長岡~弥彦~横浜~東京
かけ巡ってきました
長岡で、本年12月開催の小黒陶三作家のアトリエ訪問
そこで、先生と新しいアイデアも~・・・楽しみです
弥彦神社、実は私の故実父の先祖代々の墓があるところです
故父は新潟生まれの東京育ちです
昔の”日日新聞社(現毎日新聞)の記者”だった父が
当時、銀座で絵を描いていた鷹山宇一(洋画作家)叔父さんの
所から東京の裁縫女学校に通っていた青森商家出のお穣だった
故実母と結婚・・・!
父の、祖父は青森の地で大湊興業会社の取締役として
戦時下・・・後~下北半島の線路と港湾の事業で 野辺地の
名誉市民として生きました~その事業の関係で・・・・・
私の父は青森へ~なので私の兄弟の兄と姉は東京で生まれ、
私は青森で生まれました~
祖父は新潟弥彦に戻りたいといいながら 青森の地で91才で他界
・・・当時の会社は今、他人の手に~
貨幣価値が変わり、戦後の銀行の倒産で銀行預金はすべて”0”
人の良かった祖父は連帯保証人にもなり株券も持ちさられ・・・です
”人をみたらドロボウと思え”~とよく言ってました・・なんて父だろうと~
国の機関である”郵便預金”だけは助かったそうです
その後は”郵便局に預金を・・・”がくちぐせでした~
~父は生前いつも、今 逢いに来なくてよいから死んでから先祖の
墓参りをしてくれと言っておりました・・・胃ガンで83才で他界、
まさしくガンコな明治男・・・
父の祖父のつれあい祖母は生前より青森でドチャクになる事 拒否し
東京田園調布へ~・・田園調布の家は御殿場に墓があり
最後、御殿場に祖父の骨も分骨して~永代供養~
大瀧家は、2千年の歴史の中~さかのぼれば大和朝廷までと
言われるらしく江戸・明治の頃、相撲取りが出て”大瀧”になりましたが
その前は、”藤井&五十嵐・・?”の姓とかで(チヨット不確か)
弥彦神社を守ってきた何人衆のひとりである事は確かです。・・・・・
歴史の途中で上杉謙信の家臣で何十石どりであったとか~
故父が語ってくれましたが家系図が弥彦神社にあったと申してましたが
残念ながら弥彦神社の火事があって消失したらしいのです。
弥彦神社を守るように その近くに 他の神族の墓とともに~
大瀧家の墓はあります
昭和に入って道を広げることがあり~50以上あった墓をひとつにまとめる
~大変な作業もあったようです
すべて、父から生前 聞いた事です~
結果、私は三箇所・・・先祖大瀧家の墓参りです!
新潟弥彦~青森~御殿場~と・・・・・・・・
~そろそろ年齢を感じハジメテいつまで続くか・・・・?~
三日間・・・画廊不在で仕事もたまっています
これから執務専念します~
出張で来年23年の半年分程の企画決定しました
順次紹介します・・・・!
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