東北の祭りと民俗芸能の記録

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平成25年度民俗芸能フォーラム

2013-12-05 | 岩手
2013年11月30日(土)ホテルブランシェール花巻にて
文化庁文化財部伝統文化課文化財調査官 吉田純子先生の講演を全文掲載しています。


『民俗芸能継承の意義と継承のための各地の取り組み』
 皆さん、こんにちは。文化庁文化財部伝統文化課文化財調査官をしています吉田純子と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
 今回、実は最初主催の皆様から非常に大きな課題をいただきました。それは、民俗芸能継承の難しさ、その課題、問題点ということでお話をいただいたのですが、このテーマは非常に難しゅうございます。と申しますのは、民俗芸能を継承している団体のすべてが、民俗芸能を継承の難しさに直面をされているんだろうと思います。そういう問題を抱えていらっしゃらないところはないというふうに思います。ただ、継承している芸能というものは様々種類がございまして、色々な性格を持つ一律ではないものだということで、その芸能の性格に合ったいろいろなフォロー、継承のやり方っていうのはあると思うんです。それから、それぞれの芸能の団体の方がおかれている環境、抱えていらっしゃる問題、そういったものも本当に多種多様、様々なものがございますので、本当にケースバイケースですし特効薬がないもしくは正解がない答えを求め続けなければいけない、そういうことだと思います。
 そういうことの中で、いただいたタイトルに対してどんな対策を提示できるのかということで大変悩みました。それで、今回は民俗芸能の継承の意義とそれから各地での様々な取り組みということで、いくつか事例をご紹介させていただき、その中から何かヒントになるものがもしあればこんなにいいことはないんじゃないかと思って、そのようなタイトルにさせていただきました。これから私がお話をさせていただくことというのは、実際に様々な問題に直面されていらっしゃる皆様方にとっては、もうそんなことわかってるよ、そんなことわかったうえで聞いてるんだ、というご感想をお持ちになることもあるかと思いますし、結局一般的な一般論でしかない、そういうお話しかできないということになるかもしれませんし、結局はきれいごとなんじゃない?というお気持ちを抱かれることもあろうかと思います。そういうことを実は恐れてはおりますけれども、そのことをまず最初にお詫びをすることから始めさせていただき、そういう状況にあってもこれから先皆さんと共に様々な困難な状況を共に考えていきたい、そういう姿勢でお話をさせていただければと思います。よろしくお願いいたします。

 最初に民俗芸能について少しおさらいさせていただきたいと思います。一般に民俗芸能とは様々な種類がございますけれども、地域社会のそこに住んでいらっしゃる方々が自らの手で継承してきた芸術ですとか、音楽、舞踊、それに類するような継承というふうに語られることが多うございます。説明の仕方を変えてみますと、歌舞伎ですとか、人形浄瑠璃、文楽ですとか様々、舞台でプロの方がなさる芸能というものがございます。三味線音楽だとか日本舞踊だとかそういう芸能もございますよね。それと、神楽とかそういった芸能、自らの身体を用いて美的なるもの、美しいものを表現するということにおいては共に芸能であることに間違いはなくて、まずは第一に民俗芸能というものは歌舞伎など舞台で演じるものと同じく芸能なんですね。芸能なんです。
 じゃあその民俗芸能の「民俗」が付くというのはどういうことなんだろう?ということなんですが、その芸能の存在の仕方、あり方、そういったものを問うた時に、あるものは民俗芸能というふうに区分されていくということなんだと思います。そのあり方というのは例えばいつ、どこで、誰が、何をどのように演じているのか、ということになってくると思うんですね。
 そういうふうに考えますと、まず民俗芸能の継承ということを考えることにおいては、芸能という「芸」を伝えるという面がひとつ、それからその芸能の「あり方、存在の仕方」、つまりその民俗的な部分ですよね。そういう芸能のあり方、その民俗的な部分の継承という、そのふたつを考えていく、ふたつを継承していくということによって初めて民俗芸能の継承というものがうまくいくんだろうというふうに考えております。例えば歌舞伎の例などとりますと、市川團十郎さん亡くなってしまいましたね。坂東玉三郎さんなどが演じる歌舞伎も歌舞伎、それは東京の新しくなった歌舞伎座などで演じられるものですけれども、それと共に地方で様々に伝承されている歌舞伎というのもあって、原理的言うとそれも歌舞伎なんですね。いわゆる松竹の歌舞伎の世界においても継承の仕方があると思うのですが、地域地域における歌舞伎も松竹の歌舞伎も芸能としての歌舞伎、ただそのあり方ということで地域の歌舞伎の場合は神社の祭典に奉納するなどという意識で地域の方が伝承をしています。そしてそのどの配役をやるかといったときに、例えばくじ取り式みたいなものがあって、この役をやる人は誰か、やりたいと言って出来るものではなくて、民俗的なひとつのしきたりの中で配役を決めていくというそういった地域がございます。だからその地域のそういう配役を決めるというひとつの儀式を経なければ配役が決まらないという歌舞伎、それを継承していくには歌舞伎という芸能を伝えるのと、その地域社会のくじ取り式をやっていくという儀礼的な部分、あるいはそれを支えていく人の組織、そういったものを一緒に継承していく必要が、二つの方向性が、二つの伝統を守るということが民俗芸能の継承なんだと思います。
 あるものは行事とかそういう民俗的な部分に非常に比重を置いて芸能の発展というか原理的な部分の洗練のような部分をあまり気にしない、そういうところもあるでしょうし、そういう生き方、方向性もあるかもしれません。またあるところにとっては芸能としての発展ということに主軸を置くという生き方もあるかもしれません。この二つを同時に伝承しなければいけないということは、ひとつのその民俗芸能の継承の難しさを生み出しているのだと思っています。いずれにしても、この二つを守るという姿勢を守ることが民俗芸能の継承なんだということをまず確認をしておきたいと思います。

 次に、民俗芸能継承の意義について話を進めて参りたいのですが、私は民俗芸能というのは地域の文化の精髄だと思うんです。有形無形文化の集大成、それが民俗芸能なんじゃないかんと思っています。
 自分の体ひとつあれば芸能は出来ると思われるかもしれませんが、もちろん体だけじゃ出来ないんですね。衣装もあれば履物もある、それから楽器もあるし、いろいろな有形のものもないと芸能というものは出来ない、ひとつの芸能としては出来上がらないんですね。それから、例えば芸能の中のセリフが昔の言葉だったりすることもあるわけですね。それからもちろん信仰をあらわしているものも当然あるわけで、その芸能の中には形あるもの形ないものの様々なエッセンスがキュッと詰まっていて、それが芸能という形でひとつ表へ出ているわけです。また例えば着物ですとか履物とか形あるものというのが、さあわらじを履くんだ、となったらわらじを編むという無形の技術がまたそこに必要となるんですね。着物もそうです。着物を紡ぐ技術、結わえる技術、そういう無形の技術というのがそこにまたくっ付いてくる、ということで、ひとつの芸能というものは凄くたくさんの技術、文化、伝統の上に成り立っているものなんだということなんですね。
 そう考えますと、芸能ひとつ失われていくということは、○○踊りが一つこの世の中から消えたということだけではなくて、そこにくっ付いてきた地域社会の様々な文化伝承伝統がその芸能と共に失われていくということに、地域の文化が根こそぎ持って行かれちゃうという状況がなるかと思います。ですので、芸能を伝承するということはそれだけ地元の地域の文化を背負っているという誇りと責任という大変な部分があるわけですが、そういったものを共に意識をしていただきながら、とても大事なものなんだ、それは自分たちだけにとっての大事さではなくて地域社会にとっての広い意味で、自分たちの保存会という枠を超えた社会の中においての大事なものなんだという、そういう誇りをぜひ持っていただきたいと思います。
 ちょうど沖縄の話をご紹介いただきました。ちょっとこちらではイメージがしにくいかもしれませんが、沖縄を例にとってこのことをもう少し具体的にご説明したいと思います。沖縄には組踊という芸能があります。これはプロの方もいらっしゃいますが、各地域に民俗芸能として伝承されているものも非常に多くあります。それは収穫が終わった時や種蒔きを迎える春の間など様々な時期に踊られます。沖縄では豊年祭というのですけど、その豊年祭の中で芸能が披露されていました。お祭りの時ですから皆さん伝統的な衣装を着るんですね。沖縄はとっても暑いですから芭蕉布という布で作られた着物を着ることが伝統的によくあります。芭蕉布、これは芭蕉という植物の茎から繊維を取り出して糸を紡いで作るんですけども、芭蕉というのは実のならないバナナの木なんですね。それを畑に植えていて芭蕉布という布を織るために育てているんですね。そして、おばあちゃんとかお母さんたちがそれを紡いでいくわけです。紡ぐというその技術は非常に大変な手間のかかるものですし難しいものです。でもそういったものを紡いで、そして自分の孫や息子にお祭りの時着せて行くんですね。だからお祭りということの背景にはわざわざ植物を植えて着物を紡いで着物を作るという無形の技術がくっ付いて来るわけです。今は、一般に芭蕉布を着ている人はほとんどいません。手間はかかりますし芭蕉布って物凄く高いんですよね。お金がかかるんです。ただお祭りの時だけはその衣服を着るんです。とすると、お祭りあるいはそういったことが行われる芸能が失われたとき、そういう衣服を着ていた文化も作っていたという技もなくなってしまうんですね。それから、今倉沢人形歌舞伎の方がいらしてこちらで弾いていらしゃいましたが、沖縄にも三味線と同様の楽器がございます。三線といいますけれども、ちょっと違うところといいますとこちらの三味線は猫の皮を胴に張っていますけれども沖縄はビルマニシキヘビという蛇の皮を張ります。それから、こちらでは象牙で撥を作りますけれども、沖縄は水牛の角を指にサックのようにはめるんですね。そのビルマニシキヘビというのは沖縄がああいう場所にありますから東南アジアなどから入ってくるものを使っていたんですけれども、今はなかなかそういうものが手に入らなくなって、ビルマニシキヘビを三線の皮にするために養殖しようという取り組みも実は一時あったんですけれども、気候が合わなくてそれは失敗に終わってしまいました。また、三味線の撥はとがっていますから様々な早弾きが出来る、爪弾くことが出来ますから音楽的に複雑な音を作って行くことができます。津軽三味線などもそうですけれども。ただ、沖縄のその指サックの水牛ですとそういう細かな音は叩けないので打楽器のような音楽になります。そういうわけで、そういうそのひとつの音楽があるわけですけれども、三線を作る技術というのも当然あるわけで、芸能がなくなってしまえばそういう技術も廃れて行くということになります。そして組踊は若い人が聞いても意味がわからないことが多いです。それはなぜかと言えば古い沖縄の言葉を使っているからです。ですから今の若い人たちはわからないんです。研究者の中には、沖縄の方言というよりも古語だと言う方もいます。ただそういう言葉が生きた形で残っているというのは本当に芸能の中でしかないんです。そうするとその沖縄の組踊がなくなってしまうと、実は沖縄の古い言葉の伝承もなくなってしまうということになってしまうので、本当に芸能というのは○○踊りがなくなる、だけではない、それがなくなるから言葉の伝承、衣服とかそれを作る伝承、いろんなものがなくなってしまういうことになります。
 多かれ少なかれすべての民俗芸能がそういう芸を必ず持っていると思います。ですので、ぜひとも皆さん方が伝承されている芸能というものは自分たちだけの、保存会だけのものではない、もっと広い地域社会のものなんだという意識をぜひ持っていただきたいですし、逆に言えば芸能を、地域社会の人たちが、この芸能は保存会さんで好きな人たちがやってるだけなのよではない、自分たちのものなんだという当事者意識を当然地域社会は持っていなければならないというふうに思います。というところで継承の意義というところを終えたいと思います。

 続きまして少し各地の取り組みということをみていきたいと思います。最初に取り上げますのは民俗芸能ネットワーク構築ということで、今回お呼びいただいたこちらの岩手県民俗芸能団体協議会もあげさせていただいております。
 これからは情報の公示ですとかいろいろな問題、課題を抱えていらっしゃるところが多いので解決のためのヒントを得るにはこういった横のつながり、ネットワークが大変大事になってくるのではないかと思いましてご紹介させていただくものです。まず全国的なネットワーク、それから都道府県単位のネットワーク、それから市町村単位のネットワークの3種類を資料には書かせていただいました。
全部をご紹介する時間はないので、全国的なネットワークとしてひとつ、公益社団法人全 日本郷土芸能協会というところをご紹介したいと思います。こちらは昭和48年に設立されまして40年の歴史を持っており平成24年に公益社団になりました。こちらは民俗芸能を保存している保存会の皆さん、保存団体、保存継承に関心のある個人の方が会員になれる団体です。主な活動としては全国こども民俗芸能大会、獅子舞サミット、全国獅子舞フェスティバルといったような芸能大会に携わったりですとか、保存団体、指導者の方の育成、伝承文化の継承セミナーというものを開いています。それからあとは、回報を発行されたりですとか、非常に良いホームページも作っておられます。それから、子供に民俗芸能を伝えて行こうということを目的とした冊子などを出しておられます。こちらはご存知の方も多くいらっしゃるんじゃないかと思います。というのは東日本大震災の後非常に有意義な活動をされていらっしゃいました。郷土芸能の復興を支援することを展開されまして、再開する芸能、あるいは復興を目指す芸能団体の活動に対する支援を行ったりしています。それから、次世代継承プログラムといって東日本大震災の郷土芸能にかかわる子供たちとか後継者たちの育成に対しての助成を行ったり支援を行ったりしていますし、それから被災された芸能のネットワーク作りということで情報収集をしデータベース化するといったような、そういうネットワークの構築作業もされています。東日本大震災の後どういった団体がどうなっているのかという情報が本当に入手しにくい、国指定だとか県指定だとかそういったところの情報というのは掴むことは出来るんですけれども、市町村指定、とくに無指定ですね、文化財指定の位置づけが行われていなかったところの芸能の情報というのが本当になかなか手に入らない、そもそもどこにどんな芸能が伝承されているのかといった極々基本的な情報さえも実はちゃんとしてなかったんだ、ということに気付かされました。そんな中でこういうネットワーク、全協芸は民俗芸能の団体が加入している団体ですから加入している団体に絡む情報でどんどん横につながっていけたんですね、情報収集が。そう言った意味で本当にあの地震の直後から非常にいろんな活動をされて情報を収集されてネットワークを構築され大変役に立ったということです。それから、あともうひとつ、助成金の仕組み、補助を受ける仕組みの情報が入手しにくい、また情報が入ったとしてもとてもややこしい申請書とかそんなものを書かなくてはいけない、そんな中でこういった助成がありますよ、と提案し、申請の書き方を指導するといった活動もされてられます。
 もうひとつだけ全国的なネットワークをご紹介しようと思います。全国民俗芸能保存振興市町村連盟は全国各地の市町村が加入する団体で年1回加入している団体の市町村で総会を開きます。その時にその土地で伝承されてる芸能の問題点などを話し合い共有します。
 続きまして都道府県単位のネットワークなんですけれども、こちらの皆さん(岩手県民俗芸能団体協議会)の活動はこれですね。いくつか挙げました中で千葉県無形民俗文化財連絡協議会というのがあります。こちらは回報を出されていて、国・省庁の他にも民間の助成事業の一覧を作り会員の方々に提供するとく活動をされています。
それから、神奈川県民俗芸能保存協会は、回報を発行している他に加入している団体の民俗芸能の情報提供、民俗芸能の見学会を開催しています。毎年東京では全国民俗芸能大会がありますが、神奈川県民俗芸能保存協会の会員の方々は見学会ということでいらっしゃっています。また、加入されている団体の実際の公開の場に出向いて見学するということもされています。そのように他の団体の活動を見る、そして見たついでにお知り合いになって情報を共有していくということですね。あとは民俗大会というような発表会の場を作られたりしています。加入団体主催の公演や後継者育成事業を応援するプログラムも持っていらしゃるそうです。
 それから、鳥取県民俗フォーラムなんですが、こちらはテーマを決めて話し合う場を持ち(平成24年度のテーマは民俗芸能の復活と地域活性化)意見交換やパネルディスカッションを行っています。
 このように、確かに横のつながりというのは規模によってどういう活動が出来るのかも変わってきますし、やはりその財政的な面でもしっかりした基盤作りということも必要ですし、なかなか一概にはうまく動かせるものになるとは限らないのですけれど、ここにあげたうまくいっているところの活動を見て行きますと、ひとつの保存会が自分の中だけで悩んでいたことを共有し合える、そこで様々な意見を聞く中でヒントをつかむことが出来る、問題解決のヒントを得る手段としては非常に効果が大きいと聞いております。それから様々な補助事業、助成制度というものもなかなか自分たちだけで探してくるのってとても大変ですよね。そういった物をこういう団体が情報を集めて会員の皆さんに提供できたらそれはとても効率が良く、皆さんがいろんなものを活用できるきっかけに、それから用具や楽器を新調したい、修理したいなどの対応もこういうネットワークの中で共有していけたらとても建設的に出来るんじゃないかと思います。それから、情報を得るだけでなく今度は自分たちの方から情報を発信するということですね。
 和歌山県の民俗芸能保存協会は会員の一覧をリスト化して情報発信にも力を入れています。また、会員団体のカレンダーを作って販売したり、経済的な面にも力を入れています。このように大変良い面がある一方、やはり注意も必要だと思います。参加する団体の公益性を確保していかなくてはいけませんし、ひとつの大きな組織として動きつつも各保存会の伝承は守って行かなくてはいけない、最終的には行政からの独立が目指す方向なのではないかと思います。

 続きましては各民俗芸能の取り組み事例を紹介したいと思います。ただ、ひとつお断りしておきたいのは、これからお話する事例というのは文化庁が推奨するという意味ではないということです。というのはおかしな言い方ですけれども、これは本当に正解がない世界です。そしてさっき言いましたように民俗芸能の継承というのは芸能の継承であり民俗の継承であり両方ある、その比重をどっちかに置くのかと、そういう問題というのはとても難しい問題です。ただ、ひとつ言えるのは、紹介する団体のすべてが自分たちの置かれている問題というものに本当に真剣に向き合って模索して自分たちで話し合って、そして掴み取った結果だということなんですね。ですから尊重はしたいと思います。ただ、これは最優良事例ではない、この正解はそれぞれの問題に直面にされている皆さんがそれぞれの地域の中で模索しながら話し合いながらつかむ答えでしかないということなんです。それをまず最初にお伝えをしておきたいと思います。
 全部お話するととても時間が足りなくなってしまいそうなので、少し端折っていきたいと思うんですが、最初にですね、青森県の十和田市、南部切田神楽の事例をご紹介したいと思います。ここは国の記録選択になった団体なんですね。所謂権現舞を中心とした東北地方に非常に多く見られる神楽です。私たちが記録選択というのをした時に、権現舞と共に数演目しか実は出来ない状況だったんですね。なので私たちとしては、この伝承は結構危ういと、だから記録選択をしてとにかく記録を残してもらおうという、そういう危機感が大きくあったんです。本当は40数演目、たくさん持っておられたんです。ですけれども、そのうち本当にわずかしかやらなくなっている、やらなくなったうちに出来なくなったものも出てきた。かつてはお正月には地域を回ってカスミ廻りをしていたんです。お宿があってお宿の方や地域のお母さん方が料理を作って接待をしていたけれども、そのカスミ廻りの伝承ももうやらなくなってしまったんです。ですからここではカスミ廻りはなくなってしまって、9月15日神社の拝殿の中で権現舞と他に数幕舞うのみになってしまったんです。ところがこの国の記録選択を契機に、じゃあ報告書を作りましょうということになりました。そして報告書を作ったあと今度は映像記録を作るわけなんですけど、そこに取り組む中で本当にすごい活動を見せたんですね。まず報告書を作る中で、報告書を作るにあたっては外から研究者の方がいらっしゃいます。研究者の方がそれを拝見して調べて、その芸にがどういう価値があるのかということを調べていくわけなんですけれども、実際にやってらっしゃる方とか、あるいはそれを今までやってきたお年寄りの方が、あるいはそれをカスミ廻りで受け入れていた地域の人たち、いろんな方々に神楽のことを聞いて歩いたんです。どうでした?どうでした?とインタビューしていくわけです。そういう中でみんな自分にとっての切田神楽というものをもう一度思い出したみたいなところがありました。それで、やっている人たちも、なんか自分たちが普通にやっていて、まぁこんなもんでいいかなぁと思っていたけれど、この神楽にはなんか価値があるということにも気がついたし、かつてそこに熱い思いを寄せた自分の気持ちにも気がついたということがあったんじゃないかと思います。受け入れる側も切田神楽が年明けに回ってきたころの記憶がよみがえって来て、自分たちの文化なんだという当事者心が戻ってきたというか、本来こういう神楽というものは演じる人と享受する人がいるわけですけども、演じる人がだいたい保存会というひとつの組織を作ってそれを継承するために努力していくわけですね。これは国とかが文化財指定をすると保存会という組織を作ってもらうわけです。そうすると保存会の人たちは継承のために一生懸命がんばっていく、それを伝えてきた地域社会と保存会の距離が離れていってしまって、保存会の人たちは自分の継承するものとしてがんばっていくんだけれども、それを支える地域社会の人たちは自分たちの芸能という意識がどんどんなくなってきている、その差がすごく開いてしまったというそういう例なのかなと思いますが、この記録をとるという調査事業の中で少しずつ保存会と地域社会の距離を縮めていくとうか、保存会のものと思われていた芸能をまた地域社会に取り戻すというそいういう過程があったんじゃないかと思っています。そして報告書が出来た後、今度は映像記録を作ろうということになるんですが、その中で、全部の演目を映像記録に残そうというふうに思い立たれて、そして猛稽古をしていきます。そして映像記録の中にかつてのカスミ廻りの様子を全地域で映像に残していきたいということで今までかれこれ70年もやっていなかったカスミ廻りは全地域で復活をするということが出来てくるわけです。それで保存会さんの方ではとにかく全演目を記録に残すということでやはり芸能としての力というか魅力というものが出てくるわけなんですね。今まではあんまりお上手じゃなかった。だから見てても、ふーんって感じだったのが、本当に稽古をしていくと芸能そのものの物凄い力が出てくるもので格好いいし、それに憧れる人が出てくるんですね。そうすると、そんなふうに下火だった芸能の団体に新しい後継者が生まれ、入りたいという人たちが出てくるわけですね。高校を卒業された方が新たに加わられたりもしました。それから今度はカスミ廻りというものを復活する中でやっぱりこれって地域全体の協力だなあと思ったのは、お宿を提供するうちのお母さん、それからその地域の女性陣たちの協力がなければこういうことは成り立たなかったんだなということがすごくよくわかったんですが、伝統的な食材を使った食事、料理を作っておもてなしをしていたんだというそういう料理も復活していきました。ということで本当にこの単に記録を作る、調査をして報告書を作る、映像を作るという非常に行政的なる基本的な作業の中で本当に大きな動きがあって劇的に団体そして歴史が変わってきたということがありました。こう思ったことの原因というか要素を考えていくと、そこの十和田市の担当の方が本当にもう夢中になってこの神楽だと、この神楽さんを引っ張って行きたいという方だったということ、それから外からやってきて、外から見て叱咤激励をして、これは外から見るとどんな価値があるのかということを、説き続けたということがあったと思うんですね。そして、そういうものをもう一度再認識した保存会の人たちがいて、またそれを自分たちのものだったんだというふうに気付いた地域社会があるとう、様々な心が動いたというふうに思っています。最後に、映像記録が出来上がったときの試写会があったんですけども、その時はその担当者の方は号泣されて保存会の方々も涙ぐまれて私ももらい泣きをして今でも泣いちゃいそうですけども、本当に凄い感激の場になったんですね。そんなふうに、ここは何を工夫した、何に取り組んだかってことではないんですけども、ひとりひとりが動いたことによって物凄く大きなエネルギーが出たっていう例だと思います。ですので、記録、調査をする、映像を作る、なんてことはないありふれた事業だとは思うんですが、やりようによっては物凄いことになるということをお伝えしておきたいと思いました。
 次に千葉の鬼来迎保存会なんですが、これは資料をつけておきました。鬼の面をつけて因果応報とか勧善懲悪とかですね。なんとこれっていうのはたわずか25軒の家で伝承されているんですが、ここでは今のところ後継者の不足は感じていらっしゃらないんですね。なぜかというと、この鬼来迎は地元の子供たちにとってヒーローなんです。子供たちの憧れであり、日常生活の中で鬼来迎ごっこをして遊んだりするんです。そんなふうに小さい時から芸能に触れて太鼓の音だとかそういう格好よさに憧れているから、わずか25軒で伝承しているんですけれども、なり手としてはたくさん希望があってやっているということなんですね。ですからここはやはり小さいときから常に芸能に触れる環境、そしてそれが憧れになるような芸能になれる力を持っているということかなというふうに思っております。
 それから綾子舞と能勢の浄瑠璃なんですが、これは少し工夫をした例です。かなり大きく仕掛けてみた部分がある例として挙げて見ました。綾子舞の方は新潟県柏崎市というところに伝わる非常に価値の高い芸能なんですけども、早い時期から学校教育で子供に教えるということをされてきました。そして、綾子舞を子供たちに実際舞ってもらうんですね。そうしますと、それを見ている親御さんたちというのはどうしても応援したくなってしまうというところもあります。この綾子舞が伝承されている地域というのは柏崎の駅からかなり山に入っていったところで、特に冬場は雪が6メートルとか9メートルとかになるようなところで、今はその地域に1年間ずっと住み続けているというのはとても困難な地域になってきて、柏崎の市内にお家があって通いで農家をしているお宅も多いところなんです。そしてひとつひとつの集落がとても小さくて戸数も少ない、そういった中でどうやって伝承していこうかというところなんですけれども、そのときに出来たのが体験した子供さんたちの親御さんを中心とした後援会というサポート団体なんですね。綾子舞という芸能を伝承している地域は柏崎の中で本当に小さなふたつの集落なんですけども、この後援会というのは柏崎市内全域に及んでいます。ここの後援会というのは本当に見事な支援、バックアップをするんですね。今年綾子舞見に行ったんですけども、柏崎の駅に降り立って現地に行くまでの交通、後援会の方々がバスを出してピストン輸送していくとか、大きな会場での舞台やテントの設営までみんな後援会さんがやっておられますね。これは、たぶんその、ききほど言ったように芸能を伝承するということだけ考えれば柏崎の中の小さな集落でのことなんですね。そこの芸能はわけです。ですけれども、伝えていくことを考えた時には、その小さな保存会だけのものではない、柏崎全体で守る、柏崎という地域のひとつの文化、伝統なんだというきづきが地域社会の方にあって、その地域社会がみんなこぞって応援していこう、サポートしていこうと、そういうことが生まれた事例になっています。あとはあまり丁寧にご説明できないのですが、能勢の浄瑠璃というのは太夫と三味線の素浄瑠璃なんですね。ここにはおやじ制度というのがあって、ちょっとおもしろい制度があるので紹介してみたんですけども、今能勢の中にはそんなこともあって200人くらいの太夫がいらっしゃるということなんですけども、ここは浄瑠璃シアターというシアターを町が作りまして、町を浄瑠璃の町として展開しています。その中で浄瑠璃というものを今まであった伝統的な伝承組織を維持して守りつつ浄瑠璃を使って新しい人形を付けて新作を作って発表したりとか、子供たちにそれを伝承して、子供たちもそれを発表したりという、そのひとつの浄瑠璃シアターという施設の中にとても面白い文化活動を展開している、そしてその文化活動を展開しつつきちんと民俗の部分も守っていくという、そういう活動をされているところです。
 そして、大瀬の太鼓踊と一之瀬高橋の春駒ですが、こちらは全然状況が違って、実は途絶えてしまったものをいろいろな人の動きがあって再開したいという事例なんですが、時間がちょっと長くなってしまったのではぶきたいと思います。

 最近特に感じるのは、何度も今申し上げましたように、芸能を保存会のものだけにしないということが大事なのかなと思っています。これは、保存会さんが力があって元気な時というのは全然問題ないというふうに思うんでしょうけども、人が足りなくなってきたり、いろんな困難な状況が生まれてくることもございます。その時に、やっぱりこの芸能は本来はもっと広い地域で守れるんじゃないか、いろんな芸能の動きを考えたら、保存会だけのものではない、保存会だけのものにしないということを私は何度も申したいと思います。それから、芸能の「芸の力」というものがどうしたって必要です。いろいろと制約を受ける民俗芸能ですけど、芸能なんですから芸の力を持っていないと、それに憧れてそれをやろうって人が生まれてこない、だから、なさる以上は一生懸命芸というものを、芸の力を持って欲しいなということでございます。それから自分たちの芸能の特色を再確認を自分たちでなさることも必要ですし、外からの視点というものも、気がつくことがいっぱいあるのでとても大事です。そして、もちろん私は文化財の保存継承という仕事をしていますが、文化財ということの価値だけではない、様々な重要性が実は芸能の中にはあるわけなので、文化財ではない部分の重要性をどんどん見つけていって欲しいと思いますね。それから、民俗芸能っていうのは一人の人間の力で運命が変わってしまうんです。みんなで守っているからみんなの力が大事かなってもちろん思うんですけども、実はひとりの人間の力で民俗芸能の運命は変わります。芸能が好きで、これに命を燃やそうみたいな人を育てる、ですから小さい子供たちに小さい時から教えることも大事だし、芸能の力でそれを魅了する人を作り上げるということも必要で、ひとりの力で変わる、だから皆さんにはその「ひとり」になっていただきたいと思います。

 あんまりその具体的にどうのということではないかもしれませんが、1時間しゃべらせていただきました。具体的には個別に話し合ってこれから先も一緒に伝承ということを考えて、共に歩んで行きたいというふうに考えております。どうもありがとうごいました。


一揆の心、芸能の心(2)

2013-11-27 | 岩手
2013年3月10日

今日は午後から茶谷十六先生の講演会でした。
前回に続き『一揆の心、芸能の心』という演題です。
百姓一揆の盛んな土地には必ず民俗芸能が伝承されています。
そして日本で一番百姓一揆が多発したこの岩手には、日本で一番多くの芸能が伝承され、かつその水準・完成度は大変高いものだと言われています。
百姓一揆、民俗芸能、貧困、それがかつての岩手の姿なのですが、この3つが単に繋がるのではなく、そこにはこの土地に生きる人々の生き様との関連があるのではないかと考えられました。

岩手の芸能はその8割が供養のためのものです。
そして、その供養は単なる鎮魂ではなく魂奮いなのだと考えられています。
『やすらかに眠ってください』ではないのです。
二子鬼剣舞の師匠、及川充さんの言葉ですが、『鬼剣舞は踊るんじゃない、踏むんだ。剣を持つから剣舞なんじゃない、これは反閇だ。』
墓前で反閇し、笛や太鼓を打ち鳴らし、『眠っていないで起きてください。そしてあの世まで持って行った無念な気持ち、やりたかったこと、我慢出来ないことを私たちに話してください。生きている私たちがその無念を晴らしますから。』と魂で語りかけます。
岩手の芸能は生きている人間と亡くなった人間のコミュニケーション、魂の伝達なのです。

一方、一揆というのは心をひとつにすることであり、相手を信頼することこそが結束の要。
自らが極限状態であっても苦難を分かち合えることが結束の要。
遠い昔から岩手にはそれらが存在していたのですね。
そして、それは今も脈々と行き続けているのでしょう。
本当に厳しい時にこそ、心ひとつに祈り心を合わせて戦ったのだと思われます。

かつて生きていくのが困難だった岩手という土地で、一人一人の願いを皆の願いへと想いを繋ぐもの・・・それが一揆や民俗芸能であり、昨今では震災復興に関しても『頑張ろう』という通い合う心の中核として、苦難を分かち合い乗り越える力の原動力であり命となっているのですね。

2013年の3月11日を目前にした今、このお話を改めてお聞きすることが出来たことに感謝しています。
そして最後に・・・
なんと茶谷先生自ら南部牛追唄を歌ってくださいました。
このようなファンサービス(笑)は初めてで、心打たれる歌声に感動し帰って参りました。

追記:2013年4月16日 記事にしていただきました。
http://tohoku-fukko.jp/files/11/11-3.pdf

一揆の心、芸能の心

2013-10-20 | 岩手
2012年12月9日

昨日は民俗芸能復興支援フォーラムに参加させていただきました。

茶谷十六先生のお話は素人の私にも大変心に響くものでした。
響き過ぎて涙が出そうでした。

岩手の民俗芸能は、いわゆる『鎮魂』ではなく『奮魂』なのだと先生はおっしゃいました。
『安らかに眠ってください』ではなく『起きてください。眠らないでください。そして無念な気持ちを聞かせて欲しいのです』
起きてくださいと魂に語りかける、そんな気持ちを込めて反閇するのでしょう。

かつて生きていくのが困難だった岩手という土地で、一人一人の願いを皆の願いへと想いを繋ぐもの・・・それが岩手の民俗芸能であり、昨今では震災復興に関しても『頑張ろう』という通い合う心の中核として、苦難を分かち合い乗り越える力の原動力であり命であるとお話くださいました。

そして、郷土芸能が生きている限り岩手は大丈夫、と。
大変感動し、民俗芸能がもっともっと愛すべき存在となりました。
参加させていただけたことを嬉しく思います。
ありがとうございました。