中国生活の基礎知識~中国史の入門講座~

中国で生活するための基礎知識として、中国の歴史・文化を、楽しみながら学んでいきましょう。

世界初? 官立学術サロン~第2回講義補講2

2011年10月28日 | 春秋・戦国
春秋戦国時代、特に戦国時代に入ると
諸子百家がもてはやされ、
各国が競って学者さんたちをスカウトしていた。

そのなかで積極的だったのは斉の国。
何と首都に専用の場所を設けて、学者さんたちを招いた。
これを「稷下の学」という。

ちなみに「稷下」とは、斉の首都にあった門「稷門」周辺
と言ったような意味である。

学者さんたちが集まって研究したり、議論したり
国に対する提言を行っていたりしたこの場所は
いうなれば「官立学術サロン」だったのである。

結構、王様もここにきていろんな事を相談したり
学者さんたちも、市民の生活を見てプランを練ったりしていたので
今の「国家戦略なんちゃら大臣」とかよりも、よっぽど実質的だったはず。

さらに、個人レベルでもいろんな人材を招く風潮が広がる。
こうした、個人に招かれた学者さんを「触角」、「食客」という。

有名どころでは
斉の孟嘗君、魏の信陵君、趙の平原君、楚の春申君の「戦国四公子」は
それぞれfont size="3">3000人もの食客を抱え、独自のブレーン集団を形成していた。
(鶏鳴狗盗の故事を参照のこと)

こうした食客とか学者さん、待遇の方はどうかって気になるが
なんと>「衣」「食」「住」に「車付き」ってケースが多かった(もちろん才能次第)。
しかし、待遇は好いかわりに、
就職に失敗すると財産どころか、命そのものがなくなってしまうので、
みんな、就職先選びは必死だったことだろう。

今の「どこでもいいから入れれば」、「中国来たら仕事あるでしょ」という
日本人求職者には、ぜひ見習ってもらいたいものである。



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