ザボンの香り

喜びや悲しみ、
ささやかな日常の想いを、エッセイで・・・

ひとつの区切り

2012-05-11 20:29:38 | 初めての方へ
当ブログは、私が50歳の誕生日を迎えた、    
前回の記事をもって、完結させていただきます。                           

大切な宝箱のふたを閉じるように、慈しみを持って、
40代後半の幸せな日々を、
(又は2008年10月から2012年2月までの、一つの記録として)
ここに残します。 

長きにわたってご愛読下さる皆様、
本当にありがとうございます。




新たに始める50代のブログは、
        ⇒  『果てのある路』




※ 2013.11.25追記 ※

旧HP 『いろんなことを語りたい』 も、
プロバイダ変更により、こちらへ移転しました。

なお、旧サイトにおいて移転の連絡が、
私の技術不足により、掲載できなかったことを、
心よりお詫びいたします。    
   
    
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ほほえみを口元に

2012-02-03 15:11:51 | 自分のこと
今日で半世紀。

人生は、苦楽半々。

良いこともあれば、悪いこともあり、
山もあれば谷もあり。

辛い時ほど、より素直な眼差しで真理を見詰め、
ほほえみを口元に、温もりを胸に、
生きていけたら、と願います。

  与えられた歳月と生命に、
  心から感謝。
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第三舞台への感謝状

2012-01-17 14:53:51 | つぶやき
私は、1962年生まれです。
23歳の時、演劇雑誌で読んだ戯曲『リレイヤー』が、
あなた方との最初の出会いでした。

当時、地方のアマチュア劇団に入っていて、
創作にも生きることにも、もがいていた私にとって、
あなた方の存在が、どんなに希望になったか、測り知れません。


  ずっと長い間、太陽でい続けてくれて、ありがとう。


歳月は無常で、全てを変えていってしまうけれど、
人間が「心と心で握手できる」存在であることは、
きっと永久に変わらない。

最後の作品『深呼吸する惑星』で、
あなた方が、亡き岩谷真哉と共にいたこと――

鴻上尚史が、心の奥で、
尊敬する盟友・岩谷真哉と対話しながら、
演劇を作り続けて来たことが分かって、
涙が出ました。

ありがとう。
第三舞台が、風に書いた文字は、
人々の記憶の中で、消えずに輝き続けることを、
私は信じます。
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『深呼吸する惑星』 第三舞台

2012-01-15 21:49:01 | つぶやき
今日は、解散公演の千秋楽。
そのライブビューイングを、映画館で、観てきた。

鴻上尚史率いる第三舞台は、
私が20代の頃、何よりも大好きだった劇団だ。
久しぶりの彼らは、20数年前と同じように、素敵だった。

そして、そこには厳然と、
経過して戻らない“時間”と“いのち”が感じられた。

詳しい感想は、また改めて。
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2011年が行く

2011-12-31 14:48:16 | つぶやき
日本中に、禍々しい傷跡を残したまま、今年が暮れてゆく。
大晦日が、こんなに心地良い、日本晴れであることの皮肉。
せめてもの青天と、太陽の恵み。

 未曾有の大禍を経て、我々はどこへ行こうとしているのだろう。
 本当は、大自然が与えた試練と共に、
 心を入れ替えて、生まれ変わるべきではなかったのか。

それができなかった我々に、
新たな応報が待つのでは――
という悪い予感にフタをして、
新年には明るい未来があることを願う。

どうぞ皆様、良いお年をお迎えくださいませ。
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『妖怪人間ベム』 最終話

2011-12-27 10:07:03 | TV番組
録画をあらためて観直してみて、
最初から最後まで、ずっと涙が止まらなかった。
 この回だけで、充分見事な名作だ。――



人間になることを切望しながらも、人間に差別されたまま、
悠久の時を彷徨い続けてきた彼ら。

永い年月の間に、人間の醜さ・冷酷さ・身勝手さを、
イヤと言うほど見せつけられてきた。
(と同時に、人間の美しさ・優しさ・温かさをも、
 彼らは忘れなかった)

辿り着いたこの町で、心優しい刑事一家に出会い、
人間と同じ体験を重ねることができ、
どんなに幸せだったことだろう。
その人たちの受容は、彼らにとって、
まさしく砂漠の一滴の水に匹敵するほど、
貴重なものだったに違いない。

その幸せを捨て、妖怪体を衆目にさらす覚悟で、
犯人たちの銃口から人々を守った彼ら。

それゆえに、
大切な人(刑事一家と学者一家)の元から、
去らねばならなくなる不条理さ。

その哀しみと共に、彼らは決意する。
自分たちは、永遠に人間を守っていこうと。
それが、自分たちに課された宿命なのだと。

ベムが、刑事に最後に言った別れの言葉。
「姿を消しても、我々は、ずっとあなたのそばにいます」

この「あなた」は、全ての人間の内にある“善”であろう。

悪がベムに封印される時の言葉も、また非常に印象的だ。
「同情しますよ。あなた方を待ち受ける未来を思うと。
 今、ここで死ねる私は、幸せだ」

この回は、いつもに増して、珠玉のセリフが多い。
ぜひ集中できる環境で、このドラマのセリフの1つ1つに、
耳を澄ませてみてほしい。



全10話のこのドラマは、観てきて、
途中、色々悶々とするものがあった。
それは、またの機会に述べようと思う。
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真の文明は、人を殺さず

2011-12-04 11:34:30 | 社会のこと
『内田樹の研究室』11/24記事に、共感するところが多い。

一つの社会集団(共同体)が存続するためには、
司法・医療・教育という3つの原理的システムが、
明文不文に関わらず不可欠であり、それがきちんと機能してこそ、
成員たちを守ることができ、生活資源をフェアに分配することができる。
――という。

そして、そのシステムには、政治やビジネスを関与させてはいけない。

つまり、誰かの“私利私欲”を混入させてはならない領域が、
人類の営みの中には、確かに在るのだ。



原発事故に、絶望的気持ちにさせられる理由は、
まさにその領域が、政治とビジネスに侵されているのを、
見せられながら、歯噛みするばかりで手をこまねいているからだ。

タイトルは、一身を投げ打って公害と戦った義人、
田中正造の言葉であるが、
真の文明とは、まさしく“私利私欲との戦い”ではないか、
と私は思う。

明らかな陰謀を図る悪者が、居るわけではなく、
戦犯に怒りのエネルギーをぶつけて、
処刑して済ますべき話ではないのだ。

誰かに責任を押し付けようとするから、みんなが逃げる。

そうではなく、理性と英知を寄せ合って、
「何が問題なのか」
を、私たちは真剣に冷静に、話し合うべきではないだろうか。



『内田樹の研究室』11/24記事は、長い文章であるが、
中盤・終盤にも共感する。

閉鎖的環境での競争は、百害あって一利なし。
他者の足を引っ張って、自己の優位を得ようとする心の卑しさを、
私たちは克服すべきではなかろうか。
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『妖怪人間ベム』 第6話

2011-11-30 12:06:48 | TV番組
視聴者の意見感想が、賛否両論、分かれる回である。
私自身、とても感情移入できなかった。

ベラの恋は、素敵だった。
人間の、普通の女性とは違って、
ほのかで本当に純粋で、相手(大久保)への感謝しかない。

大久保は、ベラの真心を受け取って、
迷っていた自首を決意し、警察を訪れるのだが、
赤い顔の謎の男によって、悪人化してしまう。

そして、ショッキングなことだが、いきなりハンマーで、
ベラを殴り(ベラは不死身だが、人間なら死んでいる)、
「怪しい奴め、二度と俺に近付くな!」
と叫ぶ。
怒ったベムは、妖怪人間の腕力のままに、大久保を絞め殺そうとする。

このベムの行為が、納得できない。
警察署へ入っていくのまで見届けておきながら、
なぜ、大久保の翻意に疑惑を抱かない?

第2話や第4話でもそうだったが、
一度改心したはずの犯人が、なぜかくも豹変するのか、
いいかげん陰の操り手の存在に気付かなければ、
焦れった過ぎる。

普段は悪人を懲らしめるだけで、
ひどい暴力は振るわないベムが、
今回ばかりは、相手を殺そうとしたのも気になる。

それでも、若い世代を始めとして、
ホラー風味の演出や、
ベムの感情表出のカッコ良さを、支持する声が高い。
「ベムの怒りはごく自然」
というのだ。

怒りを感じることは、なるほど自然だが、
しかし、そのエネルギーを加減なく他人にぶつけることは、
非常に恐しいことではないのか。

だから、第6話を賛辞する人が多いとしたら、
・・・・私は怖い。
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『妖怪人間ベム』

2011-11-16 15:56:00 | TV番組
毎週土曜夜のドラマ、日テレ『妖怪人間ベム』を、
録画しては、繰り返し観ている。

脚本・演出が、毎回秀逸で、
映像・音楽が、非常に美しい。
特撮やCG効果も自然で、衣装・メイクもセンス良い。

主役の3人ベム・ベラ・ベロが、(7歳の鈴木福くんも含めて)
容姿端麗で所作が美しく、演技も上手いので、
何回観返しても、飽きが来ない。

むしろ、観返す度に、新しい感動を得る。
カット1つ、台詞1つ取っても、無意味なものがなく、
初見ではあざとく感じられたようなシーンに、
「ああ、こんな意味があったのか」と、
胸に沁みるものや、クスリと笑える遊び心があったりする。


原作のアニメは、小・中学生の頃、夏休みの度に再放送され、
胸躍らせたり、背筋をゾ~ッとさせたりしながら、観た。
なぜかしら、好きだった。
特に最終回は、幼心に強烈な余韻が後を引いた。

「実は、すごく社会派のメッセージが込められていたのでは」
と気付いたのは、高校生になってからだ。


あのメッセージが、このドラマの根底に、深く静かに流れている。

未曾有の東日本大震災や、原発事故、台風被害など、
多くの災禍に見舞われた今年の日本列島に、
まさしく、このドラマは必要だと思う。
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『火車』

2011-11-06 13:36:56 | TV番組
昨晩の、TV朝日・ドラマスペシャル『火車』。
原作は、宮部みゆきが1992年に発表し、
20年間のミステリー小説1位に輝くほど、読者支持の高い作品だ。

原作は未読だが、このドラマは、胸を突かれた。


 上川隆也演じる休職中の刑事が、
 不自由な身体に負担を強い、
 苦しい境遇の中で我が子に誠実に向き合い、
 もがきながらも、日常をきちんと暮らして、
 謎を解いていく姿こそ、
 一見不幸に見えて、実は、幸せなのだと思う。

 その幸せ以上の極楽も、相対する地獄も、この世には在る。
 本当に恐ろしいのは、失踪した美女ではなく、
 自分が極楽を味わいたいがために、
 他人を平気で地獄へ突き落とす、亡者どもであろう。
 


舞台は20年前でも、テーマは、現代にも通じる。

現代の“火車”は、年金制度ではなかろうか。
社会全体を、業火で焼き責めながら、地獄へ連れていってしまう――
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