ブリキ星会場 展示会のご紹介

ブリキ星のスペースをお貸した展示会です。

無意識。閉ざされた記憶の断片

2013年11月19日 | 2013年


L'exposition de l'objet d'art.
無意識
閉ざされた
記憶の断片。

アンティーク・コレクション展示販売会
2013年12月6日(金)-8日(日) 12:00-19:00


YASUO KAWAMURA
河村靖夫。広告、エディトリアルといった幅広いジャンルのグラフィックデザイナーとして活動。横浜にあった「Gallery Ah!」のオーナー。現在は木彫を手掛ける作家としても活動の場を広げている。恵比寿・ギャラリー七雲で初個展を開催した。

TAKUYA AIZAWA
相澤拓也。ヨーロッパ各地を回り、コレクションを収集。現在はパリを中心に買付している。世田谷にアンティーク「donum(ドナム)」をオープンした。ウェブ・展示会を中心に活動している。

<会場>
ギャラリーブリキ星
東京都杉並区西荻北5-9-11 電話03-5938-8106
http://members.jcom.home.ne.jp/burikiboshi/

会場は駐車場がございません。公共機関をご利用くださいませ。
JR西荻窪駅(中央線/総武線/東西線)より徒歩10分


■開催のごあいさつ。

西荻窪にあるギャラリーブリキ星にて「無意識」を開催いたします。
お時間ございましたら、是非ご来場いただきますと幸いです。


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そこここ 遊通して ひとつ ー古道具と天衣無縫のものたちの試みー

2013年11月18日 | 2013年
  
アトリエひこの作品

「そこここ 遊通して ひとつ -古道具と天衣無縫のものたちの試み-」
2013年11月23日(土) -12月1日(日) 会期中無休
平日12-19時、土・日11時-19時、最終日は17時まで


会場:ギャラリーブリキ星
東京都杉並区西荻北5-9-11
電話とfax:03-5938-8106
JR中央線西荻窪駅北口より徒歩9分
http://members.jcom.home.ne.jp/burikiboshi/

問い合わせ先:淡日(あわひ)
email: awahikita@gmail.com
ブログ: http://awahi.blog.ocn.ne.jp

暮らしの中で生かされてきた古道具たち。欠けたりこわれたり、もう用済みとなっているのに、棄てがたい魅力を放つことがあります。

  ・・・造形と道具好きのある男が、骨董や古道具、福祉施設の作品、現代美術など、気になるものを、何年も何年もあちらこちらと見て廻っておりました。するとだんだん、古道具の持つ無作為な空気と、知的障がいを持つ人の作品には、相通ずる美しさがあることを経験しました・・・そんなこんなでアトリエひこと出会い、自然に生まれたのがこの展覧会です。

疋田実の選んだ、原始の時代から現代にいたる日本及び世界各地の古道具と、大阪にある知的障がいをもつ人たちの造形スペース・アトリエひこの作品を併せて展示いたします。

普段気付かれず見過ごされてしまいがちなものの中に、掬いとるべき大切なこころがあるのではないだろうか。見るものにおもねることのないチカラを、問うてみたいと思います。

アトリエひこの作品のみ販売いたします。

<可能性の光>

 この度縁あって、ブリキ星にて、私の古道具類と、アトリエひこという知的障がいを持った人たちの作品を置かせて頂こうと思います。これは来春ぐらいから始めたいと考えている場のご紹介と、それへの試みとしてふたつのモノを併せることで、見えてくるものをうかがいたいと思います。

 今この時、自分の行く方をどうしたらよいのか、多くの人が感じていると思います。どう取り繕っても自分しか出てこないのは思い知るところで、大したことは出来ないとは思われるのですが、ならばせめて、思いの整理はしておかないと、という気持ちであります。先のふたつは、私が三十歳の頃、今の時代、彫刻とは何なのか、解らなくなり作れなくなったときに立ち現れてきたもので、ここに大切なものがあると直感したものです。場の内容はふたつに限るのではないのですが、とりあえず今の私には、これらをきちんと捉えることから始めるのが大切であると思っています。

 自分の心を深く揺さぶってくるものがある、人がいる。それは常に具体的です。幼少期、思春期、学生、社会人と、その時の自分に大きく響きあってきたものは、丁寧に見ていくと大きくつながり、自分の中から外へ、そして歴史へと大きな流れとなり、今の思いとして成り立っている。与えられたひと時の生は、そんな心の底を流れる大切なものの上に据え直されて全うしてこそ、存るべき生のかたちなんだろうと思えます。言葉にするのは危ないことでもあり、自分の力不足もはっきりしていますが、すでに答えはそこ、ここに存るもので、それを丁寧に見つめ、改めて問い、感じ直しを続けること。そんなふうに単純、素朴で、愉しくもある日常の存りようが、全うするということなんだろうと思えます。

 目の前の具体的なモノをどう見るか。更にどう見えて、感じるかということはとても大事です。ガラクタであろうが、一般人作であろうが、名品、名勝であろうが、荒れた姿であろうが、それらは自分の奥底を流れるものと深く通じあい、互いがつながっていることを教えてくれます。

 多様な姿の道具屋の主たち。師であり、恩人のようにも思える。モノの佇まい、その響きの力で理屈抜きに問うてくる主。自分の日々の出会いの中で出会ったモノや人に物語を見出し、愛おしむ主。また、私たちの至った流れを見、庶民の暮らしや祈りの心を拾い出そうとする主。厳しい選択眼で周囲から惜しまれながらも、農の道へと歩んだ主。一切のこだわりなしで、自分の心を救うものだけに正直に反応していく主。皆さん自分の道をぎりぎりのせめぎあいの中で貫かれ、誠実にまさしくお宝を見せてくれている。各々は対極にあるようで、でも私には強く通じているように、勝手に感じています。

 モノとは、人の存りかたそのものでした。モノノケ、など魂という意味もあるのでしょう。作品というモノもそのように大きく捉えていったほうがよいように思う。日本人は長きに渡りそれらの見方を育んできた。

 日本の風土が培ってきたものは、果たす役割をますます大きくしているように感じます。山川草木変化に富み、多様な自然に恵まれ、大陸からも大海からも、あらゆるものや考えが流れつく先としての場、内と外との折り合いをつけることで生きてきたと思う。狩猟採取と農耕、自然崇拝と仏教。人間の抱え込んだ大きな矛盾のそれぞれを根絶やしにするのではなく、生かし合う方向で折り合いをつける知恵を紡いできた。ふたつのものに通ずるひとつを見て取り、大きな循環に即し、そのつながり、八百万を尊ぶという感覚の蓄積は大切な財産であり、これからの可能性だと思えます。

 しかしその財産には、もうひとつの側面もある。“発展”に伴う人工的な非自然、“犠牲”が常にあったということ。縄文人、蝦夷、アイヌ、琉球、沖縄、東北、賎民、朝鮮、戦災、原爆、公害、田舎、自然、震災、原発、子ども、未来・・・。これらの多大なる犠牲の上に歴史を作り、祀っては手をあわせてきた。財産とその犠牲。今、これをひとつに。そこから学ぶことは、対立軸からは対立の悪循環しか生まれないという認識を強く持つことだと思います。大きなひとつの循環に即し、そのつながりこそを尊重する美意識を据え直す。見方、目線ひとつで、少しづつでも現実は変わっていくのではないでしょうか。成長、発展を豊かなこととして犠牲の山を築き、そしてまた復興成長経済。成長、発展という志向のまま、どこへ行こうというのか。そこに順応している者、ついて行けずに病んでいる者。対処療法、悪循環の拡大。病んでいるのは誰か。この分かたれた両側面の経験を積み尽くした者が、今こそ掲げ示せるものがあるのではないでしょうか。

 心ある道具や造形物には、そうした心が宿っていることを感じさせてくれます。アトリエひこと出会えたのも、そういった流れの中でだと思えます。

 アトリエひこは、戦後まもなく起こった福祉施設での造形活動の功労者の一人である西垣籌一(ちゅういち)氏の励ましを受け、始まりました。十八年続く活動の中で、その関わり方は柔軟に内省され、心休まる場となって存在していると思われます。そして私の彫刻の師、山本恪二(かくじ)も係わったところでした。大阪という厳しく雑多な街中で、慎ましく大切なことを育んでいきたいという心が感じられ、作品に正直にそれが現れているのを見ると、勇気づけられる。しかし障がいを背負いながら懸命に生きんとする命は、歴史の中ではどう扱われてきたのだろうか。隠され、打ち捨てられてきたのではないか。

 彼らの生み出す作品には、人間が目を瞑ってきた大切なものが存る。社会が分業化、専門化し、人間の感覚が断片的、間接的に鈍くなり、生きるということと全てが分離して充足感が無く、お金の仕組みに縛られて、行き詰まりを感じてきているなか、その本質はここに残されている。それは「アート」という狭い領域を既に飛び越えている。生きることそのものと、造形、その他全てがひとつの姿になっているように思える。不安と喜び、苦も楽もひとつとなって、ただ生き抜く原点がそこにある。親子、スタッフの育ち合いの広がりの見事さ、ケアする者、される者という関係を超えた生かし合いの豊かさがある。私自身、アトリエひことの関わりの中で、理屈ではなくこれからの暮らしぶりの指針、可能性の光を見せてもらえたように思う。これこそがお宝である。

 道具やアトリエひこに限らず、実に様々な出会いを受けて今、自分はある。昭和三十五年に生まれ、育った大阪の街は、戦後の名残りから経済成長という流れが集積するエネルギーに溢れていた。子どもには、あらゆるものが新鮮で驚きの日々だった。路地裏、ヒーロー、新商品。それに年に2,3回訪れていた両親の里、彦根のはずれのよろず屋。藁葺き屋根、井戸、竈、五右衛門風呂、立派な仏壇と祖父の読経、ニワトリ、農業。その暮らしぶりに、幼いながら深いものを感じた。これらもずっと宝探しだったのかもしれません。

 そんな下地の上に十歳頃に出会った仏像にも、強い影響を受けた。興福寺宝物館の大きな陳列ケースの中に、無著、世親が並んで少し高めに立っていた。これは何だ!とてつもない。高校を出たら仏師になろうとして反対され、ならばその思いを整理しようと社会福祉を学んだ。大学では、魅力のある人、力のある人、誠実な人に会う。己の幹の細さを痛感し、皆が進む福祉の現場に心から入りきれないまま、人物の彫刻へと進んだ。学童保育をしたり、道具にはまったり、現代美術での幸いなる出会いもあったり、勤めは注文家具作りをして二十数年になるが、ずっとものと暮らしの間を右往左往しながらきたように思う。

 近江(淡海)は、自分の通ってきた流れの元にある場であり、暮らしと自然が近い。山、川、湖が、街へ、海へと続き、自然の循環が端的に存る。縄文の時代から実に多様なものが流入し、厚い土壌を形成している。福祉の分野においても、近江学園から茗荷村へと献身的につなげていった人々、そしてそこで生まれた豊かな造形がある。自分には、施設や村を作る力などないし、道具屋をやりきる厳しさもない、何かに特化せずにいろいろとゆるやかに地域、人と、今までの流れ、その時々に即して自然体で行けたらいい。厚い土壌を丁寧に見、それに即せば根も芽も生まれると信じる。

 とても楽観は出来ないが、震災以降、本来性に向かおうとする胎動は、各々の心に、無数の場に芽生えてきているようにみえる。道具も、美術も、福祉も、教育も、科学技術も、労働も。アニメ、ゆるキャラ、アイドルなどなど・・・。万のもの、人がそんな流れの中に存り、力を湛えてはいるように思えます。

 大層な文章になってしまったが、私自身は未熟そのもの、たいしたことは出来そうにありません。今さら駆け引きも勝ち負けもしている余裕もない。だから人が勝手に集まって、よいつながりが生まれていくようなところであれば申し分ない。気楽に立ち寄れ、面白味があり、自分も生きてくる。自分が持ち合わせているものそのままで、輝きをもってくる、それが拡がりを持つ。そんなよろず屋があったらよいと思うだけだ。これまでの、そして今の有り難き流れと出会いを受けて、それらに一瞬々々生かされてやっていけたらと願う。  疋田 実
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神と人 第1回セツアンコレクション展 11/16(土)・17(日)

2013年11月04日 | 2013年





「神と人」第1回セツアンコレクション展」

11月16日(土)・17日(日)
12:00-19:00

人類は神の似姿を作り続けてきました。
そこには願いや畏れ、歓びや哀しみがかたちとなって表れています。
本来眼に見えないこれらの想いがモノとして顕現することの不思議さ。
古今東西で作られた神々の像や人々の想いが込められたものを中心に、
20年間にわたり蒐集してきたコレクションを展示販売いたします。

セツアン主人 岩橋直哉

[展示品の紹介]


○16seiki-adam&eva
16世紀フランダース地方献金奉納皿・アダムとイブ図
「青銅打ち出し 直径35.5cm
ヨーロッパの教会で聖像などの前に置かれ、献金を集めるための皿とのことです。製作地はフランドル地方あるいはニュルンベルグと説がわかれているそうです。図像には他にもキリストの磔刑や聖母子像など幾種類かあります。銅板に打ち出された楽園追放のドラマが、西欧文明の支柱的思想であるキリスト教の異教的で土俗的な側面をあらわしています。」


○16seiki-linen
16世紀フランスリネン文様装飾版
「木彫 32X23cm
ゴシック以降のイギリスやフランスなど北部ヨーロッパにおける家具の比較的簡易な装飾としてポピュラーな意匠ですが、柔らかな布を堅い木への彫刻で表現するというアイディアに驚かされるとともに、その垂直への指向はゴシック様式の教会にも通じ、どこか宗教的な空気を感じさせます。」


○19seiki-syoujyo-syasin
19世紀アメリカ死せる少女の肖像写真
「ダゲレオタイプ(アンブロタイプ?) ケース9.5X8.5cm
19世紀に写真が発明されるまで、ごく限られた特権階級のものだった肖像画を別にして、人々は過ぎ行く時の姿を手元にとどめておけるすべを持っていませんでした。特に幼くして死んだ愛児が短くもこの世に生を受けたという証拠は、ただこのような写真のみが証明しうるものでした。写真は記憶か、記録か?という議論がありますが、本品は失われた記憶と、そして悲しみの記録です。」


○christ
12世紀フランスロマネスク木彫キリスト像
「木彫彩色 60cm」


○haniwa
人物埴輪残欠
「最長部9.5cm」


○moudan
李朝巫俗画
「紙本肉筆 25X17cm」


○philippin
19世紀フィリピン木彫彩色聖人像
「木彫彩色 各32cm
このデザイン化された衣文と彩色のバランス・・・メインストリームから遠く離れた周縁部で生み出されるものに、中央では失われた高度な精神性が時として発現するのは何故なのでしょうか。」


○sagebon,sagebon-2,sagebon-3
提げ煙草盆(江戸期?李朝?)
「木彫漆塗り 長さ33cm
使い込まれたトロトロの木味に三方を飾る猿と桃などの素朴な透かし彫りを彩る朱漆の落ち着いた味わいが、木の古民藝数奇にはたまりません。全体のデザインやこの漆の感じは日本のものと思いますが、猿の安閑たる様子や取っ手の蝶の金具などは李朝の木工品を思わせます。」


○santos
20世紀初頭フィリピン聖人行列人形「悲しみの聖母」頭部像
「木彫彩色 28cm」


○shinzou,shinzou-2
僧形八幡神像
「木彫彩色 52cm
剃髪に袈裟姿、憤怒相に合掌印。僧形八幡ということで入手したものですが正しいでしょうか。大きさもあり、材は欅なのかむやみに重い一木造りです。彩色は剥げ、厳しく力強い表情、衣文の深く鋭い彫り、ヴォリュームのある体躯。眺めているうちにまさかとは思いながらも平安という言葉が頭をよぎります・・・。会場にて皆さんのご意見をお待ちしています。」


○sumoushinzou
相撲傀儡子神像
「木彫 26.5cm 
ふくよかな体つきの力士を模した木像です。調べてみると福岡県吉富町の八幡古表社や大分県中津市の古要神社などにいずれも鎌倉時代とされる力士姿の傀儡子が神像として保存されており、現在もこれらの傀儡子を使った神相撲と称する神事が行われているそうです。桐と思われる軽い材で、中央部分には穴が通っていますが、これは桐の節穴だそうで、あるいはここに棒を通して操ったのかもしれません。傀儡子同士をぶつけて相撲をとらせるためか顔はすれて痛んでいます。文楽へと発展昇華して今に至る傀儡子舞の貴重なルーツを見ることができます。本品には「物交 木彫大黒」とあるシールが貼られらており、戦中戦後の物資不足のおり物々交換品として出されたものと思われますが、そのときにはすでに相撲傀儡子であるという認識が失われていたのでしょう。どのような来歴を辿ってきたものか気になる傀儡子像です。」













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