■武器と名誉は剥奪されていたがたらふく食べさせられていたエジプトの奴隷
旧約聖書『出エジプト記』には、奴隷にされたユダヤの民をエジプトから救出するモーセの姿が記されている。
奴隷生活の桎梏から自由を求めて脱出し、飢えと闘いながら荒野をさまよった時、モーセはユダヤの民からごうごうたる非難をあびせられたのだ。それは、エジプトでは奴隷もたらふく食べさせられていたからであった。
モーセを非難するその叫びは、荒野で飢えるよりエジプトの奴隷にもどりたいというものであった。モーセは、解放しようとした奴隷の民から罵声をあびせられたのだ。
「われわれが肉の大鍋の前に座って、好きなだけパンを食べていた時に、あのエジプトの地で、主の手にかかって死んだほうがましだった。あなたたちは、全員を飢え死にさせようとして、この荒れ地に連れ出したのだ。」(『出エジプト記』第16章3)
「われわれは、エジプトで、あなたにはっきり言ったではないか。放っておいてくれ、われわれはエジプト人に仕えたい。荒れ地で死ぬより、エジプト人に仕えるほうがましだ。」(『出エジプト記』第14章12)
エジプトの奴隷はいかなる生活をしていたのであろうか。勤勉で優秀なユダヤ人は優遇された奴隷であった。家族を養ってもよいし、畑を耕すこともできた。食べるものには不自由しなかった。肉の入った大鍋の前で好きなだけパンが食べられた。
しかし、奴隷であるがゆえに許されざることもあった。武器を持つこと、自国の神を拝むことは禁止されていた。そのため、武器の使い方は分からなかった。また、自国の神を拝むことは禁じられていたので、そのかわりにパロ(エジプトのファラオ)を拝まされていた。
エジプト脱出のとき、殺戮に遭っても自分を守るための戦い方も武器の使い方も分からなかった。ただ逃げるしか方法はなかった。そのため、モーセに導かれて脱出した民は、海が割れるという奇跡が起こらなかったら全滅するところであった。
〈エジプトの奴隷は武器を持つことを禁じられ、自国の神を拝むことを禁じられ、そして、たらふく食べることだけは許されていた。〉
この事実を知った時、現在の日本・日本人が置かれている状況がエジプトの奴隷にあまりにもよく似ていることに驚かされる。
憲法は日本人が武器を持つことを禁じるとともに、祖国の安泰を願い祖国・日本人のために命を捧げた将兵を弔うことも禁じている。これはエジプトの奴隷が置かれた立場と同じなのだ。
「諸国民」に安全と生存をゆだね、たらふく食べさせてもらえばそれでよいというのであろうか。
それをよしとせず、誇り高きユダヤの民は苦難の末脱出に成功した。
■名誉は与えないが食料は与えるという奴隷統治の手段
連合国軍が日本を占領したとき、日本人から名誉と武器は奪ったが、食糧援助によって日本人を飢えから救った。(※陛下の申し出による) 敗戦後の飢えに苦しんでいた国民は、占領国から食料を与えられたのだ。この食糧援助が占領軍に対する反感を抑止する上で大きな効果があった。
空腹が満たされれば人はおとなしくなる。エジプトで奴隷にたらふく食べさせて統治したことを占領軍関係者が知っていたと思われる。
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