統一教会をののしる人たち

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精誠

2010-09-05 22:26:18 | 教義
「精誠」と言う言葉があります。「精誠」という言葉は、私が知る限りにおいては7~8年ぐらい前から文鮮明氏が頻繁に使われるようになられた言葉、と記憶しております。

 阪神タイガースが優勝する、沖縄が高校野球で2度優勝する、などと言ったすばらしい結果が努力の賜物ででることは選手たちにとっても、地元の人たちにとっても非常にうれしいことです。
 
 しかし、私たち統一教会の教えは、もちろんそのようなすぐに結果が出てくることは非常に大切なことなのですが、そのように場当たり的に、一喜一憂する価値観をもつことが一番大きな部分を占める教えではありません。

 私たちは「天国を作っていく。」ということに一番大きな価値観を持っている集団です。その天国がすぐに作れるものであるならすぐに欲しいし、ずっと先に作れるものならばずっと先でもいいし、人々が助け合い自己実現していける世の中が到来するのであれば、それを実現するのが我々の夢です。

 そのため、教会に来た人たちは先祖の願いによって招命された、と信じているものが集うところです。天国を作るために努力すると誓った者たちが集うところです。
 「精誠」とは、目に見えないものです。賞金や絶賛など程遠い行動です。
「祈り」が、優勝できるでしょうか?一番祈ったからご褒美という世界ではありません。
「働いて献金する。」という行為を誰が評価するのでしょう?神様(自分の良心)です。

 あなたの良心は知っているでしょう?「あなたがいくら他人の為にお金を使えるのか?」ちゃんと知っています。その良心に忠実に生きることで良心に恥じない生活を営むことが出来ます。

「良心に恥じない生活」をしようという会話は一般社会ではタブーです。だれもそんなことをしたら困る、という金至上主義の考えを持っているからです。

 もちろん世界の貧しい子供たちを救うためにはたくさんのお金が必要です。それぐらいのことは皆さん馬鹿じゃないのだからお分かりでしょう?

 良心に忠実に生きること=精誠です。
天国に行くときにみんなは「君はどのくらい精誠をこめて生活した?」と良心から聞かれます。 合格するのしないも、個人の自由です。

 極端なはなし、憲法が良心に忠実に作られていない現状なので、逮捕されようとされまいと私たちの教義は良心が中心なので、逮捕される危険性は教義の中に十分にありえます。

 「逮捕されること=正しいことではない」というのは、われわれ統一教会の教えではありません。理解されていらっしゃらない方はもっと原理講論を読んでいただきたい、と思います。

 我々は、「良心が中心」という家庭、民族、国家、天宙を作っていくことに喜びを見出す民です。

「あと一つ」と言う歌は、霊界からの人類に対しての「精誠が一番大事なこと」と強いメッセージを告げてくれていると思います。