ニュースなブログ「こちらBOSO21、ちょっといいかな?」

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★赤城農相“事務所”の怪…豪邸にはコピー機すらなし

2007-07-09 15:49:48 | ★ニュース拾い読み
いやあ、大変申し訳ない。
今日は新たなカテゴリーで書くつもりだったが
書いているうちにログアウトしてしまい、管理画面の入り口に来てしまった。
文書は消失した。今後はメモ帳に書いて貼り付ける事にしよう。
またひとつ、勉強になった。

さてさて、夕刊のニュース拾い読みだ。

>赤城農相“事務所”の怪…豪邸にはコピー機すらなし
「人の出入りなし」地元民も否定

“迷走”する赤城農水相の父、毅彦氏=9日夜、茨城県筑西市
 赤城徳彦農水相の事務所費問題で、茨城県筑西市の“後援会事務所”が批判の矢面に立っている。官房長官や農水相などを務めた祖父の時代は、地元民の駆け込み寺のような存在で尊敬を集めていたという。だが、今は地元からソッポを向かれ、「事務所なんて聞いたことがない。人の出入りもない」と言われる始末。渦中の父親は「事務所だ」と当初の主張を反転するも、コピー機すらない実態を自ら暴露するあわてぶり。どう見ても、そこは立派な「家」だった。

【コメント手書き】

 赤城農水相の実家は筑波山を臨む田園地帯にそびえ立っていた。

 当初は「事務所じゃなかった」と受け答えしていた赤城農相の父、毅彦氏(77)は8日夜、ようやく姿を現し、「ここは昭和8年から事務所だったんです」と、いとも簡単に前言を撤回した。

 ご丁寧に、「事務を行う『事務所』としての活動が以前ほど活発ではないという趣旨で発言した」と記したコメントを3枚配ったが、同じ文章でしかも手書き。赤城農水相は7日、経費について「事務機器のリース代に積み上げた額」と弁明したが、コピー機さえないらしい。16年間で1億2300万円の事務所経費は、紙とペンに消えたようだ。

 「テーブルや事務員、事務機械みたいな近代的なものはないが、必要なときに後援会から貸してもらう」とも語ったが、使用頻度や光熱費の区別、事務機のリース代などに質問が及ぶと「事務所に聞いてください」と、いきなりトーンダウンしてしまった。

赤城農水相の実家は大豪邸。門には乳金物(左)と呼ばれる“おっぱい”がいっぱい
 実家は赤城農水相の祖父にあたり、農相(計6回)、官房長官、防衛庁長官、党総務、政調会長など要職を歴任した故・赤城宗徳氏の時代から使われていた。「約120年前に立てられた」(近所の住人)という文化財級の豪邸は延べ床面積450平方メートル。蔵2棟に物置1棟、庭、裏庭もある。

 現在はゴルフ場とガソリンスタンドを経営する赤城氏の両親が暮らすのみで、電気メーターは古びた蔵と母屋の2系統、ガスは小ぶりのボンベが2本にメーターは1つと、居住部と事務所に分けようもない。

【乳房付きの門】

 特徴的なのは巨大な門。「宗徳さんの青年隊長だった。心配して駆け付けた」という結城市の男性(70)は、門に付いた乳金物(ちかなもの)とよばれる文字通り乳房のような装飾を「見てくれ」と指差した。

 「おっぱいが付いている。どんなに困った人でも受け入れるという意味を持つ。それが8つもついている家はないべー。土地改良やなんかで世話してもらおうと、宗徳さんのところには、毎日のように陳情が来ていた」と証言。かつては事務所的な役割もあったようだ。

 元青年隊長によると赤城家は代々、下妻の広大な農地を所有する地主だった。それでも、「農地解放のずっと前に宗徳さんがタダみたいな年貢で小作に土地を分け与えた。人徳のある人で田中角栄に似ていた」といい、選挙ともなれば数百人の支持者で屋敷はごった返すほどにぎわったという。

 ところが、選挙改革で中選挙区から小選挙区に移行し、選挙区に都市部で大票田となる水戸市が加わった。このため、「当時、水戸は自民党が弱かった。必然的に水戸で顔を売らざるを得なくなり、後援会の主たる事務所は水戸に移った。今でも地域の後援会でも時々使わせてもらっている」と語るのは地元後援会関係者。「16年も事務所じゃなかったというのはウソ。確かにこの1、2年は使ってないが…」と、現状はやはり「家」のようだ。

 同じ町内会に住む農業の男性(79)は「事務所なんて初めて聞いた。徳彦になって全然、人寄せしねーんだわ。選挙も全部、水戸でやるようになり、人の出入りなんてない」と事務所的機能を完全に否定する。人寄せしない不義理からか、おひざ元の旧明野町内では赤城氏や自民党のポスターを貼る家屋は極めて少なかった。

ZAKZAK 2007/07/09