プロ協会ジム「Boy’s水戸ボクシングジム」元日本チャンピオン・中島俊一が指導するジムです!!!

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30戦23勝7敗

2011-10-09 | 中島俊一のプロフィール
「水戸にボクシングを根付かせたい。
水戸で『ボクシングと言えば中島』
と言われるように頑張ろうと思っている・・・」

かつてヨネクラジムに所属し、
1988年~1990年の間に日本Sフライ級王座を6度も防衛に成功。
チャンピオン 中島俊一。


現在は、
茨城県水戸市で「BOY’s水戸ジム」を経営。

昭和36年、茨城県日立市生まれの50歳。(2011年現在)


中学生の頃に、
モハメド・アリの影響を受けてボクサーになることを夢見るようになった。

ボクシング好きの親戚の叔父さんに、
サンドバッグとそれを吊るすバッグスタンドを庭に作ってもらい、
自己流の練習を重ねていた。

やがて上京して明治大学に進学し、
同大学のボクシング部に入部し、
本格的なボクシングの練習をおこなうようになった。

しかし、
アマチュアのデビュー戦では、
それまでの自己流の練習が間違っていたことを思い知らされる。

初回から全力でパンチを振り回していった結果、
第2R以降ガス欠で失速し、
惨めな判定負けを喫してしまった。
ディフェンスやペース配分のことなど考えたこともなかったが、
この時はその重要性を体で覚えさせられたという。


大学卒業後、
もともとプロ志望だったので就職せずにヨネクラジムに入門した。
ヨネクラジムの米倉会長が、
明治大学ボクシング部OBだったこと、
またその関係で、
明治大ボクシング部がしばしばヨネクラジムに出稽古に出かけていたこと、
などから迷うことな、
このジムを選んだのだった。


初めの3年間は、
アルバイトで現場仕事をしながらジムに通ったが、
その後はジム後援者の不動産会社に就職し、
安定した生活基盤の中でボクシングに専念することが出来た。
後援者の会社ということで、
勤務時間は定時で上がれるよう配慮してもらっていたという。
ヨネクラジムでは、
後援者の会社で社員として働きながら活動する選手が多い。
ボクシングに専念出来る環境を提供するヨネクラジムのやり方は、
私もジム会長として見習いたいと思っている。
「まあ、バブルの頃だったから出来たんだろうけどね・・・」中島俊一談



30戦23勝7敗。
30歳で引退するまで、
日本タイトル6度の防衛を含め、
数々の強豪と戦った。
後の世界チャンピオン レパード玉熊、鬼塚勝也、
アジアの巨人 カオサイ・ギャラクシー・・・。





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