中国生活の基礎知識~中国史の入門講座~

中国で生活するための基礎知識として、中国の歴史・文化を、楽しみながら学んでいきましょう。

始皇帝さんの素顔~第4回の講義から

2011年11月25日 | 秦・漢
長期にわたって更新できなかった…。
月初にダウン(何年かぶりに命の危険を感じた)。
復帰後、「世をしのぶ仮の姿」に忙殺され
ようやく一息ついての更新である。

10月に行った第4回の講座。
日本でも有名な「始皇帝」の人となりにチョッと迫ってみた。
残虐、横暴、中国最強のジャイアニズムという彼
そうなってしまったのは、やっぱり家庭環境が大きかったのではと。

特に問題は始皇帝のお母様。
今だったら「王室スキャンダル」なんて
週刊誌が喜んだであろうネタだったが、
やはり皆様の食いつきも違った

もともとは呂不韋の囲い者だったが
子楚に見初められ、その妻に。
太子妃から王后、王太后へとサクセスストーリーだったが
常に「男性」を必要とする人だったせいで
旦那の死んだあと、前の男(呂不韋。秦の宰相になっていた)を引きこみ、
その前の男は保身のために、別の男をあてがう…。

その結果、叛乱は起きてお気に入りの男は
隠れて産んだ2人の子どもと殺されるし、
前の男(呂不韋ね)は失脚して自殺するしと
まぁ、なんとも凄惨な結末になってしまったものである。

しかも、これ全部始皇帝が13歳ぐらいの敏感期に起こってるから
オレでも盗んだバイクで学校のガラスを割りたくなるね。

ちなみに始皇帝。
成人してから、人生で3回ほど刺客に命を狙われている。
1回目は有名な荊軻。「秦王刺荊軻」などと戯曲化もされている
名シーンである。

その次が荊軻の友人、高漸離。
音楽の名手で、始皇帝にも愛され、
荊軻事件の後も始皇帝が殺すのを惜しみ、目をつぶして近くに置いた。
しかし、友人の復讐に燃える高漸離は
鉛を仕込んだ琴を始皇帝に投げつけるが、失敗。首をはねられた。

最後が、劉邦のブレーンになった張良。
これは仲のよい友人と一緒に、始皇帝巡幸時に
馬車に向かってハンマーを投げつけた。
残念、その友人は室伏幸司ではなかったので、的は外れ
失敗に終わった。

まぁ少年期から大人になるまで
こんな環境にいたら、そりゃ民衆イヂメしなけりゃ
やってられんわな。

それでも、不老不死が欲しくて
怪しげな「道士」にコロッと騙される
あたりは
けっこう可愛い人なのかもしれない(笑)


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