
初めて君と会ってから30年?ちかくたってしまうのか。
高校1年生、理科部というクラブの部室が君との最初の出会いの場
だった。
校舎の最上階で学校全体が一望できる最高のロケーション。
ここが我々の活動の場だった。
君は天文班、 僕は無線班に属していたが、それほど部員数が
多いわけではなく、お互いの活動をそれぞれ助け合って高校の
部活動を楽しんでいた。 中学時代から無線や電気工作に
熱中していた自分には天文は初めての体験であったが、君と
一緒に行った天体観測は大変楽しいことばかりであった。
土星の輪というものを初めてみたのも、君と一緒だった。
無線のコンテストに参加するために、足柄山に遠征にいったときに
望遠鏡を持ち込み、見せてくれたんだったよね。
流星を初めてみたのも、高校時代の観測を通じてだった。
今でも、夏にキャンプにいくと必ず、天文観測を家族で行ったり
している。 不思議なもので、あの頃に君にならった星座の
名前や、ちょっとしたエピソード今でも覚えている。 自動車
メーカーのスバル。 あの会社のマークは星団スバルから
取っているって奴だ。 ちょうど8月頃にはペルセウス座
流星群がやってくるから、流星が沢山みえる。 同じ流星群に
属する流星は同じ点からの延長線上にみえ、この点を放射点と
読んでいる。 これだって一緒にやった流星観測得た知識だ。
高校一年のときに台風が接近して嵐になった日のことを
憶えているかい? 学校で高校閉鎖がきまり、帰宅できる
生徒から自宅に帰るように指示がでたのが午後。 しかし
すぐに根岸線も止まり、神奈中バスも運行停止。 帰宅する
すべもなく学校に待機していたところに、君からの連絡。
『親父が嵐の中を車で迎えにきてくれたから、一緒に
自宅に非難しないか』 他の同級生2,3人も一緒に親父さんの
車で嵐や水没した幹線道路をさけて、君の自宅にいったことが
あったね。
親父さんも君に負けないくらい、話しが面白い人だった。
いつか白馬にスキーに行ったときには、親父さんから一緒に
スキーを習ったりしたね。 とてもよく晴れた八方尾根のゲレンデ
で親父さんの滑りを真似たけど、親父さんから指導されるのが
すこし照れくさそうだった、君。
高校1年のときに学校のスキーツアーも楽しい思い出の一つだ。
どうせなら、同じクラスになれるようにと、二人ともたいした足前
ではないにも関わらず、示し合わせて、スキー技術を上級と
申請したね。 高校の頃にはそれほど差がなかったスキーの
足前だけど、大学に入ってから君はアルペンスキー部にはいって
凄く上達したことをよく憶えているよ。 久しぶりに一緒に滑って
後ろをついていけずに随分悔しかったっけ。
高校時代の活動のハイライトは小笠原遠征だったね。
偶然にもOBが計画した遠征の実行年度に我々が高校2年に
なるために活動の中心にならざるを得なかった遠征。
天文班に属した君らからは、たまたま同じ部にある、無線班の
ためにほとんどの活動が遠征中心に回りだして戸惑いも
随分あったことを思い出す。 高校を卒業した大学生達が
活動を決めていたことも、我々が気にいらなかった原因の一つ。
葛藤が部内であったけど、終わってみればとても有意義な
遠征となった。 小笠原のきれいな星空のした、みなで誓った
約束があったね。 皆既日食がある年に、また小笠原に集まろうと。
やさしい君は、一緒に遠征にいけなかった後輩達を気遣って
『次にくるときには後輩も一緒に』といっていた。
車やバイクの話しをするのが本当に好きだった。
やっぱり理系の血が流れていたのか、内燃機関とか自動車工学の
話しをよくした。 DOHCって何? という話しから、なぜカムシャフトが
2本だと吸気排気効率がよくなる、0-400m加速が一番はやい
車はポルシェ911ターボだ、高校生くらいの男子がはまる
会話をお互いにずっと楽しんでいた。
そんなことが好きだったからか、物事を論理的に組み立てて
話すことが上手かった。 勉強もよくできた君だったが、勉強で
目立つことを嫌ってけっしてえらぶらない性格。
でも質問するとよく教えてくれた。 物理や数学が特によくできた。
とてもきれいな読みやすい字で、次々と図形や数式を書いて
丁寧に説明してくれた。 教え方はユーモアな面もあってそんな
風に過ごしてるときには、実は僕は君は教師にも向いているんじゃ
なんて思ったりもしていた。
君の悲報はほんとうに突然に唐突に僕の前にとどいた。
日本を離れてくらしている僕にとっては、知らせてくれた理科部の
仲間に連絡するにもアメリカ時間の夕方まで待たねばならなかった。
告別式に間に合うように、混乱する頭の中、本当はまとめることなど
できないほど山盛りに一緒に過ごした高校時代の一部の思い出を
急いでメールにまとめてみた。
当日ということもあったが、いろいろな人の好意やリレーもあり、
僕のメールは斎場に無事に届いた。 メッセージは
君にも斎場にいた君のことを慕う人達にも届いたようだったね。
告別式にいけなかったクラブの仲間や同期にも同じメッセージを
シェアしたいと思います。
------------------------------------------------------------------------------------
中条達也様
信じられない。 本当なのか中条。。。
高校時代の先輩やクラブの仲間を通じて君の訃報を聞きました。
サンフランに学会で来たときに、シリコンバレーの
僕の自宅まで会いに来てくれたね。 6,7年前だろうか。
お互いの家族での再会を約束したのに。
君と過ごした高校時代は思い出いっぱいだ。
一緒に入った理科部は当時の我々の活動の中心だった。
授業が終わって部室にいくこと、君といろんなことについて議論する
のがなにより楽しみだった。 バイクのこと、マイコンのこと、
そして天体のこと。 いまでも流星をみると、28年前の流星観測を思い出す。
無線の遠征で小笠原父島に合宿したことあった。
スキーにも何度かでかけた。 八方尾根では君の父上にも
滑り方を教わった。 バイクも一緒に乗った。
どんなに遊んでも、翌日のテストはいつもトップの成績だった君。
朗らかで誰からも好かれる性格の君。
大学進路を決めるときに、父上と同じ医学の道を選ぶと話しを
してくれた君。
大学に進学して金沢に行ってしまったが、君の顔がみたくて
何度か遊びにいったね。 大歓迎してくれて、金沢の町で
一緒に食事した。 金沢の名物の美味いものやうまい酒を
いっぱい紹介してくれた。
社会人になってからは金沢に残り、大学にて血液の研究
の道に進んだ君。 正義感の強い君だから、沢山の命を救う仕事
をしたい言っていた君。 最後にサンフランの学会で会ったときには
立派なお医者さんの顔になっていた君。
これからもっともっといろんな話を聞かせてもらいたかった。
お互いに家族でも会いたかった。
そしてもう一度、いや、何回も、昔のように朝まで語り明かしたかった。
それなのに、先に行ってしまうなんて。
直接、君の顔をみて挨拶ができない無礼をお許しください。
中条のことは、我々の仲間は決して忘れない。
一緒に高校時代に見た、星達が今も輝いているように。
--------------------------------------------------------------------------------------------
1週間後に自分のブログにも君のことをかいたよ。
一緒に乗った君の大学時代の愛車 ランサーターボの写真と一緒に。
---------------------------------------------------------------------------------------------
高校時代の親友が亡くなった。
メールを受け取ってから、数日が過ぎた今、やっと彼のことを
考えられることできるようになった。
連絡をもらったのが告別式の直前、USとの時差
があったので、お別れの言葉をFAXにて斎場に直接送ることが
できたが、それ以外には何もできなかった自分。
信じたくないから、考えないようにしていたのか。
振り返れば高校時代を多分、一番長くすごした仲間の一人。
クラブも一緒だった。 バイクも一緒に乗った。 バイトも一緒にした。
テストの前日までいつも一緒に遊んでた。 俺と違ったことは
成績。 平凡な俺とは違い、テストでは常に学年でTOPに食いこん
でいたことを知っている。 大学進学ではあんなに好きだった
バイクや車の工学から大きく舵を切り、父親の跡を継ぐべく医学
の道に進んだ。 金沢大学に進学してからもよく遊んだ。
盆や正月、横浜に戻る際には、必ず連絡をくれた。
彼の父親の買ったばかりの車(初代ソアラ2.8GT)を夜中に持ち出して、
横浜横須賀道路や第3京浜を走らせたりした。
俺が大型バイクを手にいれたときも真っ先に一緒に乗った。
スキーもよく一緒に滑った。高校時代は
俺と大差なかった足前も、大学でスキー部に入ってからは見違える
ように上達して、俺は随分悔しい思いをさせられた。
社会人になると、そのまま大学に残り循環器の研究をするという。
会うことが年に一度が、数年に一度になり。 俺もアメリカに来てしまって
からはほとんど会えなくなってしまった。 最後に会ったのは7年前。
血液の学会がサンフランであって出張で彼が来たときに、シリコンバレー
まで車を飛ばしてきてくれた。 すっかり立派な医者の顔になっていた。
一緒にバイクや車を乗り回していた頃とは別人のよう。
それから7年。
こんなことで彼の連絡を受けるなんて。
仕事を終え、深夜の帰宅後に就寝。
呼吸がおかしいと気づいた奥さんが救急車を呼び病院に搬送されたが
手当ての甲斐もなく、午前10時過ぎに病院で息を引き取ったそうだ。
急性心不全。 医者の仕事はよく知らないが、精神面でも身体面でも
激務だったに違いない。
横横道路で最高速テストでもビビリもしなかった彼が。
バイクの二人乗りでメーター振り切ったときも平然としていた彼が。
世間からみると我々は平均寿命も折り返しすぎた年齢かもしれないが
まだ44歳。 心不全なんて。
半分以上は残っている人生、何故そんな急に。
お子さん達もまだ小学生。 一緒によく怒鳴られたが、俺たちに
やさしかった親父さんや試験勉強といいわけして遊びに来ていた
俺たちに夜食を作ってくれたやさしいお袋さんの顔が浮かぶ。
考えるほどにやるせない。
何もできなかった俺は、彼の告別式の時間に合わせて、
彼の写真の前で日本酒を飲んだ。
石川県の名酒、天狗舞。
大学時代に遊びにいった金沢の香林坊で、彼が紹介してくれた思い出の
酒だった。
親友の冥福を祈る。
添付写真はランサーターボ A175.
彼の大学時代の愛車。 一緒にヤビツ峠を、深夜の第三京浜を、全開
で走った。 ドリフトも、スピンターンも、ダブルクラッチも、彼と一緒に
ランサーターボで練習した。
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米国加州 南 博剛 (柏陽高校13期 理科部OB)
高校1年生、理科部というクラブの部室が君との最初の出会いの場
だった。
校舎の最上階で学校全体が一望できる最高のロケーション。
ここが我々の活動の場だった。
君は天文班、 僕は無線班に属していたが、それほど部員数が
多いわけではなく、お互いの活動をそれぞれ助け合って高校の
部活動を楽しんでいた。 中学時代から無線や電気工作に
熱中していた自分には天文は初めての体験であったが、君と
一緒に行った天体観測は大変楽しいことばかりであった。
土星の輪というものを初めてみたのも、君と一緒だった。
無線のコンテストに参加するために、足柄山に遠征にいったときに
望遠鏡を持ち込み、見せてくれたんだったよね。
流星を初めてみたのも、高校時代の観測を通じてだった。
今でも、夏にキャンプにいくと必ず、天文観測を家族で行ったり
している。 不思議なもので、あの頃に君にならった星座の
名前や、ちょっとしたエピソード今でも覚えている。 自動車
メーカーのスバル。 あの会社のマークは星団スバルから
取っているって奴だ。 ちょうど8月頃にはペルセウス座
流星群がやってくるから、流星が沢山みえる。 同じ流星群に
属する流星は同じ点からの延長線上にみえ、この点を放射点と
読んでいる。 これだって一緒にやった流星観測得た知識だ。
高校一年のときに台風が接近して嵐になった日のことを
憶えているかい? 学校で高校閉鎖がきまり、帰宅できる
生徒から自宅に帰るように指示がでたのが午後。 しかし
すぐに根岸線も止まり、神奈中バスも運行停止。 帰宅する
すべもなく学校に待機していたところに、君からの連絡。
『親父が嵐の中を車で迎えにきてくれたから、一緒に
自宅に非難しないか』 他の同級生2,3人も一緒に親父さんの
車で嵐や水没した幹線道路をさけて、君の自宅にいったことが
あったね。
親父さんも君に負けないくらい、話しが面白い人だった。
いつか白馬にスキーに行ったときには、親父さんから一緒に
スキーを習ったりしたね。 とてもよく晴れた八方尾根のゲレンデ
で親父さんの滑りを真似たけど、親父さんから指導されるのが
すこし照れくさそうだった、君。
高校1年のときに学校のスキーツアーも楽しい思い出の一つだ。
どうせなら、同じクラスになれるようにと、二人ともたいした足前
ではないにも関わらず、示し合わせて、スキー技術を上級と
申請したね。 高校の頃にはそれほど差がなかったスキーの
足前だけど、大学に入ってから君はアルペンスキー部にはいって
凄く上達したことをよく憶えているよ。 久しぶりに一緒に滑って
後ろをついていけずに随分悔しかったっけ。
高校時代の活動のハイライトは小笠原遠征だったね。
偶然にもOBが計画した遠征の実行年度に我々が高校2年に
なるために活動の中心にならざるを得なかった遠征。
天文班に属した君らからは、たまたま同じ部にある、無線班の
ためにほとんどの活動が遠征中心に回りだして戸惑いも
随分あったことを思い出す。 高校を卒業した大学生達が
活動を決めていたことも、我々が気にいらなかった原因の一つ。
葛藤が部内であったけど、終わってみればとても有意義な
遠征となった。 小笠原のきれいな星空のした、みなで誓った
約束があったね。 皆既日食がある年に、また小笠原に集まろうと。
やさしい君は、一緒に遠征にいけなかった後輩達を気遣って
『次にくるときには後輩も一緒に』といっていた。
車やバイクの話しをするのが本当に好きだった。
やっぱり理系の血が流れていたのか、内燃機関とか自動車工学の
話しをよくした。 DOHCって何? という話しから、なぜカムシャフトが
2本だと吸気排気効率がよくなる、0-400m加速が一番はやい
車はポルシェ911ターボだ、高校生くらいの男子がはまる
会話をお互いにずっと楽しんでいた。
そんなことが好きだったからか、物事を論理的に組み立てて
話すことが上手かった。 勉強もよくできた君だったが、勉強で
目立つことを嫌ってけっしてえらぶらない性格。
でも質問するとよく教えてくれた。 物理や数学が特によくできた。
とてもきれいな読みやすい字で、次々と図形や数式を書いて
丁寧に説明してくれた。 教え方はユーモアな面もあってそんな
風に過ごしてるときには、実は僕は君は教師にも向いているんじゃ
なんて思ったりもしていた。
君の悲報はほんとうに突然に唐突に僕の前にとどいた。
日本を離れてくらしている僕にとっては、知らせてくれた理科部の
仲間に連絡するにもアメリカ時間の夕方まで待たねばならなかった。
告別式に間に合うように、混乱する頭の中、本当はまとめることなど
できないほど山盛りに一緒に過ごした高校時代の一部の思い出を
急いでメールにまとめてみた。
当日ということもあったが、いろいろな人の好意やリレーもあり、
僕のメールは斎場に無事に届いた。 メッセージは
君にも斎場にいた君のことを慕う人達にも届いたようだったね。
告別式にいけなかったクラブの仲間や同期にも同じメッセージを
シェアしたいと思います。
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中条達也様
信じられない。 本当なのか中条。。。
高校時代の先輩やクラブの仲間を通じて君の訃報を聞きました。
サンフランに学会で来たときに、シリコンバレーの
僕の自宅まで会いに来てくれたね。 6,7年前だろうか。
お互いの家族での再会を約束したのに。
君と過ごした高校時代は思い出いっぱいだ。
一緒に入った理科部は当時の我々の活動の中心だった。
授業が終わって部室にいくこと、君といろんなことについて議論する
のがなにより楽しみだった。 バイクのこと、マイコンのこと、
そして天体のこと。 いまでも流星をみると、28年前の流星観測を思い出す。
無線の遠征で小笠原父島に合宿したことあった。
スキーにも何度かでかけた。 八方尾根では君の父上にも
滑り方を教わった。 バイクも一緒に乗った。
どんなに遊んでも、翌日のテストはいつもトップの成績だった君。
朗らかで誰からも好かれる性格の君。
大学進路を決めるときに、父上と同じ医学の道を選ぶと話しを
してくれた君。
大学に進学して金沢に行ってしまったが、君の顔がみたくて
何度か遊びにいったね。 大歓迎してくれて、金沢の町で
一緒に食事した。 金沢の名物の美味いものやうまい酒を
いっぱい紹介してくれた。
社会人になってからは金沢に残り、大学にて血液の研究
の道に進んだ君。 正義感の強い君だから、沢山の命を救う仕事
をしたい言っていた君。 最後にサンフランの学会で会ったときには
立派なお医者さんの顔になっていた君。
これからもっともっといろんな話を聞かせてもらいたかった。
お互いに家族でも会いたかった。
そしてもう一度、いや、何回も、昔のように朝まで語り明かしたかった。
それなのに、先に行ってしまうなんて。
直接、君の顔をみて挨拶ができない無礼をお許しください。
中条のことは、我々の仲間は決して忘れない。
一緒に高校時代に見た、星達が今も輝いているように。
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1週間後に自分のブログにも君のことをかいたよ。
一緒に乗った君の大学時代の愛車 ランサーターボの写真と一緒に。
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高校時代の親友が亡くなった。
メールを受け取ってから、数日が過ぎた今、やっと彼のことを
考えられることできるようになった。
連絡をもらったのが告別式の直前、USとの時差
があったので、お別れの言葉をFAXにて斎場に直接送ることが
できたが、それ以外には何もできなかった自分。
信じたくないから、考えないようにしていたのか。
振り返れば高校時代を多分、一番長くすごした仲間の一人。
クラブも一緒だった。 バイクも一緒に乗った。 バイトも一緒にした。
テストの前日までいつも一緒に遊んでた。 俺と違ったことは
成績。 平凡な俺とは違い、テストでは常に学年でTOPに食いこん
でいたことを知っている。 大学進学ではあんなに好きだった
バイクや車の工学から大きく舵を切り、父親の跡を継ぐべく医学
の道に進んだ。 金沢大学に進学してからもよく遊んだ。
盆や正月、横浜に戻る際には、必ず連絡をくれた。
彼の父親の買ったばかりの車(初代ソアラ2.8GT)を夜中に持ち出して、
横浜横須賀道路や第3京浜を走らせたりした。
俺が大型バイクを手にいれたときも真っ先に一緒に乗った。
スキーもよく一緒に滑った。高校時代は
俺と大差なかった足前も、大学でスキー部に入ってからは見違える
ように上達して、俺は随分悔しい思いをさせられた。
社会人になると、そのまま大学に残り循環器の研究をするという。
会うことが年に一度が、数年に一度になり。 俺もアメリカに来てしまって
からはほとんど会えなくなってしまった。 最後に会ったのは7年前。
血液の学会がサンフランであって出張で彼が来たときに、シリコンバレー
まで車を飛ばしてきてくれた。 すっかり立派な医者の顔になっていた。
一緒にバイクや車を乗り回していた頃とは別人のよう。
それから7年。
こんなことで彼の連絡を受けるなんて。
仕事を終え、深夜の帰宅後に就寝。
呼吸がおかしいと気づいた奥さんが救急車を呼び病院に搬送されたが
手当ての甲斐もなく、午前10時過ぎに病院で息を引き取ったそうだ。
急性心不全。 医者の仕事はよく知らないが、精神面でも身体面でも
激務だったに違いない。
横横道路で最高速テストでもビビリもしなかった彼が。
バイクの二人乗りでメーター振り切ったときも平然としていた彼が。
世間からみると我々は平均寿命も折り返しすぎた年齢かもしれないが
まだ44歳。 心不全なんて。
半分以上は残っている人生、何故そんな急に。
お子さん達もまだ小学生。 一緒によく怒鳴られたが、俺たちに
やさしかった親父さんや試験勉強といいわけして遊びに来ていた
俺たちに夜食を作ってくれたやさしいお袋さんの顔が浮かぶ。
考えるほどにやるせない。
何もできなかった俺は、彼の告別式の時間に合わせて、
彼の写真の前で日本酒を飲んだ。
石川県の名酒、天狗舞。
大学時代に遊びにいった金沢の香林坊で、彼が紹介してくれた思い出の
酒だった。
親友の冥福を祈る。
添付写真はランサーターボ A175.
彼の大学時代の愛車。 一緒にヤビツ峠を、深夜の第三京浜を、全開
で走った。 ドリフトも、スピンターンも、ダブルクラッチも、彼と一緒に
ランサーターボで練習した。
------------------------------------------------------------------------------------------------
米国加州 南 博剛 (柏陽高校13期 理科部OB)