□本日落語一席。
◆昔昔亭桃太郎「春雨宿」(NHK-Eテレ『日本の話芸』)。
東京渋谷NHK放送センター、令和5(2023)年4月16日収録。
桃太郎はよほどお気に入りのネタらしく、過去に三四席ほどは聞いている。この『日本の話芸』でも七年前に一度かけた(当時はまだ「東京落語会」)。ちなみに、公演情報は、東京虎ノ門ニッショーホール、平成28(2016)年9月16日(第687回「NHK東京落語会」)。
今回は、オープニングトークがあったので、桃太郎の「春雨宿」の由来が聞けた。桃太郎はこれを先代の雷門助六で聞いて、おもしろいと思ったので自分も演りたくなったとのこと。その前にこれは先々代の助六が大阪から持ってきたネタだということも紹介していた。
この雷門助六については、親子関係や代数がちょっとややこしい。当代は九代目であることは間違いない。そして、先代というのも八代目を指しているのだろう。ちなみに、この九代目は八代目の養子。
そして、先々代というのが、ふつうだったら七代目を指して言うところだが、この七代目助六という人は、助六になる前にいったん落語家を廃業しているので、もしかしたら、桃太郎が言った先々代というのは、この七代目でなく六代目を指しているのかもしれない。現に、六代目雷門助六は、SPレコードとして「春雨宿」を残している。
桃太郎は、その先々代助六が大阪から移植したと言ったが、『増補 落語辞典』の当該項目を見ると、大阪では「鴬宿梅」と言ったのではないだろうか。または、「春雨茶屋」という演目もあるらしいから、それかもしれぬ。
ただ、「鴬宿梅」にしろ「春雨茶屋」にしろ、今ではどちらも大阪でこれを演ったものを聞いたことはない。
桃太郎は、「春雨宿」を演ろうと思ったときには、もうすでに先代は亡くなっていたので、先代の弟子から録音されたテープをもらって覚えたと言っていた。このとき、桃太郎は今の助六と言わず、先代の弟子と言ったので、テープをを譲り受けたのは、当代助六でないかもしれない。もしかして、四代目春雨や雷蔵とか、二代目雷門福助とかか。
◆昔昔亭桃太郎「春雨宿」(NHK-Eテレ『日本の話芸』)。
東京渋谷NHK放送センター、令和5(2023)年4月16日収録。
桃太郎はよほどお気に入りのネタらしく、過去に三四席ほどは聞いている。この『日本の話芸』でも七年前に一度かけた(当時はまだ「東京落語会」)。ちなみに、公演情報は、東京虎ノ門ニッショーホール、平成28(2016)年9月16日(第687回「NHK東京落語会」)。
今回は、オープニングトークがあったので、桃太郎の「春雨宿」の由来が聞けた。桃太郎はこれを先代の雷門助六で聞いて、おもしろいと思ったので自分も演りたくなったとのこと。その前にこれは先々代の助六が大阪から持ってきたネタだということも紹介していた。
この雷門助六については、親子関係や代数がちょっとややこしい。当代は九代目であることは間違いない。そして、先代というのも八代目を指しているのだろう。ちなみに、この九代目は八代目の養子。
そして、先々代というのが、ふつうだったら七代目を指して言うところだが、この七代目助六という人は、助六になる前にいったん落語家を廃業しているので、もしかしたら、桃太郎が言った先々代というのは、この七代目でなく六代目を指しているのかもしれない。現に、六代目雷門助六は、SPレコードとして「春雨宿」を残している。
桃太郎は、その先々代助六が大阪から移植したと言ったが、『増補 落語辞典』の当該項目を見ると、大阪では「鴬宿梅」と言ったのではないだろうか。または、「春雨茶屋」という演目もあるらしいから、それかもしれぬ。
ただ、「鴬宿梅」にしろ「春雨茶屋」にしろ、今ではどちらも大阪でこれを演ったものを聞いたことはない。
桃太郎は、「春雨宿」を演ろうと思ったときには、もうすでに先代は亡くなっていたので、先代の弟子から録音されたテープをもらって覚えたと言っていた。このとき、桃太郎は今の助六と言わず、先代の弟子と言ったので、テープをを譲り受けたのは、当代助六でないかもしれない。もしかして、四代目春雨や雷蔵とか、二代目雷門福助とかか。