こころの景色 こころの音

ありたい私を創造してゆきます。

おとちゃんの唇に水泡のようなものが・・・

2016年01月31日 | 日記
本日で1月も終わり
そして、今日はお父さんのお誕生日。
亡くなってるから、もうお誕生日は必要ないけれどね。


うちのダックスのおとちゃんの唇にぷっくりと水泡のようなものが出来ました。
なんだろうか・・・。
動物病院へ連れていったけども、何かの炎症かもしれないから、
炎症を止めるお薬を4日間のませて、それでも
腫れがおさまらなければ、細胞診って事になると思います。

さっき少し調べてみたけれども
皮膚上球腫というものかもしれない。良性の腫瘍でダックスやボクサーに
発症するらしい。原因はわかっていなそう。
2週間ほどで消えて、また出来ることもあるみたい。
とにかく良性ならそれぐらいで自然と腫れがひけると書いてあった。
でもどのサイトも、素人判断は危険だから細胞診をした方がいいって書いてある。

何かで炎症しただけで
腫れひいてくれないかな・・・。


おとちゃんは、
私の生きる希望だし、支えだし、パートナーだし、家族だし、
大事過ぎて言葉にならない。
引き取ったときは、弱くて生きられないんじゃないかと思ったけど
自分で調べたり、食事に気を使ったりして
大切に大切に育ててきました。

どうかどうか、おとちゃんが
痛い思いをしないように
怖い思いをしないように、
楽しい毎日が送れますように。

蛭子さん

2016年01月27日 | 日記
私のお友達とお話ししている時、

お友達が一言

「アホの坂田師匠のように生きていきた」と言いました!

さすが、私のお友達とその時思いました!!!!!

そして、私も

「私も蛭子能収さんってすごいって思う」と。

私は前々から、蛭子さんはただものではないと感じていました。

人って、真剣さや深刻に生きてる方がなんだか素敵に見えます。

でも、蛭子さんは人にどう思われているかも どう生きればいいのかも 
世の中をどう渡ればいいのかも、考えたり悩んだりしても仕方ないというスタンス。
先のわからない事、まだ起こってもみないことを
クヨクヨ考えたり、悩んだりしてもしょうがないって。
人に自分の価値基準を委ねてないので、そこに人の評価を気にする基準が存在していない。
どうしようもない自分に安住してるあの姿。
自己否定がないので、やることに面倒な思い込みや観念がないのだ。
ダメダメとよく言われているが、ある意味すごい人だと思う。
人からみたら、どうしようもない人と言われても
彼の心は幸せなのではないでしょうか。
と感じる事があります。
 

でも、やっぱり考えて生きてしまうとか思ってもそれも自分。
考えてしまう私にどっしり腰をおろせばいいんだもんね。
人それぞれ生きる個性と質があるんだろうからね。

私泣きたかったんだ!

2016年01月25日 | 日記
私、泣きたかったんだと思いました 笑

日曜日は映画を2本見ました。

1つは、ジブリ作品 「かぐや姫」
ずっと録画してあって、見る機会を失ってたもの。
私は好きでした。
どこか夢物語のようで、
そしてまた、定められた苦しい生き方のために
すべてが傷付いてゆく切なさとどうしようもなさと。
また、束縛の中にココロの自由を見つけて
叫んだ声が月に届いてお迎えがきてしまう。
ある意味、私たちの人生のように
この星に、様々な体験するために生まれてきて
そして死というお迎えくる。
かぐや姫では、約束に地球のことは全て忘れてしまうという事だったけど
なき人へ、想いをはせるって素敵だけれども
忘れて執着を残さないというのも幸せなのかもしれないと感じました。

そして、周りのとと様とかか様の気持ちを思い泣きました。

もう1つは、YUIちゃんの「たいようのうた」という
ひと昔前の映画。
この主題歌を歌うので、観た方がいいよって言われたので。
テーマが重い病気だし、若くして死を覚悟するんだから
やっぱり見てても涙ばっかりでてくる。
私は本人よりも、周りの人の暖かさが一番胸をうちます。
限られた人生を目の前にしたら、
もちろんやれるだけやったあげたいって
思うのだろうけれども、
それぞれの立場で、それぞれが出来る事をやってる姿と葛藤が切なく美しかった。
人は、人のために生きる時、本来の持ってる
愛情と力ようなものが、とめどなく湧き出てくるのかもしれないね。
自分のためには、そこまで頑張れないのかもしれない。
死ぬ側もまた、途中までもがきながらも自然と覚悟出来る日がくるのかな・・・

本来、生きる事は死に向かう事。
早いか遅いかで、全ての人が向かうもの。


そして、私はまた周りの恋人やご家族の思いに泣きました。

帰ってきて、思いました。
私、泣きたかったんだと。

幸せな時間

2016年01月23日 | 日記
こころ静かに過ごしたくて

本当に周りと自分の雑音から遠く離れる事が出来ました。

日々のこころの雑音が遠くに感じました。

ただ、燃えるストーブの音を聞いたり
とめどなく降る雪をみたり
シンギングボールの音を響かせたり
好きな時に眠って
好きなものを食べて

ハートの中に心配や不安がないわけではないけれど
自分じゃない遠くにあるように思えて

とても幸福な時間を過ごしました♪

若い時から、こうした1人の時間を私は必要とします。
こうしてまた、笑顔になれたりするから。

あんまり静かで、おとちゃんは眠りづつけていました。
飼い主に似て(笑)


この間実家で撮った、おとちゃん♪
あんまり、りりしいので。

第三の世界

2016年01月22日 | 日記
人のありのままを受け入れるって難しい。

その人がそのままを表現し、言葉を発する。

それが、自分にとって心地いい時は、分かり合えてる

それが、自分にとって不快な時は、分かり合えない

という感じかな・・・

そもそも、分かり合えない時と感じる事は

本来さびしいことじゃないと思う。

それは、第三の道を探す新たな道だから。

私の世界 その人の世界 もう1つ、第三の世界
(第三の世界という考えは本で読みました。それを私なりに解釈)

第三の世界は、もしかしたらしばらく間を置く事かもしれない。

もしかしたら、全く違う見解でお互いを認め合う事かもしれない。

それは、沈黙かもしれないし、意見をぶつける事かもしれない。




違う道もあると気付くだけで、楽なる。

本来は難しいなんてない。

人は、お互い様 切磋琢磨

あなたがいて私がいる。


信頼は信頼する要素があるから信頼するんじゃない。

始めに信頼があるんだ。

それは信頼するという大きな大きな愛の1つの現れ。

右、左、白、黒 と2極だけでなく グレーがあって

その時々を裁くことなく生きたい。

私は自分の思いを大切にします。

そして、本当はいつも言いたい。

ありがとう・・・と