ここまで準備しておいて、大和(yamato)をアイヌ語で考えてみる。
アイヌ語で「to」は「海、湖」のことだ。
ya(陸)+mak(奥)+to(湖) > yamakto > yamatto(yamato) > やまと(大和)
アイヌ語辞書によると「yamakto」みたいな「kt」つながり部分は、
発音では「tt」になるそうだ。
アイヌは縄文時代から「陸の奥の湖」と大和地方を呼んでいた。
正確には「アイヌ語を話す先住民が yamato という地名で呼んでいた」ということだ。
大和がアイヌ語地名であるということは、縄文時代に奈良地方にもアイヌが先住していた証拠だ。
九州には、例えば
薩摩(satuma=sat+tomam、乾いた-湿地)
というアイヌ語地名等があるから
アイヌは北海道だけでなく、日本列島全域に先住民として暮らしていた事になる。
さらにアイヌが先住していた地域は、日本列島や樺太だけでなく、朝鮮半島や沿海州にも及ぶ。
だ か ら 「邪馬台国は大和だ」と声高になっている勢力がいるが、
それは大きな間違いだということ。
大和地方が邪馬台国だったことは歴史上、一度もない。
ただあやかりとか、今風に言うなら村おこしとか、権威付けとか、
そういうので、滅びてしまった邪馬台国、たぶん倭・倭国で、
倭の五王、白村江や広開土王碑等に登場する倭国だろうが、
その倭国の歴史、倭国の支那・朝鮮での地位、倭国の権威を
パクって、後付して、史料とやらをそれらしく、潤色することはあるだろう。
実際は潤色された資料を史料と現代で呼んで、尊んでいるんだろう。
また、邪馬台国は九州北部のことで、大和に東進したことも、ありません。
yamato は縄文時代から現代まで、一貫して yamato でした。
邪馬台国と呼ばれたことは、一度もありません。
「大和は邪馬台国だ」というのは間違いでしたね。
アイヌ語で「to」は「海、湖」のことだ。
ya(陸)+mak(奥)+to(湖) > yamakto > yamatto(yamato) > やまと(大和)
アイヌ語辞書によると「yamakto」みたいな「kt」つながり部分は、
発音では「tt」になるそうだ。
アイヌは縄文時代から「陸の奥の湖」と大和地方を呼んでいた。
正確には「アイヌ語を話す先住民が yamato という地名で呼んでいた」ということだ。
大和がアイヌ語地名であるということは、縄文時代に奈良地方にもアイヌが先住していた証拠だ。
九州には、例えば
薩摩(satuma=sat+tomam、乾いた-湿地)
というアイヌ語地名等があるから
アイヌは北海道だけでなく、日本列島全域に先住民として暮らしていた事になる。
さらにアイヌが先住していた地域は、日本列島や樺太だけでなく、朝鮮半島や沿海州にも及ぶ。
だ か ら 「邪馬台国は大和だ」と声高になっている勢力がいるが、
それは大きな間違いだということ。
大和地方が邪馬台国だったことは歴史上、一度もない。
ただあやかりとか、今風に言うなら村おこしとか、権威付けとか、
そういうので、滅びてしまった邪馬台国、たぶん倭・倭国で、
倭の五王、白村江や広開土王碑等に登場する倭国だろうが、
その倭国の歴史、倭国の支那・朝鮮での地位、倭国の権威を
パクって、後付して、史料とやらをそれらしく、潤色することはあるだろう。
実際は潤色された資料を史料と現代で呼んで、尊んでいるんだろう。
また、邪馬台国は九州北部のことで、大和に東進したことも、ありません。
yamato は縄文時代から現代まで、一貫して yamato でした。
邪馬台国と呼ばれたことは、一度もありません。
「大和は邪馬台国だ」というのは間違いでしたね。