こんにちは。
高校の音楽の授業で、「好きなCDを持っておいで」と言われたので、セルジュ・ゲンスブールを持って行ったら「まっ昼間から聞く音楽じゃないわねー」と先生から苦笑いされたMです。結局、皆で聴いたけどね♪
先日、ジェーン・バーキンが来日して、ミャンマーの民主化についてコメントしていました。
たしか「ミャンマーの民主化を進める為に、日本政府は、ミャンマーの軍事政権にお金が回らないように、もっと経済制裁を厳しくするべきだ」という内容でした。
アウンラさん(
ちゃり亭2007年・春の陣)も「ミャンマーに旅行するという事は、軍事政権にそれだけお金が入る事なので、旅行しないで欲しい」と言っていました。
実は、ちゃり亭を始めるきっかけは、アウンラさんでした。
当時、長崎の大村入国管理センターに収容されて、体調を崩されているアウンラさんを支援している方からお話を聞いた私は、言葉も通じず、いつ外に出られるか分からない、とても厳しい状況のアウンラさんに、自分自身の入院の経験を重ね、何か協力したいと思いました。はじめは、カンパをしようと思ったのですが、ふと、私ひとりがカンパをするより、もっと多くの人に、この事を知ってもらう方が、力になるのではないか、と思い、yurikoとRに声をかけ、ちゃり亭がスタートしました。
アウンラさんをテーマに「ちゃり亭」を開催するに当たって、予習の為にミャンマーのドキュメンタリー番組のビデオを見ました。
そこには、信じられないような軍事政権の横暴がありました。
民主化運動に関わった疑いで、刑務所に入れられ、拷問で亡くなった息子の葬儀で、
母親は泣き叫んでいました。しかし、政府が見張っている恐れがあるので、政府を批判するようなことは、言えません。
「良い子だったのに。良い子だったのに」と繰り返す、母親の悲痛な叫びに私は
ショックを受けました。
ミャンマーって、こんな国だったの???
海外旅行のツアー先でも、ミャンマーってよく聞くから、観光も安心してできる国だと思ってた!
あとで知りましたが、観光客が訪れる都市部は安全ですが、都市を離れた場所では、酷い暴力で強制労働や人権侵害が行われているのです。
(スーチーさんの軟禁だって、そうですよね)
アウンラさんは、ミャンマーでの民主化運動で命の危険を感じて、日本に逃れて来ました。
2004年から今も難民認定の申請を巡って裁判中で、その間5年になります。
日本での難民認定は、難民の数に対し1割ほどしか行われていません。
実は亡命する際、彼らにはどこへ亡命するのかはわからないのです。
行き先を選べない。
他の国では何万人単位で受け入れられる難民も、日本では年間で数十人しかいない。
国土の広さではありません、難民法にそもそも問題があるといろんな方面から指摘されています。
ミャンマーから逃れてきた難民が国へ戻されれば、どうなるか容易に想像がつきます。
口にするのもおそろしいですが、間違いなく命が危険なのです。
来月、アウンラさんの最終弁論が行われます。
平日の月曜日なので、お仕事の方は難しいかもしれませんが、ご都合のつく方は、是非、傍聴とご支援をお願いします。
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ビルマ難民申請者カチン民族アウンラさん 最終弁論(結審)
11月 9日(月曜)13:10~13:40(福岡地裁301号法廷)
アウンラさん原告本人最終意見陳述
(公判後、裁判所敷地内の福岡県弁護士会館2階で報告会を致します。)
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