小林麻央という人は一体どんな人だったのか、よく分からないのだった。
肩書き的にはタレント、キャスター、まぁ、早い話が芸能人ということになるのだろう。
癌の闘病の末に亡くなったことは気の毒なことであり、34歳という若さや、幼い子供2人を残して逝くというのは痛ましい話である。そのことには同情を禁じえない。
ただ、俺的に無茶苦茶違和感を覚えるのは、そのニュースを国営放送というべきNHKが報道するということである。
NHKは当初彼女が癌であるという時点からそのことをニュースの時間で扱った。
その意図がまったくもって不明なのだった。
これが、天皇とかの公人ならば病状を報道することには意味があろう。国民統合の象徴たるその地位からすれば、特に違和感はない。
しかし、一個人である芸能人の病気の状態や死亡という事実をニュースの時間に流すことは基本的に間違っている、と思う。
昼のワイドショーが扱うならとやかく言うのは野暮かもしれない。
だが、NHKの7時や9時のニュース番組で報道する価値ははっきり言ってない。
長らくドラえもんの声を当てて子供達を楽しませた大山のぶ代が認知症で介護を受けている、とNHKがニュースで流したと仮定したら、多くの人間が違和感を覚えるだろう。
ところが、小林麻央の方は一種の美談のように扱われていて、だからNHKも当然のようにこれを報道するのだろう。
しかし、もう一度言うが、それは誤りである。
国民から受信料を徴収している以上、NHKは公金で運営されている。
そういう組織が浮かれた芸能ニュースを垂れ流す民放と同じことをやっていいわけがないのである。
癌の人たちを励ますという公益的目的がある、とNHKは考えているのかもしれないが、なにか違うと思えてしまう。
彼女の死亡という事実に触れれば、結局は頑張ってもどうにもならないことはあるのだ、と思い知らされるのであり、それは励ましにはならない。
さて、そろそろ綺麗事はやめて本音で締めくくることにしよう。
ネット上で見た、こんな意見に俺も共感したのだった。
「小林麻央の話を美談にするのはやめよう。彼女が本当に優しい人なら、海老蔵のようないろいろ悪い噂のある男を選ぶはずがない」。
肩書き的にはタレント、キャスター、まぁ、早い話が芸能人ということになるのだろう。
癌の闘病の末に亡くなったことは気の毒なことであり、34歳という若さや、幼い子供2人を残して逝くというのは痛ましい話である。そのことには同情を禁じえない。
ただ、俺的に無茶苦茶違和感を覚えるのは、そのニュースを国営放送というべきNHKが報道するということである。
NHKは当初彼女が癌であるという時点からそのことをニュースの時間で扱った。
その意図がまったくもって不明なのだった。
これが、天皇とかの公人ならば病状を報道することには意味があろう。国民統合の象徴たるその地位からすれば、特に違和感はない。
しかし、一個人である芸能人の病気の状態や死亡という事実をニュースの時間に流すことは基本的に間違っている、と思う。
昼のワイドショーが扱うならとやかく言うのは野暮かもしれない。
だが、NHKの7時や9時のニュース番組で報道する価値ははっきり言ってない。
長らくドラえもんの声を当てて子供達を楽しませた大山のぶ代が認知症で介護を受けている、とNHKがニュースで流したと仮定したら、多くの人間が違和感を覚えるだろう。
ところが、小林麻央の方は一種の美談のように扱われていて、だからNHKも当然のようにこれを報道するのだろう。
しかし、もう一度言うが、それは誤りである。
国民から受信料を徴収している以上、NHKは公金で運営されている。
そういう組織が浮かれた芸能ニュースを垂れ流す民放と同じことをやっていいわけがないのである。
癌の人たちを励ますという公益的目的がある、とNHKは考えているのかもしれないが、なにか違うと思えてしまう。
彼女の死亡という事実に触れれば、結局は頑張ってもどうにもならないことはあるのだ、と思い知らされるのであり、それは励ましにはならない。
さて、そろそろ綺麗事はやめて本音で締めくくることにしよう。
ネット上で見た、こんな意見に俺も共感したのだった。
「小林麻央の話を美談にするのはやめよう。彼女が本当に優しい人なら、海老蔵のようないろいろ悪い噂のある男を選ぶはずがない」。