頭痛専門クリニック

都道府県で最も信頼できる頭痛専門クリニックのリスト。検索にあなたのお住まいの都道府県名を入力してください。

くも膜下出血で死亡した有名人まとめ

2014-11-13 22:02:24 | クリニック
小林カツ代
料理研究家として、簡単ではあるが手抜きではない料理を研究、紹介しており、生涯で出版した著書は200冊を超える。また、台所用雑貨や食器のプロデュース、講演活動も行っていた。長男のケンタロウも料理研究家。
2005年8月にクモ膜下出血を発症、その後は入院療養を続けていたが、2014年に多臓器不全のため逝去。76歳没。

吉田栄勝
日本のレスリング選手。レスリング指導者。吉田沙保里の父。2012年のロンドンオリンピックでは女子代表チームコーチを務めた。
2014年、路肩に停車した自動車の中でぐったりしている所を発見され、病院に搬送されたが死亡が確認された。死因はくも膜下出血とされる。61歳没。

木村拓也
元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)、プロ野球コーチ。愛称はキムタク。、「俊足・強肩・巧打」と、攻守ともに優れたユーティリティープレイヤーとして重宝された選手だった。
2010年、試合前、シートノック中に突如として意識を喪失しそのまま倒れ込んだ。搬送後クモ膜下出血と診断され、治療を受けていたが、意識不明の重体から容態は改善することのないまま、入院先の病院で息を引き取った。37歳没。

竜鉄也
歌手。25歳で失明。その頃より音楽の勉強を始め、演歌師として出発する。「奥飛騨慕情」でデビューし、1981年には第32回NHK紅白歌合戦に出場。2000年頃に脳卒中で倒れたあとは、療養していたため歌手活動はしていなかった。
2010年、くも膜下出血により岐阜県高山市の病院で死去。74歳没。

竜鉄也
歌手。25歳で失明。その頃より音楽の勉強を始め、演歌師として出発する。「奥飛騨慕情」でデビューし、1981年には第32回NHK紅白歌合戦に出場。2000年頃に脳卒中で倒れたあとは、療養していたため歌手活動はしていなかった。
2010年、くも膜下出血により岐阜県高山市の病院で死去。74歳没。

玉川善治
芸能プロモーター、作詞家。お笑い芸人専門の芸能事務所『プロダクション人力舎』の前代表取締役社長。人情に厚く温厚な人物で、タレントのことを親身に考えていた。
2010年、くも膜下出血の為、東京都中野区の自宅で死去。63歳没。

南田洋子
女優。芥川賞を受賞した話題作『太陽の季節』が映画化され長門裕之とともに主演。この映画は大ヒットし2人は日活の看板スターとなり、多くの作品に出演する。1961年に長門と結婚。おしどり夫婦のイメージのもとに最晩年まで多彩な活動をしていた。2004年頃から認知症の症状が表れ始め、ドラマや映画の台詞が覚えられなくなるほど悪化し、芸能活動を引退。専門医によりアルツハイマー病との診断が下された。
2009年に自宅で倒れ、クモ膜下出血との診断を受けた。危篤状況が続いていたが、意識が戻らず、同10月21日に死亡した。76歳没。

日沢伸哉
放送作家。『クイズ!紳助くん』『探偵!ナイトスクープ』構成を手がけるほか、『上方落語をきく会』『日曜落語 〜なみはや亭〜』などの演芸番組の構成を手がけた。
2009年、クモ膜下出血のため死去。54歳没。

福田繁雄
グラフィックデザイナー。単純化された形態とトリックアートを融合させたシニカルなデザインが特徴。「日本のエッシャー」とも称される。画家の福田美蘭は娘。1994年に、TBSドラマ「天までとどけ3」にて本人役で特別出演している。
2009年、くも膜下出血のため東京都三鷹市の病院で死去。76歳没。

島村麻里
フリーライター。女性と社会や文化のかかわりをテーマに新聞、雑誌などで執筆活動を行っていた。鬱病を10年以上患って、その体験を闘病記として発表。
2008年、くも膜下出血により死去。51歳没。一人暮らしの自宅で倒れているのを死後数日してライター仲間に発見された。

木原光知子
元水泳選手、タレント。高校在学時に1964年東京オリンピックに出場し「ミミ」の愛称で一躍アイドル選手となった。競技を引退後は東レの水着モデルを務めるなどタレントに転向。各種スポーツ団体や岡山県関連の理事・委員や日本水泳連盟理事を務めるなどの多方面で活躍していた。
2007年、親子水泳教室の指導中に倒れ、意識不明のまま搬送された。一時は意識を回復したものの、クモ膜下出血のため死去。59歳没。

熊井啓
1960年代から2000年代にかけて活動した日本の映画監督。妻はエッセイストでポプリ研究家の熊井明子。多くの監督作が『キネマ旬報』ベスト・テンに選出され、ベルリン国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭の各賞を受賞した。日本を代表する社会派映画の巨匠である。
2007年私邸の敷地内で倒れているところを発見され、搬送された病院で意識を回復したものの、クモ膜下出血のため死去。76歳没。新作の準備に意欲を見せていた中の無念の死だった。

小林恭治
男性声優、ナレーター。テレビ草創期の時代から声優やナレーターとして活躍した。巨人の星、プラネテスのナレーターなど。
脳梗塞による1年間の闘病生活後、2007年、くも膜下出血のため東京都世田谷区の病院で死去。75歳没。


出典
neet-project.com
村田渚
お笑い芸人。1991年、「フォークダンスDE成子坂」(ツッコミ担当)としてデビュー。『タモリのボキャブラ天国』に出演し、爆笑問題や海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)、ネプチューンらと共に人気を博した。解散後は元坂道コロンブスの松丘慎吾と新コンビ「鼻エンジン」を結成。
2006年、東京都品川区の自宅マンションで倒れていた所を発見される。発見時、既に息を引き取っていた。周囲に頭痛などの体調不良を訴えていたが、クモ膜下出血のため急逝していた事が判明。まだ35歳の若さだった。

金田一春彦
言語学者、国語学者。国語辞典などの編纂、方言の研究でよく知られている。次男はテレビに出演する日本語教師の金田一秀穂。
2004年、クモ膜下出血のため甲府市の病院で死去する。91歳没。

高橋俊昌
少年雑誌『週刊少年ジャンプ』第7代編集長。当時の『週刊少年ジャンプ』編集長西村繁男の方針である硬派路線に反し、美少女を描けるまつもと泉、富沢順、萩原一至、冨樫義博などの作家を次々発掘し続けた。後に鳥嶋とともに『Vジャンプ』創刊にも携わる。
2003年、クルーズ客船上で催された同誌『ONE PIECE』のアニメ映画作品の製作発表会見に出席した際、その席上で突然倒れる。会見は中止されて急遽帰港、搬送されたが死去。死因はクモ膜下出血であった。44歳没。

伊藤俊人
俳優。ほとんどの三谷作品に出演している。黒ぶちのメガネを使うことも多い、個性派名脇役であった。2000年10月、『ショムニ』の撮影で出会ったスタイリストの女性と交際半年でスピード結婚。
2002年、レギュラー出演していたテレビドラマ『ショムニ』の続編『ショムニFINAL』の撮影数日前にクモ膜下出血のため、40歳の若さで急逝した。なお『ショムニFINAL』以降は野々村課長の代役を立てず、海外赴任中という設定になっている。

如月小春
劇作家・演出家として活動し、野田秀樹・渡辺えり子らとともに1980年代の小劇場ブームをリードした。また、エッセイストとしての著作も多く、司会者・コメンテーターなどとしてもテレビにも出演していた。
2000年、クモ膜下出血により死去。44歳没。

Kami
MALICE MIZERの元ドラマー。1999年6月にくも膜下出血で亡くなった。MALICE MIZERの2代目ボーカルとして活動していたGACKTは命日と誕生日にはお墓と実家に足を運んでいる。

小成たか紀
漫画家。1984年、『月刊少年ジャンプ』の『マンモス』(原作:武論尊)にてデビュー。以後、主に『月刊少年ジャンプ』で活躍した。1996年、クモ膜下出血のため急逝。そのため、当時『週刊ヤングジャンプ』にて連載されていた作品「てっぺん」は未完のままに終わる。36歳没。

吉村よう
男性俳優、声優。脇役での声優出演が中心だったが、『ついでにとんちんかん』では主人公である間抜作の役を個性的な声でつとめこれが代表作になった。また、ディズニー作品であるくまのプーさんのブエナ・ビスタ版で最初にプーさんの声を担当していた。
1991年、クモ膜下出血に倒れ死去。37歳没。

天知茂
俳優・歌手。ニヒルの代表格で、当時の代名詞的存在であった。孤独なヒーロー役や悪役が多かった。美輪明宏主演舞台『黒蜥蜴』で明智小五郎役を演じ、これが当たり役となる。
時代劇やコメディドラマでも味を見せ、新たな映画製作の企画を進めていた矢先の1985年、クモ膜下出血により渋谷区の日赤医療センターにて死去。満54歳没。

八木治郎
元NHKアナウンサーでテレビ司会者。報道・芸能・社会番組などを担当。NHKを退局しフリーとなり、『ウィークエンドモーニングショー』の司会を務め、民放モーニングショーの先駆的存在となる。派手さはないが、「ムード派の八木」と呼ばれた。
1983年料理店で食事中に突然倒れる。診断の結果、クモ膜下出血と判明。人工呼吸等が施されたものの意識は戻らないまま、翌日夜に死去。57歳没。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿