残像の遊戯

俳句・音楽・映画・ジャズ・小説などをめぐるコラム。日々過ぎていく目のまえの風景と心象は儚い残像なのかもしれない。

佐藤泰志の小説、そして映画

2014年09月15日 | 映画
 佐藤泰志という作家の存在を知ったのは、数年前に函館に旅行したときだ。ぶらりと入った函館市文学館で石川啄木はじめ函館にゆかりのある作家の資料を読んでいた。啄木の残した家族にあてたたくさんのハガキや生原稿は読みごたえがあった。こじんまりした文学館だが、僕には居心地がよく、展示品のほとんどを読んだ。函館という港町が育んだ作家の足跡がわかっておもしろかった。観光スポットを一つか二つまわれる時間をそこで過ごした。

 そこに佐藤泰志という作家の紹介があった。村上春樹と同じ世代で、芥川賞に5回ノミネートされたものの受賞にはいたらず、41、2歳で自死したとあった。その代表作『海炭市叙景』の映画化を市民有志で進めているというポスターが張られていた。函館を舞台にした映画らしいが、けっして明るい作品ではなさそうだった。そのタイトルと作家の名前がずっと胸にひっかかっていた。

 その後、文庫本で『海炭市叙景』を手に入れ読むことができた。すばらしい作品だった。函館に住む人間たちをそれぞれに描いた群像ドラマといってよかった。佐藤が参考にしたと言われるアメリカの小説『ワインズバーグ・オハイオ』もついでに読んだ。その後に映画を見た。小説のもつ冥い情感を、鈍色のトーンで海と空の色を基調に函館が描かれていた。どの土地にも明と暗があるが、小説と映画に描かれた函館の街は、繁栄と光からは遠い、暗さに満ち汗や体液で湿った生活の場であった。そこで傷つき、もがき憎みあいながら、静かに生きる人々がいた。

 先ごろ、佐藤泰志の作品を映画化した『そこのみにて光輝く』が外国の映画祭で、監督賞を受賞したというニュースがあった。死後20数年が経つけれど、佐藤のような実力がありながら不運のうちに消えた作家の作品が再版され、しかも映画化されることはとてもうれしい。けっしてメジャーではないものの、多くの人々がその価値を再発見し、再び光があてられた。