拝啓イエスさま

クリスチャンなのかな?からし種ほどの信仰もない、パニック障害主婦の悪戦苦闘日記やら聖書のことばたちやら祈りやら

マザーテレサのことば

死にかけている人、障害をもつ人、心を病んだ人、必要とされない人、愛されていない人。 彼らは変装したイエスなのです。

しんどいです・・

2009-05-31 21:33:04 | 悲しみ・悩み・苦しみの中にあるとき
詩編36編

 注いでください。  あなたの恵みを、あなたを知る者に。


イエスさま。。
ここのところの体の不調は、かなりきついです・・。
耐えるのがしんどいです。

でも、恵みを感じることはできます。
だからまだ大丈夫。

なくなったものを数えません。

与えられているものを数えます。

いつか数えることもできなくなるでしょうか。

そんな日もあるでしょう。



それでも、そんな日も耐えれたら

きっと、恵みを知ることができるでしょうか。

ほんとうの、ほんとうの

あなたの恵みに。。。。

人を赦すまでの長い道・・・

2009-05-27 09:33:33 | 悲しみ・悩み・苦しみの中にあるとき
旧約 創世記33章

 エサウは彼を迎えに走ってきて、
 彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。



ヤコブは兄エサウに殺されそうになるほど、憎まれていたので、
故郷に帰るとき、本当にすごい不安を抱いていた。
そして、慎重に慎重に兄のご機嫌を伺いながら、近づいていた。
そして、とうとうここでヤコブは、400人もの人を連れてやってきた
エサウと出会う。

本当に怖かっただろう・・。
でも、前の章で神と戦ったヤコブは神に祝福されて勇気を
得ていたとも思う。。

 ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。
 彼は、兄に近づくまで、7回も地に伏しておじぎをした。


そして、冒頭の部分に続く。
今までは、しもべたちを先に使いにやっていたヤコブ。
ここで、やっと一番先頭に立つ。
勇気。
近づくまでに何度も地に伏して、兄へのおわびと服従をしめして・・。
ほんとにほんとに怖かっただろう・・。


兄が走ってきたときも、きっとどうなるかとびびってたと思う。。
だから、抱きしめられたときの、喜びはすごかったと思う。
喜びより、安堵か・・。

「ふたりは泣いた」

この離れていた20年の月日。
それぞれに、いろんなことがあっただろう。
お互いのこと、すごく考えたことだろう・・。
エサウの20年については、ほとんど書かれていないが、
エサウはエサウで、いろいろ悩んだはずだ・・。

あれほど、憎んでいた(殺したいほどに)弟と会うこと。
それは、エサウにとっても、怖いことだったかもしれない。
「自分は冷静でいられるのか。憎しみは完全に消えたのか・・。」

でも、会うと、ほんとに自然に和解できた・・・。
二人の涙は安堵の涙だったかもしれない・・。

憎しみとゆう感情ほど、辛く苦しいものはない。

たとえば、一番苦しいのは、愛する人を殺されたとか。。
その憎悪の苦しみは、ほんとに想像を絶する生き地獄だと思う。

普通の人は、犯人を赦すことなんかできない。
同じ苦しみを味わわせないと怒りは、治まらない。
味わわせても、苦しみは残り続ける。

そして、クリスチャンは自分がそうゆう立場になっても、
赦さなければいけない。とイエスは言う。
でも、実際それができるクリスチャンは少ない。
もちろんあたしだってそうだ・・。
赦すことは、難しい。

昔見たテレビで、従軍慰安婦に強制的にされていたフィリピンの
女性がインタビューで
「私は彼ら(日本兵)を赦します。なぜなら、私が彼らを赦さなければ
神が私を赦さないだろうから・・。」
と言っていた。
すごい衝撃だった。
なんて人なんだろう・・と感動した。
もう20年近く前のことだけど、ずっとその言葉が忘れられなかった。
彼女は慰安婦だった後遺症が残り、そうゆう方が入る施設で余生を
過ごしていた。
それだけ、ひどいことを長い期間、させられていたのだ。
戦争が終わってからも、故郷では、慰安婦だったことで、
疎外され、結婚もできず、後遺症に苦しみ・・・。
それなのに、そんな目にあわせた相手を憎まないなんて。

そのときは、その人がクリスチャンだから・・とか気づかなかった。
知らなかった。キリスト教についてもなんにも知識がなかった。
だから、この人がすごい人だって思ってた。

イエスさまのことを知って、彼女が言った言葉の意味がやっと
わかった。
彼女は、見事な信仰を与えられたクリスチャンだったんだ・・。

あたしは、まだまだ自分を傷つけた人を、心から赦すことが
できない。。
怖くて怖くて。。。
顔を見るのも嫌だ。
声だってもちろん聞きたくない。。
もう、あの出来事を思い出したくない。
まだまだ、心の傷が深すぎる。

エサウとヤコブには20年の月日が必要だった。

あたしだって、焦らなくていいよってイエスさまが
言ってくれてる気がする。
そうだよね。
今すぐに赦すことはできなくても、
いつか赦せる日が、必ず来る。
そう信じてる・・。

イエスさま。助けてね。

聞く耳・・

2009-05-26 09:54:03 | 大事なこと
新約ルカ8章

 イエスは、これらのことを話しながら、
 「聞く耳のある者は聞きなさい」と叫ばれた。



イエスが、大事なことを語られるときによく使われた言葉だ。
大事なことは、とても難しくて、人にわかるように説明ができないので、
よくたとえ話で話された。
でも、弟子たちでも、いつもたとえ話でさえ理解できず、あとで
「あれはどうゆうたとえだったんですか」と聞きなおしている。

大事なことは、わかりにくい。

仏教でも、仏の智恵は(真理)、どんなに賢い人間でも本当のことまでは
知ることはできないとお釈迦さまが言っている。

だから、イエスさまの言葉も「聞く耳」を与えられなければ、
理解できない。
「聞く耳」は自分で持とうとしてもてるものでもないと、
あたしは思う。
神様の、聖霊の手助けがあって初めて、耳が開かれる。

あたしたちにできるのは、祈るだけ・・・。
「聞く耳を与えてください・・。私を憐れんでください・・・」と。

私から離れないで・・

2009-05-25 21:08:11 | 悲しみ・悩み・苦しみの中にあるとき
詩編 35編

 黙っていないでください。
 わが主よ。
 私から遠く離れないでください


私から遠く離れないで・・・
なんでだろう。
すごく、この言葉が胸にしみる。

詩人のすごく不安な気持ちがよくわかる。

あたしも不安なんだ。
必死で「離れないで」って思ってるんだ、きっと。

前までは、あたしが離れても、主はあたしを離さないって
信じてた。感じてた。

今もそうも、思ってる。

でもこの詩人の気持ちもすごい共感。

長い間、苦しみが続くと、神様がほんとに助けてくれるのか
不安になる。
不安とゆうか、あたしの場合は不満、文句でいっぱいになる。
「神様のいじわる!ばか!」ととんでもない言葉をぶちまける。

でも、イエスさまはそんなあたしを、少し困った顔で微笑んで
「よしよし」って言ってくれる。
「苦しいなぁ・・。もうちょっとの辛抱やで・・」って
いつも側にいて、励ましてくれている。

なんでも赦してくれる。
そんな愛、人間ではありえない・・ってくらいの愛をくれる。
ありがとう・・。

あたしはそれしかいえないよ・・。

神様にすがりつく・・

2009-05-25 20:30:05 | 悲しみ・悩み・苦しみの中にあるとき
旧約 創世記 32章

 私はあなたを去らせません。 
 私を祝福してくださらなければ。


ヤコブは、兄がいる故郷へと近づいていく。
兄を恐れるヤコブは慎重に慎重に兄へと近づいていく。
ヤコブはしもべたちを先に送り、兄の様子を伺いながら、進む。
一番最後にひとり残ったヤコブは、ある人と格闘する。
そして、その格闘に負けなかったヤコブに、その人が
夜が明けるから、私を去らせよ。と言うと、ヤコブは、
その人に、自分を祝福してくれるまで、去らせませんと
言った。
ヤコブは必死だった。
「その人」とは後の記述では「神」のようだ。

 あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ

 わたしは顔を顔をあわせて神を見たのに、
 私のいのちは救われた


神様にもものつがいを打たれても、それでも必死で神様に
すがりついたヤコブ。
すがらずには、兄と会うことができなかったんだろう。
それほどに、恐怖を感じながら、でも故郷にむかうヤコブ。
私はそこまで神様にすがりついてるかな。
人は恐怖や不安があると、神様にすがりやすい。
安心のなかでは、すがらずとも生きていけると思いやすい。
弱いイキモノだ。。

罪人への愛・・

2009-05-22 10:45:54 | 悲しみ・悩み・苦しみの中にあるとき
新約ルカ7章

 わたしがこの家に入ってきたとき、
 あなたは足を洗う水をくれなかったが、
 この女は、涙でわたしの足をぬらし、
 髪の毛でぬぐってくれました。


一人の罪深い女の話・・。
大好きな箇所で、いつも涙が出てきてしまう。
この女は、罪深い女として(売春婦のような職業だとゆう説もある)
町のみんなからさげすまれていた。
イエスがいた家に、高価な香油を持ってきて、
泣きながら、イエスのうしろで、足元にたち(実際はかがんでいたと
思われる)涙でイエスの足をぬらし、髪の毛でぬぐい、
イエスの足に口付けをして、香油を塗る・・。
それを見ていた人たちは、イエスが預言者ならその女の罪深さに気づく
はずだと心ひそかに思っていた。
イエスはその思いを感じて、その人に金貸しの例え話しをする。

 ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。
 ひとりは500デナリ、ほかのひとりは50デナリ借りていた。
 彼らは返すことができなかったので、
 金貸しはふたりとも赦してやった。
 では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するように
 なるでしょうか。

 シモンが、「余計に赦してもらったほうだと思います」と答えると、
 イエスは「あなたの判断は当たっています」と言われた。

 (ここで冒頭の言葉がある・・)

 だから、わたしは「この女の多くの罪は赦されている」と言います。
 それは彼女がよけい愛したからです。(たくさん赦してもらったから)
 しかし少ししか赦されないものは、少ししか愛しません。

 そして女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。

 あなたの信仰が、あなたを救ったのです。
 
 安心して行きなさい。



ずっと、自分は罪人だと思い、苦しみながら生きていたこの女性に
とって、この出来事はどんなに嬉しい出来事だったか・・・。
想像できないほどの感謝だったと思う・・・・。

私もイエスさまに、たくさんの借金を赦してもらった。
だからイエスさまが好きだ。ありがとうありがとうイエスさま。

今日を生き延びてほしい魂へ・・

2009-05-22 09:29:48 | 悲しみ・悩み・苦しみの中にあるとき
詩編34編

 彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。
 そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。



苦しいとき、どうか神様に祈り叫ぶことができますように・・・
みんなが・・。できますように・・・・。


 私が主を求めると、主は答えてくださった。
 私をすべての恐怖から救い出してくださった。


 悩む者が呼ばわったとき、
 主は聞かれた。
 こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。


 彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。
 そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。


 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、
 霊の砕かれた者を救われる。


 正しい者の悩みは多い。
 しかし、主はそのすべてから彼を救いだされる。



34編。すごい何度も「救う」とゆう言葉が出てくる。
暗いトンネル。いつ出口が見えるんだ・・ってゆうトンネルを
あたしはずっと歩いていた。
いつまでも、出口の光は見えなかった。
絶望ばかりだった。

ある日、気づくと、光が見えてきていた。
まだ、完全にトンネルを抜け出たわけじゃない。
でも、光を見つけることができた。
それは、とんでもないくらいの絶望の中の小さな希望。

神様は、イエスさまは絶対に、みんなを救い出したいって
思ってる。

いつか出口の光が見えてくる日が、必ず来る。。



故郷へ・・

2009-05-21 05:58:37 | 悲しみ・悩み・苦しみの中にあるとき
旧約創世記31章

 あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。
 わたしはあなたとともにいる。


20年間、待ちに待った神様からの言葉・・。
ヤコブは、20年故郷から追い出されて、耐えていた。
故郷には、自分を恨んでいる兄がいるから。
遠い親戚のラバンの家でも、決していい待遇ではなかった。
この章で、ラバンに、20年我慢してた愚痴を吐き出す。

 私にどんな罪があって、あなたは私を追い詰めるのですか。

 私はこの20年間あなたといっしょにいました。

 私が罪を負いました。
 あなたは私に責任を負わせました。
 
 私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて、
 眠ることもできない有様でした。


ヤコブは故郷で罪をおかした。
でも、この20年ほんとに我慢の連続で。
神様が、やっと故郷に帰れと言ってくれた。
それは、不安感もたくさんあることだけど、ほんとは
故郷に帰りたかったヤコブにとって、やはり良い知らせ
だったと思う。
ここからは、恐怖心との戦いが始まる。
だからこそ、神様は「わたしはあなたとともいる」とゆう
言葉をヤコブにくれたのだと思った。
自分のことを憎んでいる、殺意さえ抱いている兄が
いる故郷に帰るんだ。
「怖いだろう。。でも、わたしがあなたとともにいる。
大丈夫だよ。」
って神様は言ってくれていると感じた・・。

お医者さんのイエスキリスト

2009-05-18 12:09:01 | 悲しみ・悩み・苦しみの中にあるとき
新約ルカ5章

 医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
 
 わたしは正しい人を招くためではなく、
 罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。



イエスさまは、「自分は正しい」と思ってる人を助けるためではなく、
「自分なんて・・」て思ってる人を、助けるためにいる。

正しい人にとっては、とても不愉快になってしまうかもしれない言葉・・。

でも、自分はどうしようもない人間だ・・って思ってる人にとっては
救いの言葉。
「悔い改め」とゆう言葉に抵抗を感じる人が多いのは理解できる。
もうちょっと、いい言葉ないんかいなっていつも思う。
まあ、これは私の勝手な想い。
とにかく「助けに来た」ってゆう意味。
専門的にはみんなの罪を購うためにきたとかゆうけど。
それじゃ、意味がわかりにくすぎる。。

超簡単な言い方にしちゃうと、
「苦しんでいる人を助けにきた」・・だと思う。
病人にとってのお医者さんってそうゆうことだと思うから。

イエスさまは、お医者さん、ってこと。
癒してくれる。心の傷を・・。

寂しいとき・・

2009-05-18 11:37:54 | 悲しみ・悩み・苦しみの中にあるとき
詩篇33篇

 地は主の恵みに満ちている



 主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる

 地に住むすべての者に目を注がれる


自分がひとりぼっちだと感じるとき。
誰からも愛されていないと思うとき。
あなたをずっと、見守ってる人がいる。
そっと、ずっと応援してくれている人がいる。
愛を送り続けてる人がいる。

そうでしょ?イエスさま・・。