「 何も信じ無くていい…
ただ観じること…( 私の事も含めて )」
最近のお客様との会話で私が多く
使う言葉です…。
「 信じる 」だと、一つの定義を造り出してしまうと思うのです。
例えば…当店には「 自分自身が良く分からない… 」という方がカウンセリングで多く来店されます。
そういう方達はとても素直で繊細な心の持ち主です。
過去を通じて今までの思考は、
きっと、自分自身を
「 自分は、( 相手は ) こういう人間だ。」
と、レッテル ( 定義 ) を自分に
貼り付けしていたのでしょう。
でも、あることをきっかけに
その定義が崩れる…
そうしたことで自分を見失いパニックになる…
一つの定義は細部まで浸透し
それを保ち続けようとします。
きっと、あなたにも経験があるかも…
「 信じていた人に裏切られた 」と…
信じる…ということは、その事( もの )
に対して一つの定義を作るということだと思います。
それは、決め付けや、独断からやがて
執着を生み出します。
この地球では、全ての一切が変化するものです。
私達自身の思い込みや感情の全ても
変化しています。
身体の思考は変化が苦手です。
何故なら思考は過去に起こったデータ
が全てだからです。
私達の本来の姿は、地球で起こる全てを身体、思考を通じて体験している魂であり、もっと深いところでは
それを観ている大いなる意識なのです
魂は光のようなものです。
常に新鮮で、常に無限の可能性の中に
います。
何にも一切捉われることがないのです。
その魂には、人間の思考のような
定義はありません。
魂は傷つくことがないから
変化することを恐れる執着や依存、
定義を作る必要がないのです。
ですから…
魂は何かを信じたりしないのです。
信じるかわりに常に大いなる意識を
観じています。
私達の全て…一切は…
大いなる意識から生まれました。
大いなる意識の一部であり全てです。
身体の、ほんの少しの血液を検査すると、ある程度の様子が観えてきますね
私達自身が全てその様なものです。
ですから、ご自分の内なる
「 真我 = 神我 」を魂の自身で観じて戴きたいと思うのです。
一瞬、一瞬、に変化する地球の経験を
捉われることのない
愛と光の魂として…
「 信じる 」のでなく
瞬間、瞬間を「 ただ観じる 」を体験して欲しいです。
私達は、瞬間、瞬間に死に…
瞬間、瞬間に生まれているものです。
思考に捉われることなく
新しい自分を観じて下さい…。
何度も言います。
全ての一切が無限の可能性です。
あなたはそれを体験したくて
自分で選び決断してこの地球に来たのです。
あなた自身が全ての可能性を秘めた
存在であることを観じて下さいね。