旧約 創世記33章
エサウは彼を迎えに走ってきて、
彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。
ヤコブは兄エサウに殺されそうになるほど、憎まれていたので、
故郷に帰るとき、本当にすごい不安を抱いていた。
そして、慎重に慎重に兄のご機嫌を伺いながら、近づいていた。
そして、とうとうここでヤコブは、400人もの人を連れてやってきた
エサウと出会う。
本当に怖かっただろう・・。
でも、前の章で神と戦ったヤコブは神に祝福されて勇気を
得ていたとも思う。。
ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。
彼は、兄に近づくまで、7回も地に伏しておじぎをした。
そして、冒頭の部分に続く。
今までは、しもべたちを先に使いにやっていたヤコブ。
ここで、やっと一番先頭に立つ。
勇気。
近づくまでに何度も地に伏して、兄へのおわびと服従をしめして・・。
ほんとにほんとに怖かっただろう・・。
兄が走ってきたときも、きっとどうなるかとびびってたと思う。。
だから、抱きしめられたときの、喜びはすごかったと思う。
喜びより、安堵か・・。
「ふたりは泣いた」
この離れていた20年の月日。
それぞれに、いろんなことがあっただろう。
お互いのこと、すごく考えたことだろう・・。
エサウの20年については、ほとんど書かれていないが、
エサウはエサウで、いろいろ悩んだはずだ・・。
あれほど、憎んでいた(殺したいほどに)弟と会うこと。
それは、エサウにとっても、怖いことだったかもしれない。
「自分は冷静でいられるのか。憎しみは完全に消えたのか・・。」
でも、会うと、ほんとに自然に和解できた・・・。
二人の涙は安堵の涙だったかもしれない・・。
憎しみとゆう感情ほど、辛く苦しいものはない。
たとえば、一番苦しいのは、愛する人を殺されたとか。。
その憎悪の苦しみは、ほんとに想像を絶する生き地獄だと思う。
普通の人は、犯人を赦すことなんかできない。
同じ苦しみを味わわせないと怒りは、治まらない。
味わわせても、苦しみは残り続ける。
そして、クリスチャンは自分がそうゆう立場になっても、
赦さなければいけない。とイエスは言う。
でも、実際それができるクリスチャンは少ない。
もちろんあたしだってそうだ・・。
赦すことは、難しい。
昔見たテレビで、従軍慰安婦に強制的にされていたフィリピンの
女性がインタビューで
「私は彼ら(日本兵)を赦します。なぜなら、私が彼らを赦さなければ
神が私を赦さないだろうから・・。」
と言っていた。
すごい衝撃だった。
なんて人なんだろう・・と感動した。
もう20年近く前のことだけど、ずっとその言葉が忘れられなかった。
彼女は慰安婦だった後遺症が残り、そうゆう方が入る施設で余生を
過ごしていた。
それだけ、ひどいことを長い期間、させられていたのだ。
戦争が終わってからも、故郷では、慰安婦だったことで、
疎外され、結婚もできず、後遺症に苦しみ・・・。
それなのに、そんな目にあわせた相手を憎まないなんて。
そのときは、その人がクリスチャンだから・・とか気づかなかった。
知らなかった。キリスト教についてもなんにも知識がなかった。
だから、この人がすごい人だって思ってた。
イエスさまのことを知って、彼女が言った言葉の意味がやっと
わかった。
彼女は、見事な信仰を与えられたクリスチャンだったんだ・・。
あたしは、まだまだ自分を傷つけた人を、心から赦すことが
できない。。
怖くて怖くて。。。
顔を見るのも嫌だ。
声だってもちろん聞きたくない。。
もう、あの出来事を思い出したくない。
まだまだ、心の傷が深すぎる。
エサウとヤコブには20年の月日が必要だった。
あたしだって、焦らなくていいよってイエスさまが
言ってくれてる気がする。
そうだよね。
今すぐに赦すことはできなくても、
いつか赦せる日が、必ず来る。
そう信じてる・・。
イエスさま。助けてね。