の上から釣りをはじめた
潮はガンガン下っていたのを思い出す
マキエをパラパラと撒いているとすぐにソイツは姿を現した
自分の撒くエサに巨大な魚が乱舞している
サンノジやイズスミも今まで見たこともないサイズであったが
そのなかでもひときわでかいグレが水面近くまでエサを拾いにあがってくる
正直なところ足はガタガタふるえ
『頼むから食いつかんといてくれ』と
一投ごとに念じていた
もっとも百戦錬磨のグレがそんな新米の仕掛けに掛かるわけもなく
その日は40cmくらいまでのサンノジ、イズスミが入れ食いだった
ただ兄貴は、得体の知れない超大物をかけていたが
有無を言わさずシモリに走られぶちきられていた
本田さんと初めて会ったのもその日やったかな
いつの間にか現れたと思ったら、めっちゃ気さくに話しかけてきた
『兄ちゃんらどっからきたんよ』
『マキエにへんなもんまぜてないか?』
『あんなもんまぜたらなぁよ、磯についたある魚がエサについてしもてよ
そのうち磯に魚がつかんようになってしまうんよ』
話、というよりほとんど一方的な喋りで
えらく甲高いでかい声で、名人というより完全な地元のおっさん、、
緊張感もなく色んなことを教わった
このあともアシカに行くと本田さんは必ず現れては面白い話を聞かせてくれた
74cmを釣り上げたときのやり取りの話や昔のシーガーの話、、
オーナー社の針を使う理由、夏の船虫の釣り、、
時々食らいつくジャンボはとてつもなく重く、
まるで竿に箪笥をぶらさげてるようだとか。。。
そんな大物キラーのイメージがあるが、かつては競技会にも参加されており
報知杯優勝など輝かしい戦歴もある
和歌山勢が強かりし時代の過去の栄光
利用していた浜の爺が亡くなり、本田さんが亡くなり、そしてヨシオさんまでも。
行きつけの渡船店の廃業はつらいものがある
またいつでも行けると思っていたのが、余計に足が遠のいてしまう
でもカメラでみてたら平日はいつもガラガラみたいやし
最近エエ下り入ってるのが分かるしで、ちょっとウズウズしてきてる
誰か、久しぶりに行かんかの~

そうそう、本田さんはいつもいつも掛けては切られるジャンボに対して
元竿に玉の柄を継ぎ足して竿を長くし、やっと60オーバーを取り込んだのは有名な話だが
それよりまだ前の時代、アシカで4m80cmの竿で60クラスをバンバン釣っていた人達がいた。
かの神様、島さんや難波さんたちである
切られないから長い竿を使う必要はない、、、らしい。