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えんじゃけん

塩田千春展&クリスチャン・ボルタンスキー展

今日は美術館をはしごしてみました。

まずは、能登国際芸術祭で素敵だなと思った塩田千春さんの展覧会へ。

森美術館で行われていました。

会場に行くまでのエスカレーター上にも作品があり、素敵です。

能登で船から糸があふれだしているような作品がとても美しく感じて素敵だなと思ったのですが、

会場に入るなり、その船の作品が多数あってとてもいい感じでした。

部屋全体に赤い糸が舟から広がっていっています。

壁にはこの糸はホッチキスでとめられていたのですが、これをこの会場で作ったのかと思うと、

どれくらいの労力を使ったのだろうと思いました。

すごい情熱がないと、こんなことできないですよね。

お手伝いする人もいるのかな?

それとも作者さんが一人でしたのかな?

とても気になりました。

この作品は本当に美しいのですが、しかし、今回の展覧会を見て、ここまで来るには、

途中、なんともおどろおどろしい時期を経ての昇華した形なのだなということが分かりました。

これは焦げたピアノを黒の色で紡いでいます。

ピアノの周りには焦げた椅子たちがやはり糸で紡がれていました。

なんだか怖い感じがするけど、静といった感じがする美しさがそこにはありました。

水墨画のようでないですか?

これも根気のいる作品ですよね。

一会場に、こんなにも根気のいる作品を展示して、すごすぎです、塩田さん。

上の作品も黒い糸で紡がれた作品なんですけど、ちょっとした仕掛けがありまして、

糸がすごすぎて、はっきりどうなっているのか分からないのですが、

このボックスの対角線上に鏡を入れているようで、向こう側が見えないんだけど、

まるで見えているような錯覚に陥るんだけど、よくよく見ると、

自分が向こう側に見えるという、不思議な感覚に襲われる作品です。

右側に写っている人影は私の鏡に写りこんだ姿です。

ね、なんだか不思議じゃないですか?

上の写真のような部屋もありました。

スーツケースが糸でつられていて、奥に行くほど高い位置につられていました。

中に何個か動いているものもありました。

まるでスーツケースの階段のようでした。

逆側から見ると、こんな感じです。↓

下の陰もきれいですよね。

人形用(?)の小さな家具たちを糸で紡いでる部屋もありました。

その中でも面白いなぁと思う部分をアップで撮ってみました。↓

小物も椅子率が高かったのですが、塩田さんの椅子に対する想いってものが大きいのかな?

椅子と椅子がつながっている様子は、まるで人と人のつながりのように感じました。

 

この後は、新国立美術館に向かいました。

午後より芝居を見る予定だったので、お昼は時間節約で、コンビニでおにぎりとから揚げを買って、

から揚げは歩きながら食べて、おにぎりは美術館の外の広場のベンチで食べました。

↑ここには座ってないですよ!

外でおにぎり食べることで、外にこんな作品がある事に気づきました。

ガラスがまるで氷のように見えて涼し気です。

でも実際は触ると熱いんだろうなぁ。

作品には近寄れないようになっていました。

陰も透明で面白いですね。

 

新国立美術館では、「クリスチャン・ボルタンスキー」展を見ました。

この人の作品も今はかなり昇華されて美しいものが多いように思うのですが、

塩田さんと同じく、昔の作品は結構おどろおどろしいなぁと。

そして、塩田さん以上に死に目が向いているように思いました。

塩田さんも生死について追及している感じを受けるけど、塩田さんの作品からは、

生を強く感じ、ボルタンスキーからは死の世界を強く感じました。

どちらも人の生命について追及し、どろどろした時期を経て、作品が昇華され、

美しいものまで辿りついていて、それは草間彌生さんもおんなじで、

何かを追求するという事は、最終的には余計なものがそぎ落とされていき、

限りなく美に近づくのかも知れないと思いました。

これは大地の芸術祭で昨年、新作で紹介されてたものです。

最後の教室と同じ施設内に展示されています。

最後の教室のある施設の作品は、美しいんだけど、どこか怖いんですよね。

一人ではあそこに行きたくないと思えます。

そんな中にあるこのような少しユーモラスさを感じさせる作品。

でも、奥底に流れるテーマは同じなんですよね。

多分。

そんな影絵のある長い通路の先には黒い山が見えます。

遠目に見るだけでもなんだか怖い感じがしました。

この山、黒い衣服が重なってできた山なんですよ。

服が重なっているだけでもこんなにも威圧感があるんだと驚きました。

また、その周りにはその黒い服を着た人のような木の板がいくつか立っています。

近寄ると、センサーで反応して言葉を発します。

それぞれの個体で違う言葉を発するんですけど、

その言葉はどういう場面で言われた言葉なんだろうと想像が膨らみ、

何故か怖さも感じます。

人の心の闇を垣間見たようなそんな感覚に襲われました。

 

その部屋には映像もありました。

白い床に無数の棒の先に風鈴が吊るされている映像。

ずっと風鈴の鳴る音が会場の中で鳴り響いていました。

風鈴の音ってなぜか死者とつながっているイメージがあるんだけど、

ボルタンスキーの影響かな?(汗)

映像の前には白い紙が丸められて、たくさん敷き詰められていたのですが、

まるで死者を見送るときに飾る花のように感じました。

黒と白で構成されたこの部屋。

死の世界に迷い込んだようなそんな空間でした。

 

会場の最後の部屋に入る前にはこのような文字が↓

死の世界から来世に向かうって感じなのでしょうか?

部屋に入ると、まるで精子が卵子に向かって泳いで行っているような作品があったのですが、

撮影禁止だったので撮れてませんが、新しい生に向かっているのだなという感じのする作品が

その部屋にはありました。

 

会場を出ると物販があり、物販をさらっと見て、そのエリアを出ようとすると、

あるポスターが目に留まりました。

なんと、2時からボルタンスキーについて講演会が3Fであったとあるではないですか?

ボルタンスキーとも交流のある詳しい大学教授がボルタンスキーについて、

講義するようでした。

私が、この美術館についたのが、2時。

そして、見終わった今が3時。

一応、3時半まで講演会があるということだったので、会場に向かいます。

受付の人にまだ大丈夫か確認するとあとまだ30分あるから大丈夫ということで、

会場後ろ扉より入れてもらいました。

少しでしたが、聞けてよかったです。

このボルタンスキーの作品、知らない間に結構触れ合っていることがその講演会で分かりました。

風鈴の映像があったのですが、それはもともとは豊島の山の中の作品を展示したものであること、

あと、心臓のアーカイブって作品があるのですが、それも行ったことがあって、

瀬戸内国際芸術祭でもあったんだなと驚きました。

 

塩田さんの作品も能登国際芸術祭だけでなく、大地の芸術祭でもあったりと、

知らないうちに自分、たくさん、すごい作家さんの作品を見ていたのだなと改めて気づかされました。

何かを極めることが美につながると強く感じた今日の二つの展覧会。

私自身の絵も描き続けたらそうなるのかなと思いました。

昇華されるくらい、何かを極められるって素晴らしいですよね。

そうなれるといいなと思います。

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