ザクとは違うのだよザクとは!!buchiblog

いつも残弾0。すべて出し切って生きてます。

花神

2011-10-24 14:35:35 | BOOKLOG
花神を読み終えた。

村田蔵六=大村益次郎の人生史。
司馬先生は本当に素晴らしい文学を書くなぁと感心しきりです。
かなり一気に読み終えました。

村田蔵六と福沢諭吉の師匠、適塾の緒方洪庵先生のように「日本のために、人のために」生きられることにすごく賛美を感じています。
また宇和島藩主伊達宗城にも小さな意地などなく「日本のために、天下のために」、今風の言い方をするなら全体最適のために自分の国を犠牲にするということを厭わないその姿勢にも共感しています。

ぶっちゃけ、自分が所属している組織はそういった心をどこかにおいてきたんじゃないかと思う時が多々ある。
タフネゴシエーターが多い優秀な人材がおおい組織だが、結果的には自分のため、とは言わないが自分の所属する組織、部門、担当のためにタフネゴシエートする能力を使っている。その結果その相手になるものともお互いがお互いを疲弊させている感じがするのだ。
まぁそのあたりはうがった見方なのかもしれないが、洪庵先生や伊達宗城のように、周りのことを考えて涙を飲んで、譲るということも大事なんじゃないかなと思う次第です。
そのためには何が大事なのかを考えなきゃならないんですけどね。

上巻の感想は上記のようなものでしたが、小説として村田蔵六という人物にすごく共感しつつ、自分はこうはなれないなとつくづく思っています。
蘭学、医学者であるために、オランダ語に精通し、西洋の書籍を読むことで、西洋軍事や造船技術といったことまで分野を広げて行って行くことができた。
時代の波に流されて、貧乏医者から、宇和島藩→幕府→長州と所属を変えられ、それぞれやってることが違い、どれもが日本史上に残る事績なのだ。
これはすばらしいことではないか。
そして、それができるのは自分だけだと信じ抜いたその心が賞賛できる。自分にはないものだし、それ以外のことに無頓着に生きて行くその生き方には感動すら覚える。

さらに蔵六は西洋の文物に触れながらもナショナリストだったことも非常に面白く、その蔵六がシーボルトの娘イネと懇意になっていくところも非常に面白い。
にんげんというのは複雑回帰であり、蔵六が自分自身を機械であると規定しているのに実際の人間くささは大変興味深いところだ。
そこが人間としてのすばらしさなんだろう。とボクは思うのだ。
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