赤いフルーツトマト

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生まれてはじめて、同窓会に参加してきました。

2015-02-02 11:01:13 | 日記
生まれてはじめて、同窓会に参加してきました。
夜だったので体調の不安はかなりあったのですが、母親と主人の協力のおかげで参加することができました。

わたしって、起こる出来事は他人から見たら案外ついてないというか、「かわいそうに」とか「大変」「気の毒に」と思われることばかり起きるのかもしれないけど、周りの人、というか重要な関係者にはかなり恵まれているのです。おかげでわたし本人はあまり苦労せずに何でも乗り越えて幸せに生きているんです。かなりありがたいことです。

とりあえず幹事の男の子は知っていて、でも他にどれだけ知っている人、仲のよかった子が参加するかは全くわからず。途中から学年が変わってしまい、当時メールはあまり一般的でなかったので誰とも連絡をとっていなかったので。
今日、知ってる人が誰もいないかもと薄々思っていました。

会場に着くと何人か集まっていて、幹事の男の子が出迎えてくれて、なんとなく見覚えもあったのでほっとしました。

(本名の下)ちゃん、と呼んでくれたのですが、彼には在学中に一度でもそう呼ばれた記憶がなかったのでちょっと驚きましたが、高校時代はだいたいその呼ばれ方だったので、すごく懐かしくて。

結局、1年で同じクラスだった子と2年で同じクラスだった子がいて、すごく嬉しかったです。


みんな一目見るなり「マリアンヌちゃん!」と話しかけてくれてびっくりしました。よくわかったなぁって
あまり変わってないじかくあはあるんですが、「マリアンヌちゃん?」と確認系で言われると思っていました。

しかも、顔が丸くなったことを指摘されて。

「安心したー!その方がいいよ!」と言ってもらえたし自分でもそう思うのですが、9月までは、ステロイドをはじめるまでは、もう少しやせていたんだよ(^^;と思うとちょっと複雑な気分です。病気って一瞬で人を変えるんだなぁ。


みんな、「(3年の時)何組だった?」という会話で自己紹介するのですが、わたしの場合は「病気で2年の時に休学して留年した」という紹介になるのはなかなか悲しいことだと、初めて知りました。

これまで留年が寂しいとか大変とか思ったことは一回もなかったので。

説明するとみんな「大変だったんだねぇ」と言うのです。

わたしにとっては適切な紹介だし、留年したことは誇りのように思っていたのですが、ちょっと飲みの席にはあわない重い話題のようです。

そういえば、あの学年の卒業アルバムにわたしはのってないんだなぁと思い知った時、やっぱり少し悲しかったです。

進級させてもらえそうだったのに、なぜ安易に留年することを自分は選んだんだろう?

目標があったからきちんと勉強したかったし、学年が違くなっても友達じゃなくなるわけじゃないし、記憶がなくなるわけでもないんだからと思ったし、きちんと決断したことなので後悔はしていませんが、でもやっぱり、最初の学年の友達が大好きでした。ずっと同じ学年でいたかったなぁと今更ながらちょっと思います。

でも、覚えててくれる人もいるし、こうして同窓会にも参加できるし。

次は、もっと体調の心配をしないで参加できたらいいな。
今回は、本当に行ってみてよかったです。
威哥王
三便宝