えんじゃけん

引間文佳さんと出会うまでのルーツは?

引間文佳さんにどうやって出会ったのか、ずっと出会うまでの過去を遡って考えていると、結構面白い発見があってそれを書こう!と心に決めたその日、ある情報が飛び込んできました。

引間さんのインスタが更新され、それに対するコメントの中に、

「ヨッ、新妻」

って書き込みがあったんです。

これは、引間さんが結婚したってことなのかなとちょっともやもやしているところに、引間さん自身からの返信で、

「へへへ!これでも新妻です」

とあったんです。

そ、そうなのかとしばらく、記事が書けない気分に。

 

いや、もしかしたら・・・と思う瞬間はあったんです。

結婚しているとは思わなかったけど、近々結婚するかもって思いはありました。

昨年、急にきれいになったなぁと思うことがあり、いい人ができたのかな?

もしかして近々結婚してしまうのかな?と思うようになっていました。

結婚して赤ちゃんを産むとなるとしばらく引間さんのダンスが見れなくなってしまう、あるいは、引退してしまう可能性もあります。

そう考えると、今、この瞬間に、今現在の引間さんのダンスが見られることがすごく貴重だと思うようになりました。

そこで、少し遠くても自分がお気に入りのHumanoid ladyは見られる時に見とかないと、いつ見れなくなるか分からないと思うようになりました。

ということで、遠くても七日町まで行ったり、太宰府まで行ったりして見ていました。

まさか、もう、結婚しているなんて。

おめでたい事なんだけど、もしかしたら引間さんのダンスが見られなくなるかもというショックの方が大きくて、この記事をなかなかなれずにいました。

けれど、大分、気持ちも落ち着いてきたので今日、引間さんと出会うまでのルーツについて書こうと思います。

 

前置き長くなりました。

 

では、ここから、自分がどうやって引間文佳さんに出逢うまでになったか、過去を遡っていきたいと思います。

まず、最初に引間文佳さんを見て「すてきだ!」と思ったのは能登国際芸術祭です。

そこで、初めてHumanoid ladyを見ました。

では、なぜ、能登国際芸術祭に行ったかというと、もともと、美術には興味があり、

十日町の大地の芸術祭に行って、それが結構面白かったので、同じフラムさんが関わっている能登国際芸術祭にも興味も持ちました。

そして調べているうちに、ひびのこづえさんも作品を出すと知りました。

また、作品だけでなく、パフォーマンスもすると知り、紹介写真を見ると、青や紫の風船の塊みたいな写真がのってありました。

それがなんと衣装で、それを着てダンサーが踊ると紹介があって、それをきて踊ったらどうなるんだろうとものすごく気になってしまったんですよね。

それで能登まで行きました。

では、ひびのこづえさんをどうして知ったかというと、野田秀樹さんのお芝居で。

野田さんの舞台は舞台美術も素敵なんですけど、衣装も素敵で、その衣装を手掛けているのがひびのこづえさんなんです。

では、なぜ、野田秀樹を知っていたかというと、中学生のころに演劇部に入っていたから。

その時の顧問の先生が野田秀樹が大好きで、野田秀樹の舞台に誘ってくれたり、実際に野田秀樹の台本のお芝居をさせてくれたりして、それで知りました。

では、なんで演劇部に入ったかというと、小6の時に小学6年生という子ども向けの本を読んだから。

その本の中で、中学校に行ったらどんな部活に入る?といった特集があり、イエス、ノーで応えていくと、自分に合っている部活を紹介してくれる企画があったんです。

それで試すと、演劇部ってなりました。

そんな部活があるんだとその時、初めて知りました。

その当時、中学校で演劇部があるのは珍しかったようですけどたまたま自分が行ったところに、演劇部があって、それで入ることができました。

でも、それだけにとどまらず、大学生の時は、その当時の演劇部の顧問だった先生が、自分の通っていた大学に、短期で研究しにくることになり、その大学の中であったダンスのグループを紹介してくれて、2公演ほどなんですけど、参加させてもらいました。

1公演はダンスしている中に私は詩を朗読して立ち去る役だったので、踊ってないんですが、

もう一公演は、それこそコンテンポラリーだったのかな?

テーマは決まっていて、よいしょよいしょの部分では、動きがきまっているんですが、結構、自由に身体表現する踊りで。

特に型がなく、個々の動きで音楽に合わせて体を動かすもので楽しかったです。

それでダンスにも興味を持つようになりました。

じゃ、なんで、こんな風に美術や身体表現に興味を持つような素質が育ったのかな?と考えると、母が舞台や美術などに、私を小さい頃からよく触れさせてくれていたからかなと。

田舎なので、そんなに触れる機会は少ないんですけど、美術展やお芝居などが近くに来ると、バスに揺られ、1時間ほどかけて見に行ったりしていました。

あとは、宝塚の遊園地に遊びに行ったときに、モニター越しでしたが、宝塚の舞台を母が見せてくれ、こんな世界もあるんだと驚いたのを覚えてます。

たしか、幼稚園の頃かな、それが。

 

絵を描く事に自信を持てたの母のおかげなんですよね。

上手、下手は別としてですが😅

母は私が小さい頃、私を連れて、職場に行っていたんですが、

母が仕事している間、私はよく裏が何も書かれてない広告を手渡され、

それに〇〇を描いてと課題が与えられ、描いていたんです。

あまり、ほめてくれる母ではなかったんですけど、その絵を描くことだけは、よく誉めてくれていて・・・・。

その時の記憶のおかげで美術に興味を持つ素質が育ったのだなと。


そうやって考えていくと、引間さんに出会えたのは、もとのもとまで辿っていくと、母がそういった芸術に理解のある人だったからというところまで辿り着きました。

そこまでたどり着いたのが、なんか楽しくて、それでこの記事を書きたいと思ったのでした。

しかし、その日に、引間さんの結婚を知らされ、もしかしたら、近々、引間さんの踊りが見られなくなるかもと思うとショックが大きくてなかなか記事を書く気にならなかったんですよね。

 

引間さんには幸せになってほしいけど、引間さんの踊りをもっと見ていたという気持ちもあり・・・。

ああ、複雑だ!!!!!

ダンスって演劇以上に続けていくのが難しいように思います、特に女性は。

だから、今の引間さんだから見られるダンスはとても貴重に思います。

見られるうちにしっかり見て、記憶に焼き付けておきたいと思います。

だから、輝いている今の引間さんに出逢えたことに感謝。

そして、出逢えるように、今まであった過去に感謝。

そして、何より母に感謝。

 

あまりもうお出かけのできなくなった母ですが、いつか、本物の宝塚見せてあげたいなと今回思いました。

そういえば、母、モニター越しに、宝塚、好きって言ってたなぁと今回の事で思い出すことができました。


そして、最後に、


引間さん、ご結婚おめでとうございます!!😃

引間さんに出会え、新しい世界を知ることが出来、とても嬉しかったです😊

その機会を与えてくれて本当にありがとうございます!

今回、こうやって振り返られたのも引間さんのおかげです。

結婚しても変わらず応援してます!

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