統一教会をののしる人たち

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米本さーん

2012-10-08 23:16:35 | お知らせ
なんだっけ、米本和宏。
そうそう、ルポライターとか言ってましたが、
とうとう「下ねた記者」になったようです。
「こんな人一緒に活動したらいけない!」って何べん叫びました?
わが統一教会もとことん変です。
「精神的にまともじゃない米本さん」て日本国中の裁判所で有名な方、
なんで一緒に活動するんですかね。
コメント

米本さーん

2012-10-08 23:01:19 | お知らせ
なんだっけ、米本和宏。
そうそう、ルポライターとか言ってましたが、
とうとう「下ねた記者」になったようです。
「こんな人一緒に活動したらいけない!」って何べん叫びました?
わが統一教会もとことん変です。
「精神的にまともじゃない米本さん」て日本国中の裁判所で有名な方、
なんで一緒に活動するんですかね。
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精誠

2010-09-05 22:26:18 | 教義
「精誠」と言う言葉があります。「精誠」という言葉は、私が知る限りにおいては7~8年ぐらい前から文鮮明氏が頻繁に使われるようになられた言葉、と記憶しております。

 阪神タイガースが優勝する、沖縄が高校野球で2度優勝する、などと言ったすばらしい結果が努力の賜物ででることは選手たちにとっても、地元の人たちにとっても非常にうれしいことです。
 
 しかし、私たち統一教会の教えは、もちろんそのようなすぐに結果が出てくることは非常に大切なことなのですが、そのように場当たり的に、一喜一憂する価値観をもつことが一番大きな部分を占める教えではありません。

 私たちは「天国を作っていく。」ということに一番大きな価値観を持っている集団です。その天国がすぐに作れるものであるならすぐに欲しいし、ずっと先に作れるものならばずっと先でもいいし、人々が助け合い自己実現していける世の中が到来するのであれば、それを実現するのが我々の夢です。

 そのため、教会に来た人たちは先祖の願いによって招命された、と信じているものが集うところです。天国を作るために努力すると誓った者たちが集うところです。
 「精誠」とは、目に見えないものです。賞金や絶賛など程遠い行動です。
「祈り」が、優勝できるでしょうか?一番祈ったからご褒美という世界ではありません。
「働いて献金する。」という行為を誰が評価するのでしょう?神様(自分の良心)です。

 あなたの良心は知っているでしょう?「あなたがいくら他人の為にお金を使えるのか?」ちゃんと知っています。その良心に忠実に生きることで良心に恥じない生活を営むことが出来ます。

「良心に恥じない生活」をしようという会話は一般社会ではタブーです。だれもそんなことをしたら困る、という金至上主義の考えを持っているからです。

 もちろん世界の貧しい子供たちを救うためにはたくさんのお金が必要です。それぐらいのことは皆さん馬鹿じゃないのだからお分かりでしょう?

 良心に忠実に生きること=精誠です。
天国に行くときにみんなは「君はどのくらい精誠をこめて生活した?」と良心から聞かれます。 合格するのしないも、個人の自由です。

 極端なはなし、憲法が良心に忠実に作られていない現状なので、逮捕されようとされまいと私たちの教義は良心が中心なので、逮捕される危険性は教義の中に十分にありえます。

 「逮捕されること=正しいことではない」というのは、われわれ統一教会の教えではありません。理解されていらっしゃらない方はもっと原理講論を読んでいただきたい、と思います。

 我々は、「良心が中心」という家庭、民族、国家、天宙を作っていくことに喜びを見出す民です。

「あと一つ」と言う歌は、霊界からの人類に対しての「精誠が一番大事なこと」と強いメッセージを告げてくれていると思います。
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強制改宗に関する国会質疑応答2

2010-08-22 22:30:33 | 拉致監禁
○秋元司君 是非、それぞれ警察の立場、それぞれ法務省の立場、あると思いますが、そういった皆さんの活動があるからこそ我が国の治安というものがしっかり維持され、そしてその結果、それぞれの人権というものが尊重され、社会の秩序というものが成り立っていると思いますので、これは引き続きしっかり行政のトップとして末端の職員にまでこの意識が行き渡るよう努力をしていただきたいなと、そのことをまとめてお願いを申し上げるところであります。
 実は、今日この質問を私がさせていただく、宗教というものに対して私が一番最初関心を持ったのは、これはもう破防法が適用されて実際は教団としては解散に追い込まれたある宗教集団、それが我が地元に来る中で、住民の皆さんと一緒になってその教団に対して抗議をし、そして実際問題、出ていってもらったという、これはもう自治体と一緒になってやった我々の経緯があります。それから宗教というものに対して私自身も、ある意味もっともっと勉強していかなくちゃいけないのかなということを思ったのが一番のきっかけでありました。
 しかし、世の中をよく見てみますと、何が何でもすべてが宗教は当然悪じゃなくて、ほとんどの宗教団体というのは、それぞれの目的を達成するためにそれなりの思いで活動されているというのがあるということを、私自身もこの立場になって改めて勉強をしながら感じているところでございますから、やっぱりそれぞれの立場というものを守り、そして、それぞれの親の気持ちも当然それは分かり、そしてまた、信者として入信し布教活動をする方の立場もしっかりこれは守ってあげなくちゃいけないというのが、今、日本の法治国家である務めなのかなということを感じる中で、実は、この質問をするというときに、多くの関係の皆さんとちょっと私はヒアリングさせてもらいました。
 そうしたら、何か急にアメリカの上院の方から手紙をもらいまして、上院、下院の皆さんから連名で手紙をもらって、日本には余り信仰の自由というのが認められていないんじゃないかという、そういった手紙が来たんです。なぜそういったことがあったのかというと、先ほど申し上げた親が子供を思う気持ち、これは私は非常に理解ができますけれども、それが行き過ぎた行為が、この脱会に対する行為が行われることによって人の命がなくなったり、それが強いて言えば多くの社会不安にもなっているんじゃないのという、そういった手紙が私のところに来ました。
 実際問題、本当にそうなっているかどうかということは、私自身も直接目で見てすべてを確認しているわけじゃないので分かりませんが、もしそういうことが仮にあるとすれば、もっともっと我々はそのことについてはやっぱり努力をしていかなくちゃいけないのかなということにもなりますし、ある意味、その行き過ぎた行為の中で、ある宗教団体の皆さんの一部の人にとっては、何かもう日本にいるのが怖くて海外に住んでいて、そして日本に戻るのが怖いから何とかしてくれないかという声もあるようにも聞いております。
 そしてまた、親が子供を脱会させたいという思いの中で、実は第三者が介入するというケースが結構あるらしいんです。それが、いわゆる脱会のためのコンサルタントをしている人たちも結構いるみたいで、この方はこの方で結構多額な請求をしたり、行き過ぎた脱会行為をさせることによって余計混乱させ、家族間に大きなひびを与えるということもあるようにも聞いております。
 私は、この信教の自由と、そして親が子供を思う気持ちというのは、両方とも価値としては、価値というか思いとしては同等のものであるというものの中に、しかし、それぞれ行き過ぎというものをやっぱり抑えていく中では、警察が又は法務省がそれなりの対処をしていただくことがある意味健全な社会を実現していく。そしてまた、信教の自由と、そして基本的人権の尊重、そしてまた、ひいては親子関係をしっかりと関係修復に持っていく、そういったことに私はつながっていくと思いますので、これはこれとしてしっかりまた法務省、警察の方には頑張っていただきたいということを申し添えさせていただきまして、質問を終わりたいと思います。
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強制改宗に関する国会質疑応答

2010-08-22 22:07:49 | 拉致監禁
5月14日の国会で何が取り上げられたのか?
ここに書きます。

 ○秋元司君  自由民主党の秋元司でございます。決算委員会、久方ぶりの質問をさせていただきたいと思います。 まず、冒頭に申し上げさせていただきますが、参議院、非常に決算重視をこれまで行ってまいりました。千葉大臣におきましては、同じ参議院でありましょうからよく御承知いただいていると思いますが、我々の思いとしては衆議院に対する参議院の決算、もうこれは衆議院の優越を超える非常に参議院にとってはすばらしい私はこれまでの活動であろうかと思っています。まさに、この参議院が決算重視をすることが、二院制の存在意義というものをしっかり我々も堅持し、そしてまたこれを担保する大事なものだと思っていますので、どうぞ関係大臣におかれましては、予算委員会に匹敵する、そういった思いでもってこの委員会、臨んでいただきたいということを冒頭申し上げさせていただきたいと思います。
 さて、今日は法務、警察、そしてまた文科の分科会に近い形での決算委員会でありますけれども、今日は私のテーマは、我が国の治安を維持して、そして、それぞれの人々の基本的人権を守るために日々活動していただいている警察並び法務関連の質問をさせていただきたいと思います。
 特に、最近警察におきましては、警察の初動捜査というものが非常に大きなテーマとなってきております。過去にいろんな迷宮入りした事件であるだとか、今になって改めて捜査の不手際というものが、これは不手際と言っていいかどうか分かりませんが、結果的に失敗が伴って冤罪等も発生するケースもあり、そしてまたその捜査の失敗によって結果的には時効になってしまったようなこともあり、やっぱり捜査をする段階の中で、事件が起きたときに一番早く現場に駆け付けてどういう対処をしていくかというのが一番私はこの捜査においては大事なことであろうかと。
 そういった観点から、何点か質問をさせていただく中にこの捜査の在り方、これについても少し今日は踏み込みをさせていただきたいと思いますけれども、事件にはいろんな形、またいろんな種類がありましょうから、何か具体的にテーマを絞っていかないとなかなか議論がかみ合わなく、そしてまた時間についても膨大な時間が掛かってしまうということなので、ちょっと今日はテーマを、宗教ということについて少しテーマを絞らせていただいて質問をさせていただきたいと思います。
 現代社会におきまして、今現在におきましてどれだけの宗教団体があるのか、そしてまたそれぞれの宗教がどういった活動をしているのか、残念ながら私自身はまだまだ勉強不足でありますからほとんど知り得ませんが、基本的に我が国は信仰の自由があって、そしてそれぞれの団体が社会の秩序を乱すような行為をしない限り活動は保障されているでありましょう。ただし、一般的にはなかなか私も含めて余り理解をしていない部分があるんで、それぞれ風評被害に遭うというような、これはお互い宗教団体も又は信者も、またそれを支える家族も含めてそういった被害に遭っているのも事実でありましょう。
 そういった中において、やっぱり行き過ぎた布教活動もあれば、そしてある意味宗教に対して、例えば自分の子供がある宗教団体に入ることによって非常に親としては心を痛め、それを脱会のための説得行為を行うことによって、これがまた、行き過ぎた説得行為を行うことがある意味人の人命を奪うということにもつながっているというのも何か事実であるようではございますから、そういった観点から、今日は親子間、そしてまた夫婦間、親族間での宗教団体からの脱会を促すための説得行為の許容範囲ということについて少しお伺いをさせていただきたいと思います。
 いろいろとそれぞれの思い、立場で宗教団体も活動をされ、そしてそれを今信じて入信しその会に入っている方、それぞれの思いであると思うんですが、なかなか先ほど申し上げたように一般的には理解され難いということもあって、特に宗教に興味を持っていない親からすると、子供がある特定の団体に、宗教団体に入信することによって非常に心を痛めて、そしてその結果、何とかこの宗教から脱会をさせるためにいろんな説得行為を行うということがいろんなところで行われているやに聞きますけれども、基本的にやっぱり私はそういった行為に対して親の立場というものも重視をしてみたいと思いますし、そしてまたその宗教活動している子供さん自身の、何といいますか、宗教の自由並びに基本的人権という立場もやっぱりこれは堅持をされなくちゃいけないことであろうかと思います。
 そういった中において、警察が捜査を行う、そういったことに陥る行為というのは、何といっても行き過ぎた布教活動又は行き過ぎた脱会への説得行為、こういったもののエスカレートが警察が動くということにつながっていく中で、仮に一つの例としますと、脱会させるために、先ほど申し上げた親子又は夫婦又は親族間であっても、行き過ぎた、和解交渉を行う中で拉致監禁というところまで発展をした場合、その通報が仮に警察に入った場合、警察としてはまず一義的にどのような対応を行っていくのか、この点についてお伺いをさせていただきたいと思います。

 ○国務大臣(中井洽君)  お答えする前に、私ももう三十年近く国会に働かせていただいておりまして、初め半分ぐらいは民社党という党でございます。そのときのこの国会改革の案で、二院制をどうするかという議論が行われまして、当時の民社党の参議院議員から、参議院はもう予算も何もやらないんだと、決算だけ、その代わり年中やるんだと、いつでもだれでも呼び出して決算を徹底的にやると。こういう案が出されて、私は大変、目からうろこがということわざがありますが、そんな思いをしたことを覚えておりますし、いまだにそういう方向は賛成でありまして、参議院が今決算委員会を重視されてやっておられることに対して心から敬意を表したい、こう思います。
 同時に、御指摘いただきました、警察の捜査のもろもろの中で初動の捜査が大事だという御指摘は誠にそのとおりでございます。この初動のときにずさんな捜査やあるいは鑑定やあるいは聞き込みをやりますと、本当に事件そのものの解決が困難になる。最近、そういった意味で少し失敗も幾つか私どもの耳に入っております。都道府県それぞれの警察の現場ですから、私どもは、各公安委員会を含めて、初動の態勢の在り方、人員の在り方、また科学的な捜査、それに伴う器具、配備、こういったものにも十分配慮しながら頑張っていきたいと思いますので、また御指摘のほど、御指導のほどをよろしくお願いいたします。
 同時に、お尋ねの件は非常に漠然としたくくりになっておりまして、どうお答えしていいのか判断迷うところでございます。
 どういう場所で説得が行われるのか、あるいはだれかが立ち会っておられるのか、あるいは信者である子供さんが未成年であるのか、二十歳を超えておられるのか。また、呼び出されるについて、暴力的なことで引っ張り出されたのか、あるいは御親戚のお誘いで素直に出られたのか、通知があったのはだれからだろう、心配した宗教団体の人だろうか、いろんなことが判断材料の中にあります。
 しかし、いずれにいたしましても御通知いただいた以上、現場に出て、そして両方の話を聞くと、このことが一番大事なことであると考えております。私どもは、なかなか宗教という問題、また親族関係というところ、踏み込むことが非常に難しい今の警察の状況でありますが、いずれにいたしましても話を聞いた判断、これによって行動していきたいと考えています。
 
 ○秋元司君  漠然とした聞き方になっているので非常に大臣も御答弁にお困りになったんじゃないかと思いますが、基本的に私が今日質問申し上げることは、仮に信者の方が、年齢の話がございましたけれども、これは当然、成人、二十歳を超えた成人であって一人の一人格者として社会的に認められるという立場の人であることと同時に、先ほど拉致監禁という言い方をしましたけれども、拉致をされる、拉致監禁とみなされるということは、やはりそれなりの、変な話しますけれども、その当方がふだん自分が行き交いしている自宅であるだとかオフィスであるとか、そういったところじゃなくて、やはり監禁目的でしかるべき場所を確保して、そこは監禁目的のために場所を置いたということの中で行われる行為だということを、冒頭これは指摘をさせていただきたいと思います。
 立会いの問題に対しましては、これはまあいろんなケースがあるでしょうから今私は一概に言えませんが、いずれにしましてもその独立した個人が、自分の意思でもってもはや判断ができるという立場の人間が信者という立場で、そして親としてはやはりなるべく自分の、親の範囲の中で子供を守りたいという多分思いがあるんでしょう、その中で脱会に対する説得行為を行う中でどの範囲まで許されるかという観点からの大きなくくりでありますから、そのことをちょっと私の、触れたい部分があったので改めてお話をさせていただきたいと思います。
 それで、先ほど、今大臣がおっしゃいましたけれども、親子間又は夫婦間というのは非常に難しいというお話でありました。しかし、同時に言えることというのは、やっぱりこの国は法治国家であるということは多分これはもう御承知のとおりであって、これは親子間、夫婦間であったとしても、ある程度、余りにも一人の、一個人の人権が阻害されたというような状態であれば、さすがの警察としてもそれなりの行動を取らざるを得ない状況も予想されるのではないのかなと思うんですが、親子間、夫婦間であっても、今申し上げたように、先ほどの同等な強制捜査を伴うようなことを警察としてはやはり行わなくちゃいけないという判断があるのかどうか、ちょっとこの点だけ触れさせていただきたいと思います。

 ○国務大臣(中井洽君) 私自身は宗教的な問題で今先生のお話があったような事案があったという報告を、就任してから八か月ですが、まだ聞いておりません。しかし、今先生のお話を聞く範囲では、身体的に自由を束縛されている、あるいは暴力的な行為があったということであるならば、親子といえどもこれはやはり介入せざるを得ないんだろうと考えております。
 同時に、今、警察にとって一番判断の難しいのは家庭内暴力、DV、この判断でございまして、現場の警察官が話を聞く、後からそのときに踏み込んで対応しておればあんな事件にならなかったんじゃないかというおしかりもいただいたり御指摘いただく事件も多うございます。一人一人の警察官が本当にこの話を聞いたときの瞬時の判断、これをどう訓練していくかというのに悩んでおりますが、つい最近、ある学者の方から、質問項目を作って、その質問項目にお答えいただいて、これが幾つ以上あれば、一遍家へ帰ってもう一度話し合ってみるとか、あるいは我慢してみるとか、もうそういうのをなしに無理やり隔離をして暴力行為から切り離すということを考えろということで御示唆を受けまして、今そういう項目が本当に有効に機能するのかどうなんだろうということの勉強を大至急いたしているところでございます。

○秋元司君 ありがとうございました。
 それで、大臣の大体の答弁の内容は理解できるわけでありますけれども、やっぱりその現場現場によって、現場に駆け付けたその警察官がどういう対応をするのかというのが一番大事だというお話でありましたけれども、やっぱりそれは、基本的には、現場に急行するならば、現場に急行したときに、それなりの通報があったということは当事者それぞれ全員に対して本来話を聞くことからこれは初動捜査としてのスタートが始まっていくと思います。
 そして、そういった捜査が行われる中で、当然親としては、自分の子供でありますから、先ほど申し上げた脱会に対する説得行為はこれはあくまで話合いですよという、親は気持ちはそうであると思います。しかし、言われる子供から見れば、拉致監禁状態までして親としては子供を外部と接触させたくないという思いの中で、拉致監禁状態、まあ拉致と言うまでは、監禁状態ですね、これを行っているわけでありましょうから、当然子供としては、いや、これは親といってもそれは余りにも行き過ぎで自分としての自由が奪われているという、そういう恐らく主張があるんでありましょう、通報があるぐらいでございますから。そういったときに、双方の意見が余りにも違う場合に現場の担当官というのはどちらに比重を置いて判断をするのか。その辺、具体的な例がないんで大変厳しい判断かもしれませんが、一般的な例としてお答えいただけますか。

 ○国務大臣(中井洽君) 今の想定をいただいている範囲で、お子さんが社会人として一本立ちをされている、親から経済的援助も受けずに自立してやっていらっしゃるという場合のそういう困難であれば、私はやはり両方を離すということが大事だろうと、離すと。その場合に、先ほどのDVのときもそうでありますが、警察等では一泊か二泊ホテルへお泊めするという手法を取っているわけでございます。したがって、一度そういうところへ落ち着いていただいて、もう一度冷静にお話を警察も聞かせていただく。
 今私どもが指導をいたしております一番の重点は、とにかく、そういう話合いやら物事が起こって現場へ駆け付けて警察官が入って一応その場は収まったとする。そうすると、これが上司へ報告されないときがあるんですね。小さなお子さんの家庭内暴力含めて、もう相談があったときには必ず上へ上げろと。署長がきちっと責任を持ってその文書を見る、そして本当にそういう処置でいいのかどうかということを相談させる、こういうことを今徹底をさせようといたしておりますので、多分今の件もそういう対応で対処をしていくんだろうと思っています。

 ○秋元司君 非常に適切なお話であろうかと思います。やはり双方の言い方が違う、それぞれの思いの中でお互い違いが発生しているんでしょうから、やはり二人を一回離して、それぞれの立場で話を聞き、それに基づいて本当に行き過ぎた行為があると判断されたならば、それなりの警察は措置を、対処をしてもらう、これしか私は今の法治国家の中では道がないのかなと、私もそのように感じてございます。
 まさにそういったことを警察が対処していただいたならば、次善の措置でありましょうから、これが大きく、人命が失われるだとか、またこれがもっと騒動となってお互いが更に暴力的なことにエスカレートする、そういったことにはつながっていかない。私は、これは防衛策になるんじゃないかなと思いますので、引き続き警察として是非これは徹底していただきたいなと、そのことを私は改めてお訴えをさせていただきたいと思います。
 そして、今日、千葉大臣にもお越しいただいておりますけれども、現在、人権擁護局の調査・救済の一般手続、これについてお伺いしたいんですが、基本的にはどのような手続があるのか、一般論としてお答えいただきたいと思います。

 ○国務大臣(千葉景子君) 法務省の人権擁護機関でございますが、人権侵犯事件調査処理規程というものがあり、それに基づいて人権侵害の疑いのある事案について人権侵犯事件の調査・救済活動を実施をいたしております。
 これ具体的には、申告があり、そして調査をし措置をとると、こういう流れになるわけですけれども、被害者から申告を受けた場合には原則として救済手続を開始を、スタートいたします。やること、やれることは、関係者に対する事情聴取等の調査、それからその調査を踏まえて関係者間の関係調整、あるいは被害者の関係行政機関等への紹介、あるいは法律上の助言等の援助、それから人権侵犯性が認められた場合には加害者への説示、勧告など、事案に応じて措置を講じているということでございます。被害者からの申告のほかにも、関係行政機関から情報提供や第三者からの通報というようなこともその端緒としてはございます。

 ○秋元司君 これも先ほどの警察の方にお伺いしたことと同じように、やっぱり夫婦間であっても、親子間であっても、人権侵害の相談が来ればすべて調査対象に入るという御判断でよろしいですか。

 ○国務大臣(千葉景子君) 基本的には、申告がございますれば原則として調査スタートをするということでございます。

 ○秋元司君 私も細則をちょっと拝見させていただきましたけれども、ここに一つ、細則の中に規定があって、事件後一年を経過した事件については調査は行わない旨の言及する文書があるんですけれども、その理由と、そしてまたその解釈と、そしてまた例外規定というものがあるのかどうか、この点についてちょっとお伺いしたいと思います。

 ○国務大臣(千葉景子君) 御指摘のとおりでございまして、この細則に、一年以上経過したときには申告があっても、手続を開始することの例外を設けております。
 ただ、一年以上前の事件というのは、やはり証拠とか事情を理解するための資料等がだんだん散逸をしたり困難になっていると。そしてまた、人権擁護機関での救済というのはできるだけ行政的に簡易迅速に救済を図ろうというものでございますので、一年以上前の事件ですとなかなか、今お話を申し上げましたように証拠とか裏付けが難しく、簡易迅速な救済を図るというのが難しいと、こういうことがありまして、一年という一つの期間を設けているというふうに理解ができると思います。
 ただ、これについて全く、一年以上経過したものは全く例外なくもう手は出さないのかということでございますけれども、調査処理手続について定めたこの細則でも、被害者申告が、規定はしておりますけれども、全く例外がないということではございませんので、ここは事案によってということになろうかというふうに思います。
 ただ、基本的に、原則としては一年以上たったものについて審査はスタートしないということになります。

 ○秋元司君 やっぱり例外に付いている解釈というのが非常に大切な部分があると思うんですね。
 例えば、人権侵害と疑われることで、そういった事件に巻き込まれた人であれば、確かに事件そのものは一年前に終わっているかもしれないけれども、その間、実はこういった、警察も含めたそういった人権擁護局にもし通告したらまた更に一層ひどいことをするといったような脅しを掛けられているケースもしかり、そしてまた、そこで受けた様々な心理的な被害でもって一年間自らが外で活動をすることが、また通報活動をすることができないほどストレスを感じてしまった、そういったケースもあって、結果的に通報が一年後になってしまうということはあるかもしれないと私は思うんですが、そういうところに対する対処としては、どのように対処されるんですか。

 ○国務大臣(千葉景子君) 多分そういうケースというのは、一年以上、じゃ、事が起こったところから経過しているというふうに解釈するのか、あるいは、ある意味では侵犯という事実が継続しているというふうにも私は解することもできるのではないかというふうに思います。そういう解釈を取れるとすれば、まだ一年を経過していない、申告があったということで審判をスタートするということも可能であろうかというふうに思います。
 そういう意味では、置かれた状況等を十分に踏まえた例外の規定の適用ということが大事なのではないかというふうに思います。

 ○秋元司君 基本的に、人権擁護局が行う行為の中では、最終的に警察ないし、又はもう告訴されて裁判中であるということについては多分人権擁護局としては余り踏み込めない立場であると思うんですね。というのは、そういった最終的な司法の判断が出される前にこの人権擁護局でそれなりの仲介を取るというのが人権擁護局の立場であるという私の理解なんですけれども、その解釈でよろしいですか。

 ○国務大臣(千葉景子君) 基本的に私もそう理解をいたしております。やはり、司法を補完するというような形になろうかというふうに思いますし、行政的な措置ということもあり、あるいはその権限から考えても、最終的なやはり決着にはなかなかこの手続だけでは十分に対応し切れないということもございます。
 ただ、先ほど申し上げましたように、行政的にできるだけ簡易そして迅速に当事者の納得の上で人権救済を図ろうということでございますので、先生の御指摘の考え方だというふうに言えると思います。

 ○秋元司君 実は、いろんな私も陳情をいろんな各所からいただきますけれども、大体人権擁護局に相談へ行くケースというのは、何といいますか、警察には大変申し訳ありませんけれども、被害者意識を持って訴えられる方は訴えられるんでしょうけれども警察がなかなか取り扱ってくれないとか、弁護士の方に相談へ行ってきても余りいい回答が得られない、そういった方が最終的に行政に頼る形で人権擁護局に行くというケースが結構あるようにも聞いているんですけれども、そのときに、今まさにおっしゃったことからしますと、人権擁護局というのは司法へ橋渡しをする役目の一端も担っているんじゃないかなというふうに思うんですが、仮に警察がそのときの警察の判断で告訴も告発も受理しないだとかいろんなケースがあったときに、この人権擁護局というのはそれなりに調査をして、これはしかるべき人権侵害が行われて、それによって多くの被害が出るかもしれないと判断したときには、それは警察が受け付けないという状態であったとしても、人権擁護局としての判断でしかるべく司法にしっかりと橋渡しをするということはされる行為に当たるのかどうか、その辺をお伺いしたいと思います。

 ○国務大臣(千葉景子君) 多分警察の対応というのは、それが犯罪等に該当するかどうかという、そういう観点の御捜査だというふうに私も思います。
 そういう意味では、それでなかなか取り上げられないとしても、それぞれの人権を何とか尊重し、そして守っていこうという観点からすると、必ずしも犯罪ということではなくても、人権侵害という申立てがあり、そして最終的に司法で救済を図ることがやはり最終的な解決であろうというそういう問題については人権擁護局において調査をし、そして必要であれば司法への橋渡しをしていくということがやはり役割だというふうに思っております。
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警察へ通報しましょう

2010-08-10 23:26:41 | 拉致監禁
私の名前は○○○○、住所は大阪府○○○○、年齢は○○歳です。
先日、5月14日、宗教を強制脱会させる問題について国会質疑がありました。1時間35分ぐらいからご覧ください。http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php

 中井国家公安委員長は「子供が独り立ちをした大人であれば双方から意見を聞く。」と答えています。(一時間50分ごろ発言)「また、現場の警察官が勝手に判断し上司に報告されない遺憾なことが現実にある。」とおっしゃっています。

 今回菅野江里子さん、25歳女性が東京杉並署に6月16日に「婚約者が家族から連れ去られた。」と訴えられ、婚約者の居場所は探していただいたようなのですが、「婚約者が自分の意思でそこに居るのかどうか確認したい。」という陳述に「警察は取り合って下さらない。」という訴えがインターネットを通じてありました。
 彼女の婚約者は独り立ちをした立派な大人です。

 現国家公安委員長が発言されている限り、公安は国家公安委員長が発言されていることに忠実に業務遂行してください。現場の警察官が勝手に判断し上司に報告しないなど、業務怠慢など行われないようにお願いいたします。

 天下の警察がそのような行動をとられたら私たち国民は宗教を持っている限り、安眠できないと言うことです。民主主義を守る警察として話し合いが十分出来るよう、出来る限りの職務遂行をお願いいたします。

上記文章、コピーOKです。
https://www.npa.go.jp/goiken/

この記事は8月2日に書いたものですが、まだ、解決していないのでトップに掲載します。
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教義(人の責任にする)

2010-08-02 22:45:16 | 教義
 統一原理では6000年前にアダムとイブが出現した、と言うことになっています。その前に天使(霊的存在)がいたと言うことです。天使は3人いました。ルシュファー、ガブリエル、ミカエルがいて、ルシュファーがイブの教育係であり、実生活に協力していたと言うことです。

 アダムとイブが成長するころルシュファーはイブと(不倫)堕落し、イブはアダムと堕落しました。(失楽園で有名ですが、神様の言葉がアダムとイブはわからなくなった、ということです。)
 その後、アダムとイブにはカインとアベルが生まれて、カインはアベルを殺してしまいました。人類は堕落と殺傷からはじまった、と言うことです。

 人類始祖は神様から、個性完成、子女繁殖、万物主管、という目的を持って創造されましたが、人類始祖のアダムとイブの堕落により、間違った愛(不倫)と殺し合いから出発することになりました。

 このような人類始祖の凝縮された内容にさまざまな内容があり、過去文鮮明師が明らかにされた内容には現代に通じる人間模様が詳細に網羅され、解説がありました。

 その中で「私たちは、よく人の責任にする。」ということで記述します。人道的にも「我々は人の責任にしてはならない。」とよくわかっています。しかしわかってはいても、

 鳩山氏が悪いの、小沢氏が悪いの、財務大臣が悪いの、世の中が悪いの、凶悪犯があればそいつが悪いの、大阪では阪神タイガースの負けが続けば必ず「阪神タイガースが弱いから景気悪い!」となり、会社では社長が悪い、あいつがわるい、と人の責任にする人が本当にたくさんいます。
笑い事ではありません、なぜでしょうか?

 これを統一原理は、人類始祖が過ち(不倫)を犯した時にはじまった、と言っています。
不倫を知った神様は自分の娘、イブに聞きました。「お前はなぜルシュファーと不倫をしたのか?」と。
 イブは答えました。「ルシュファー(蛇)がこれはいいことだからしよう(とってたべてもいい)と言ったんです。」と答えました。その時に「ルシュファー(他人)の責任」にしたのです。
 他人の責任にしてしまった、その時からイブは神様の声が聞こえなくなりました。

 神様から作られた人間には5%の責任分担(自分の判断で行動できること)がある、と教えています。イブは神様(良心)から何度も「やめておいたほうがいいよ、」という心の叫びがあったはずなのですが一線を越えて不倫をしてしまった。しかも、そのあとに人の責任にしてしまったということで良心が全く働けない状態になってしまい、神様の存在すら忘れてしまうようになった、と言うことです。

 何気なく聞くだけの方もいらっしゃると思われますが、このイブの存在がなければ我々は今現在生命を得ていない状態です。我々はこのイブの子孫なのです。
 ですから、この時から、我々の受け継いでいる血には「人の責任にするプログラム」が組み込まれている。」いうことを自覚しなさい、と言うことが書かれているのです。

 我々、統一教会の幹部の方皆さん、たいへんな努力をしていらっしゃる方ばかりと思われますが、たまに、原理があまりわかっていらっしゃらない方がおられ、「あなた、人の責任にしてるやろ」と突っ込みたくなる時があります。
 
「①中心に報告・連絡・相談をする。」とはよく言われていることです。
また「②なぜか?というと中心はあなたの命に責任を持っているからです。」とよく聞きますがこれは、文師の言葉に②は確かにあると思いますが、「命に責任を持つ」と言う意味がわからずにこのようなことを簡単に発言される方も残念なことに非常に多いのが現状だと思います。

 ある教会系の組織の社長さんは「中心に報告・連絡・相談をする。組織の中心は命に責任を持つ。」と言いながらご本人は私が責任を持つ前から赤字経営だったので組織の1/3をリストラした、と記述されています。

 「報告、連絡、相談するのは業務として当たり前かもしれません。」それは認めます。しかし責任者に採用された後にリストラするのは誰にでも出来ることではありませんか?そのような結論を出すのであれば、何も責任者が変わらなくてもいいことです。一般の社会ではそう考えるのではないでしょうか?
 本当につぶれそうだったから自分は経営者として努力してこういう業績にした。その人の命に責任を持つためこのようなことをした、というのであれば本当に命に責任を持ってくれていると思えます。しかし残念ながらそのような表現はなく、なんとも単純に「解雇」とむごい表現されており、神様の原理を理解していただきたいと心から思います。また、単純に右から左へのガキの使い気分なのでしょうか?

 一般的に自分(社長)がすべきことをしないひとに、報告連絡相談していたら組織は売り上げは上がりません。会社の使命は売り上げを上げることにあります。この社長さんがすべきことをしていない重要な一つにご自分を指導していらっしゃる方はご記入されていらっしゃらないことがあります。下の人たちはどうやって指導者がその指導者に報告連絡相談しているのを確認するのでしょうか?隠していたら、自分の都合のいいことだけ指導し、神様を自分中心に利用しているひとです。「私の指導者は文師」と誰もが言っています。これは当たり前のことです。指導者はこのような誤解も受けるので、直属のアベルを明らかにして業務に取り組んでいただきたい、隠す社長もいらっしゃいますから厳しく言わざるを得ません。
 
 普通の人間であれば、この社長みたいに割り切れるとは到底思えませんし、教えは教え、現実は現実と、そんなに割り切れない部分があるのではないか?とも思います。説教を受ける時も文師以外の方には本当に失礼ですが、本当に神様の声を中心として、私のことを思って語ってくださっていますか?と、問いかけてたずねなければなりません。恥ずかしい話ですが、統一教会にも個性的な方がいっぱい存在されていますのでなにが本意なのか理解できないかたもいっぱいいらっしゃるようです。

 というように、イブが犯した歴史的な犯罪、「人の責任にする。」と言う行為は脈々とどこにもいつでも存在しているように思いながら聞かなければ自分の中で消化仕切れません。
 
①の中心とは組織の中心と自分の心の中心(良心)があります。
組織の中心は本当にその組織を命を懸けて守らなければならないのでたいへんですし、だからと言ってその立場を離れても神様の悲しみになるので離れられません。そのような努力を絶えずしておられる方が「中心」という尊い位置にふさわしいと誰もが思います。
ちなみに、それとは逆にある現教会長はそこの教会で起こった20年のコケのようにへばりついたどろどろした問題をご自分の問題ではないのに、人の責任にせず、じっくりと腰を据えて3年でとうとう一点の曇りもないぐらいきれいに処理していただきました。黙って、耐え忍んで、寝ることも出来ないくらい努力してこられた姿を拝見させていただきました。そんな奇特な方がいらっしゃるのは当教会の希望です。私は個人的にこのようなお手本が近くにいらっしゃるので自分は非常に恵まれた環境にいる、と思っています。とらえ方の違いがとんでもないくらい大きくなっていきます。

「人の責任にしない」と言う解決方法も具体的に文師は述べられています。
「イブが神様から尋ねられた時に、涙を流し、断食し、後孫を思いやる心を啓発し、悔い改め、「私が間違っていました。」と言えれば神様の声は聞こえてくるし、天国はその時に来ていた。」と。

「悔い改め」が一番大事だと思います。

 そして鳩山氏や政治や会社の責任にせず、自分の責任として何事も受け止める、天使や霊界が協助出来る教会や社会を早くもたらしたいと願うばかりです。

 この文章はたいへん失礼ですが統一教会責任者になられていらっしゃる方で知らず知らずのうちに人の責任にされていらっしゃる方に奮起していただくために記述させていただきました。「自分は人の責任にしていない。」と断言できる方はパスしてください。(批判ではありませんので誤解されないように・・。自分も人の責任にしないよう頑張ります。)

(祈)
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嘆き・期待・懺悔・抗議・希望。

2010-07-23 23:20:49 | 教義
 先日、非常に残念な思いになってしまったことがありました。
 それは当教会系列の会社の社長様と話(メールのやり取りですが)する機会がありました。
その社長様は経歴を見てみると、本当にりっぱな経歴でした。

 わが、教会には「人の責任にしない、自分の責任として考える。克己。」など、さまざまな崇高な考え方があります。私は教会の責任者様たちは皆様実践していらっしゃると思っており、教会内では「気品があり、気高く実践されている方」を厳選して採用されていらっしゃると思っていたので、さぞかし人格者であり、さまざまな知識を持ち合わせた方なのだろうと思って会話していました。

 ですが、その社長さんは、最初から挨拶もされないからおかしいなぁ、と思っていたら会話は徐々に少なくなっていき、丁寧な書き方ですが、最後には捨て台詞同然な書き方をされ、そんな方だとはこれっぽっちも思っていなかった私にとって、期待は見事に裏切られました。人は鏡だといいますので、私がそのような態度をその人にとっていたのだとも思いますが、会社社長が捨て台詞・・。。このようなことがまかり通っている、ということにとても考えさせられました。

 たまたま、そのような決裂されるような方に出会い、私も悪かったのだと思いますが、そのような方が会社社長として教会系列の会社を采配されているという現状を拝見させていただき、組織は採用するに決してそのような綿密な計画的人事プロセスを得て採用はしておらず、その結果がたいへんな状況をつくりだしているのだと思わされました。

 思わず、「ほんとうに、このようなことはたまたまであると言って下さい。」と神様にお願いしました。系列会社は「気品があり、気高く実践されている方」を厳選人事採用していると思っていたかったからです。
 祈ってみると、神様の嘆きの表情が見えました。採用はされているようですが、自分の責任をなかなか果たせる人間がいないと言うことが伝わってきたように思いました。

 今の社会は、われわれの子供が引継いでいく社会であり、我々ばかりの社会ではないので、教会の崇高な教えが実践できる環境を作るようにお手伝いもしていかなければ・・・。と自らの手で善なる行動を実践しなければと深く自戒した出来事でした。

 教会から影響を受けてそうなったわけではありませんが、一般の方から私も、「あなたは人の話を聞かない。上から目線だ。失礼だ。」と言われたことが何度もありますが、今回ばかりは「本当にその言葉を真摯に受け止めていくようにしなければ、伝道なんか出来ない。」とも思わされました。人を思いやる暖かい心もなくて、「人権がある。」と自分の主張ばかりも、言ってられませんね。
 
 私はいつも教会批判されるK・Y氏のことを批判してきましたが、東京で間近に上層部の方と接していたらそんなお考えにもなるのかもしれないと、少し理解できました。
 また、やめて行った元の方たちのブログを拝見しても、教会批判されているのが全部教会の責任とは言えないと思いますが、「愛がないっていう考え方もありかも?」と自分の期待が教会に対して大きすぎていたという考え方に改めさせられ、反省しました。
 
 でも、「崇高な教え」がある限り今は我が教会員は歩調を合わせることが出来ないだけで、時が満ち、一人ひとりの努力が実れば必ず考え方が一つになり、それが瞬く間に広がり、絶対に理想社会は訪れてくると思います。そこに希望の一点があると思っております。

 と言うことで、確かに「ののしる人たちにも言い分はある。」という結論が出ました。

しかし、だからと言って「拉致・監禁をして強制改宗させること」は犯罪です。

よく映画の中では、刑務所の中での話がありますが、そこでは犯罪が決まった人間がたくさんいまして、「お前たちは犯罪者だからな、・・・」と言葉が続き、刑務所のルールでそこは形成されて矯正していますが、ココは娑婆なのですから、だれもそんなことは言えませんし、言うことさえおかしいです。

「統一教会の人間は犯罪者だからな、・・・」と言えばもっともな理論に見えますが、宗教に対する偏見を持ち合わせた人がもっともらしくこじつけて言っていることも正論にしてしまっているのが現状です。何度も言うように「ココはどんな人でも人権がある娑婆なんです。」言論の自由はありますが実際に暴力をふるったら犯罪になります。お分かりでしょうか?

 それともう一つ。警察は「特商法違反」に対しては何百人と動員して犯罪にしてしまっている事実がありますが、どうして暴力事件の「拉致監禁」は犯罪にしないのでしょうか?
どうして、誰も黙っているのでしょうか?
教会の人さえそのことに触れたがりません。何ででしょうか?
 その国家や公安が「不平等な社会」を作っている限り日本国民は安心して一人も眠れない社会を作リ出しているのであり、援助までしている現状なのではないでしょうか?

 これから、統一教会はそういったことに対して、ガンと戦わなければならないからたいへんです。それも「自分には愛がない。」と悟っている人がストレスをためながら「愛」で戦わなければならないからたいへんです。今まで「罰金を払うが勝ち。」「返金請求には応じるが勝ち」として世論に不条理を思い残しながらも素直にしたがっています。だからこそ、今拉致監禁のビラが全国で配布されているのは、公安に対する「不公平な裁き」に対する抗議とも思います。(私もストレスを感じながら、近くの警察署のポストに入れておきました。)
 
 教会はいつでも見過ごせないような本当にたいへんな状況にある、と思っておりましたが今回はその社長のはずかしい現実を見たので、また特別に「たいへんだ」と実感させられました。自分としても、これからインターネットという媒体ばかり使わず、先に大きな祝福を受けたものとして、実践で自ら現場で汗を流して善の行動をとって行きたいと思っております。

(祈)
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評論家

2010-06-10 23:09:32 | 拉致監禁

 拉致監禁のことを題材にしていろいろな、問題提議をかもしだしている、ルポライターKYという人がいる。

この人は、評論家の要素が非常にたくさんある。

 教会もこの人と一緒に「拉致監禁問題を解決しようとするにはいくつもいくつもゆずりながら、解決していかなければならないようになるのではないか?」と以前から何度も提言しているが、まだまだ評論癖は健在のようだ。

 ご本人もそういう人生がいいのだろう。教会も人間としての道を外れない程度に付き合っていただきたいと思う。

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拉致・監禁の国会質疑応答

2010-06-08 23:38:16 | 拉致監禁

拉致監禁が国会で5月14日議題に上がりました。

.  まず、リンク先をクリックして、左の暦で5月14日をクリックすると「決算委員会」と出ます。そこの国会中継1時間40分からはじまっております。秋元議員が的確な指摘を国家公安委員長に対してしています。

 公安委員長は「(親子のことなので)話し合うということが重要だ。」という主旨を述べていますが、なんといっても暴力行為と判断されることを見過ごしてしまうことは、警察の怠慢だと思います。

 新しい国家公安公安委員長に安心して暮らしていける、真の民主主義国家を建てていただけるよう一日本国民として強く思います。

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